【門】秀吉寄進の巨大な楼門~伏見稲荷大社



カテゴリ:【門】京都の門
~大きなものから小さなものまで、大小遠近男女は問わず京都の門


ミニブログコーナー:あぶ刑事見てきました。舘さん、かっこいいなあ。ノーヘル、スーツでハーレは舘さんしかできないでしょ。あまりに格好良くて泣けてきました。あと吉川晃司さんのキックで電灯破壊も凄かったなあ。一つの時代が終わった感じ。あぶ刑事、全作集めたい。西部警察は"燃える勇者たち"以外、全部持ってるんだけど。

伏見稲荷大社の幟(のぼり)_H27.11.07
伏見稲荷大社の幟(のぼり) H27.11.07撮影

伏見稲荷大社は、日本全国に3万社あるといわれる稲荷神社の総本宮として知られていますが、今や国内にとどまらず、世界中の人が訪れる高名な観光スポットになっています。2015年のアメリカの旅行口コミサイト"tripadvisor"外国人に人気の観光スポットで2年連続、日本国内1位に選ばれました。参道にはそれを宣伝する幟が並んでいます。確かに周囲を見るとアジア、欧米を問わず、大勢の外国人の姿が。

伏見稲荷大社・一の鳥居から_H27.11.07撮影
一の鳥居から H27.11.07撮影

中でも神秘的な千本鳥居を目的に訪れる方が多いようですが、今回は巨大な楼門がテーマです。JR奈良線の稲荷駅を出るとすぐに大きな一の鳥居があり、参道の先の二の鳥居の向こうに楼門が見えます。

伏見稲荷大社・楼門_H27.11.07撮影
伏見稲荷大社・楼門 H27.11.07撮影

この楼門は幅約10m、高さ約15m、京都市内で最大の大きさを誇ると云われており、国内でも最大級の部類に入る楼門です。国の重要文化財にも指定されています。檜皮葺(ひわだぶき)、入母屋造の屋根をもつ三間一戸の重厚な楼門は、全国の稲荷神社の総本宮にふさわしい楼門です。青空であれば、きっとバックの空に鮮やかな朱が映えると思います。色鮮やかなのは2011(平成23)年に稲荷大神鎮座1300年に合わせて改修されたからだそうです。

伏見稲荷大社・楼門の扁額_H27.11.07撮影
扁額 H27.11.07撮影

造営は1589(天正17)年、豊臣秀吉の手によるもので、本殿に次いで古い建築物です。母、大政所の病気平癒祈願が成就したため、この楼門が寄進されました。少しでも長く、母親を生き延びさせたい秀吉の心情がよくわかる“命乞いの願文”も伏見稲荷大社には残されています。秀吉は病気平癒が叶ったら、1万石の寄進をするという約束をしていました。

伏見稲荷大社・狛狐_H27.11.07撮影

伏見稲荷大社・狛狐_H27.11.07撮影
伏見稲荷大社・狛狐 H27.11.07撮影

伏見稲荷大社では狛犬は全て狛狐です。狛狐は稲穂、巻物、鍵、玉のどれかをくわえているそうですが、楼門前の阿形の狐は玉、吽形の狐は鍵をくわえています。ちなみに打ち上げ花火の掛け声、『玉屋~鍵屋~』は、この玉から来ているそう。以前に紹介した大豊神社の狛狐は、玉と巻物でした。どこかのHPには、鍵の金具の部分が破損して巻物をくわえているように見えたのが、巻物の起源では?とも書かれていました。楼門を守る鋭い目つきの狐です。

伏見稲荷大社・随身像(左大臣)_H27.11.07撮影
伏見稲荷大社・随身像(左大臣) H27.11.07撮影

伏見稲荷大社・随身像(右大臣)_H27.11.07撮影
伏見稲荷大社・随身像(右大臣) H27.11.07撮影

楼門の左右には弓矢を持った武官の像が安置されています。これを随身(ずいしん・ずいじん)といい、高貴な人物を警護する、今でいうSPのようなものです。向かって右を左大臣、左を右大臣ともよばれています。左大臣の方が高位のため老人の姿をしており、右大臣は若者です。また、随身は左右で阿吽の相をとっています。そういえば、八坂神社の西楼門にも随身像が置かれていますね。

伏見稲荷大社・楼門(内側から)_H27.11.07撮影
伏見稲荷大社・楼門(内側から) H27.11.07撮影

1694(元禄7)年に造営された檜皮葺・切妻造の北廻廊・南廻廊二棟も楼門と共に重要文化財です。元々は築地塀だったものが、絵馬掛所として作られたものだそう。

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2016.02.27 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【門】京都の門

【門】ヴィヴィッドな国宝~西本願寺唐門・続

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西本願寺唐門外側から_H25.03.17撮影
西本願寺唐門外側から H25.03.17撮影

以前に取り上げた西本願寺唐門の記事の続編。門の内側には古代中国・三皇五帝時代の「許由、耳を洗えば単父牛をひいて帰るの図」の故事が透かし彫りにされているが、門の外側には別の故事が透かし彫りにされている。

黄石公と張良の故事・裸足で馬に乗る黄石公_H25.06.16撮影
黄石公と張良の故事・裸足で馬に乗る黄石公 H25.06.16撮影

「史記」の「留侯世家」によると秦朝末期、秦に滅ぼされた韓の若い貴族、張良は始皇帝の暗殺を計画するも失敗、名を変えて下邳に隠れる。ある日、この街の橋のたもとで、老人が橋の下に自分の履いていた靴を投げ入れ、張良に取ってくるように命じる。不本意ながらも張良は靴を取ってくると、老人はその靴を履かせるように命じ、張良はその通り従った。笑いながら去って行った老人は戻ってきて、渡したいものがあるので、張良に5日後の朝、ここに来るようにと言う。

黄石公と張良の故事・龍に乗って靴を差しだす帳良_H25.06.16撮影
黄石公と張良の故事・龍に乗って靴を差しだす張良 H25.06.16撮影

5日後、張良がやってくると老人は遅いと怒り、さらに5日後来るように言う。5日後、再び日の出前に張良が家を出ると老人は既に来ており、さらに5日後来るように言う。5日後、張良は夜中のうちに橋の袂へやってくると、やがて老人がやってきて張良に太公望の兵書を渡し、これで王者の師となれること、13年後に黄色い石に出会うが、それが自分の化身であることを告げる。老人の言葉通り張良は13年後に黄石に出会い、劉邦を補佐して秦を滅ぼし、漢の天下統一を助ける。この彫刻で、黄石公が馬、張良が龍に乗っているのは、前述のエピソードを元に作られた能の「張良」によるためである。ちなみに黄石公と張良のエピソードが門の外側に置かれているのは意味があり、これが俗世の立身出世話だから。許由と単父のエピソードが内側にあるのは、これが非俗世の話であるためだ。

孔雀_H25.06.16撮影
孔雀 H25.06.16撮影

見上げないと見えない、門扉の中央上部に置かれている羽根を広げた孔雀は今にも飛び立ちそう。羽根1枚1枚が生きているようだ。この孔雀は外側にしか置かれていない。

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2013.08.14 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【門】京都の門

【門】ヴィヴィッドな国宝~西本願寺唐門

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西本願寺唐門内側から_H24.12.24撮影
西本願寺唐門内側から H24.12.24撮影

西本願寺の唐門は、彫刻の見事さに日が暮れるまで見ていても飽きないという例えから日暮門という別名がついている。黒塗りで極彩色の彫刻に彩られた国宝は、派手すぎて一見、お寺には似合わないような印象もあるヴィヴィッドな四脚門だ。

西本願寺唐門外側から H25.03.17撮影
本願寺唐門外側から H25.03.17撮影

北小路通りに面した外側は古びた柵に1/3くらい隠されているが、かえって余計に目立っている。伏見城から移築されたと、NET上ではよく書かれているが、ウィキペディアによると、この門がどこから来たのか、もともとここにあったのかわからないらしい。確かに西本願寺のHPにも、この門の来歴は書かれていない。ただ、この派手さなら秀吉の伏見城や聚楽第にあったとしても全く不思議ではない。

西本願寺唐門 許由が頴川で耳を洗う_H25.06.16撮影
許由、耳を洗えば単父牛をひいて帰るの図の許由 H25.06.16撮影

境内側、門の向かって右には、古代中国の三皇五帝時代の故事を現わした透かし彫りがある。堯帝が許由の高潔な人柄を聞き、位を譲ろうとすると当の許由は箕山に隠れてしまった。許由をさらに高い地位で処遇しようとすると、許由は潁水のほとりで「汚らわしいことを聞いた」と川の流れで自分の耳をすすいだ故事に基づく。

西本願寺唐門 許由 耳を洗えば単父牛をひいて帰るの図_H25.06.16撮影
許由、耳を洗えば単父牛をひいて帰るの図の単父 H25.06.16撮影

一方、対になっている左側は、それを見聞きしていた伝説の隠者、単父が許由のエピソードを知り、汚れた水を牛に飲ませることはできないといって立ち去る故事を透かし彫りにしている。

西本願寺唐門・麒麟_H25.03.17撮影
西本願寺唐門・麒麟 H25.03.17撮影

雲を駈ける麒麟、恐ろしげな表情がリアルさをさらに増す。伝説の生き物の存在感があふれる。

西本願寺唐門・獅子_H25.03.17撮影
西本願寺唐門・獅子 H25.03.17撮影

体をばねの様にくねらせる獅子。今にもここから飛び出してきそうだ。

西本願寺唐門・獅子 H25.03.17撮影
西本願寺唐門・獅子 H25.03.17撮影

じっと正面を見据る獅子は表裏に各2体。4体で唐門を守護するかのようだ。

西本願寺唐門・獅子 H24.12.24撮影
本願寺唐門・扉の獅子 H24.12.24撮影

扉面にも獅子が浮き彫り。ブログ用の写真を加工していても日が暮れてしまいそうなので、この位に。豪華絢爛の桃山文化を地で行く西本願寺の唐門。写真のおかげで黒がベースのこのブログもいきなり艶やかにになったようだ。

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2013.06.03 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【門】京都の門

【門】残された遊郭の遺構~島原大門

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島原大門_H25.03.17撮影
島原大門 H25.03.17撮影

江戸の吉原、長崎の丸山とともに江戸時代の遊郭として知られているのが京都の島原。幕末物の京の舞台としても頻繁に登場する。現在の島原は、大門と揚屋(料亭)の角屋と置屋(芸妓を派遣する店)の輪違屋の遺構を残すのみ。写真の大門も現在はマンションや住宅に囲まれ、車の通過する生活道路の一部になっている。龍馬も西郷も土方もくぐったはずの歴史の遺構が、現代の日常にあたりまえのように共存している実に京都らしい風景がここにある。


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2013.04.28 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【門】京都の門

【門】参拝者を圧倒する巨大な知恩院三門

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知恩院三門_H18.03.14撮影

正面に立つと覆いかぶさってくるかのように圧倒される巨大な知恩院の三門は、元和7年(1621年)建立の国宝で日本最大の三門。奈良の法隆寺、京都の東福寺の三門と共に日本三大門に数えられるのも十分納得できる。知恩院が徳川の京都防衛の拠点とする目的があったことを考えると、門自体も武装しているかのように見える。およそ宗教施設の門としては似つかわしくない気もするが、歴史的建造物なのでよしとしよう。正面に掲げられている額には知恩院の山号「華頂山」が書かれている。

関連記事:
【段】東山・知恩院の石段


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2013.03.14 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【門】京都の門

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