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    【ト】嵯峨天皇陵から眺める嵯峨野 その2

    カテゴリ:【ト】京都のトピック
    ~京都の街で見かけた面白いもの、興味深いもの、変わったものetc...


    ミニブログコーナー:7月の3連休に奥さん同伴で大阪・京都を2泊3日で旅行することになりました。京都は問題ないのですが、大阪があまりよくわからず、どうしようかなって感じです。海遊館と行けたら吉本新喜劇、夜は新世界か道頓堀というベタなプランを計画中です。暑いし、奥さん同伴なのでかなり余裕を持ったスケジュールです。
    嵯峨天皇陵から見える嵯峨野_H31.02.10撮影
    嵯峨天皇陵から見える嵯峨野 H31.02.10撮影

    この辺りから嵯峨野を一望することができます。これは登ったものにしか味わえない素晴らしい風景!嵐山公園から見える保津峡法輪寺から見る渡月橋と並んで、私が好きな嵯峨嵐山の風景の一つです。

    嵯峨天皇陵から見える嵯峨野_H31.02.10撮影
    嵯峨天皇陵から見える嵯峨野 H31.02.10撮影

    多少わかりづらいかもしれないので、テキストを入れてみました。手前の右手は大覚寺の境内地で、大沢池と心経宝塔が見えます。中央左手くらいは広沢池で、観音島は木に隠れて見えません。この時期の広沢池は鯉揚げのため水が抜かれているので、池底が露出しています。また針より細く見える、毛先のような白い線は京都タワーです。

    嵯峨天皇陵から見える嵯峨野_H30.06.16撮影
    嵯峨天皇陵から見える嵯峨野 H30.06.16撮影

    こちらは以前、新緑の時期の天気が良い日に撮影した写真です。広沢池の水が青く、新緑の美しいさわやかな風景です。大沢池はおそらく蓮の葉が開いているせいで見えていないと思います。

    嵯峨天皇陵から見える広沢池_H31.02.10撮影
    嵯峨天皇陵から見える広沢池 H31.02.10撮影

    広沢池をアップにしてみました。先ほど書きましたが、現在、広沢池は水を抜いて、鯉やもろこを収穫する"鯉揚げ"を12月~3月ぐらいまで行っています。水が無いので池底がそのまま見えている状態、左側から池に流れ込むような形状をしているのが遍照寺山です。

    嵯峨天皇陵から見える大覚寺_H31.02.10撮影
    嵯峨天皇陵から見える大覚寺 H31.02.10撮影

    大覚寺の境内からは、赤い心経宝塔が顔を出しています。碧の水をたたえた大沢池は半分ほど見える状態です。

    嵯峨天皇陵から見える京都タワー_H31.02.10撮影
    嵯峨天皇陵から見える京都タワー H31.02.10撮影

    東山連峰の手前にぼんやりと見えている京都タワーは、ここから直線距離で約9.2キロほどになります。ここからさらに登っていくと、木が無いこの方角の斜面で、この素晴らしい風景を楽しむことができます。

    嵯峨天皇陵山頂付近_H31.02.10撮影
    嵯峨天皇陵山頂付近 H31.02.10撮影

    500段を越してようやく山頂の鳥居が見えてきました。石段の段差の部分も608段目から石質が赤っぽいものに変わってきて、620段目からは石畳になりました。

    嵯峨天皇陵山頂付近_H31.02.10撮影
    嵯峨天皇陵山頂付近 H31.02.10撮影

    532段で頂上に着きました。取材をしながら登って、上まで30分程度です。写真は最上段から下を見たものですが、626段目辺りには宮内庁の管理用の小屋があります。

    嵯峨天皇陵_H31.02.10撮影
    嵯峨天皇陵 H31.02.10撮影

    生垣に囲まれ、山頂に厳かに佇む白い鳥居のある場所が嵯峨天皇陵です。決して交通の便が良いところにあるとは言えませんが、清潔に整えられていて、山を登った達成感と共に実に清々しい気持ちになります。まずは陵に手を合わせました。

    嵯峨天皇陵・駒札_H31.02.10撮影
    嵯峨天皇陵・駒札 H31.02.10撮影

    陵の手前にある駒札で、この陵墓が宮内庁の管理下にあることが示されています。検索してみると、京都市伏見区にある桃山陵墓監区事務所が管理しているそうです。

    嵯峨天皇陵・脇の小路_H31.02.10撮影
    嵯峨天皇陵・脇の小路 H31.02.10撮影

    陵の裏手に回れるような小路がありました。特に立ち入りが制限されているわけでもなく、誰でも通れるような道なので、御陵に向かって左側から入ってみました。

    嵯峨天皇陵・脇の小路_H31.02.10撮影
    嵯峨天皇陵・脇の小路 H31.02.10撮影

    何やらこの先には、池のようなものがあると聞いたことがあります。WEBで検索すると、心霊スポットや呪われた池、血の池などの物騒な言葉が出てきました。小さな二十数段の階段を上っていく感じです。

    嵯峨天皇陵・裏手_H31.02.10撮影
    嵯峨天皇陵・裏手 H31.02.10撮影

    確かに池のようなものはありましたが、水が少なく水たまりのようなイメージです。昼でも木が多くて、周囲の山もよく見渡せません。そんな風景から、物騒な噂が生まれたのでしょう。ここから先はぐるりと回って、御陵の正面に戻り,山を下りました。

    嵯峨天皇陵から見える桂川_H31.02.10撮影
    嵯峨天皇陵から見える桂川 H31.02.10撮影

    山を下りる際、下から数えて470段辺りのところで木々の間から、わずかに桂川が見えるのに気づきました。渡月橋の下流、川が湾曲している辺りではないでしょうか。
    嵯峨天皇陵:京都府京都市右京区北嵯峨朝原山町
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    テーマ:京都 - ジャンル:地域情報

    2019.05.19 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【ト】京都のトピック

    【ト】嵯峨天皇陵から眺める嵯峨野 その1

    カテゴリ:【ト】京都のトピック
    ~京都の街で見かけた面白いもの、興味深いもの、変わったものetc...


    ミニブログコーナー:サザンのツアー、5/11のメットライフドームに行ってきました。抽選なので偶然とは言え、令和初のサザンのライブに参加できたことはとても嬉しかった!ネタバレしないように詳しいことは書けませんが、緩急巧みなライブ構成とサザンメンバー、サポートメンバーの熱演に心の汗をたくさん流してまいりました。ライブ時間はなんと3時間半!サザンメンバーの年齢を考えるとこれはすごいことですよ。サザンオールスターズ40周年、本当におめでとうございます。そしてこれからも夫婦でついていきます。

    (ブラウザがIEの場合表示されないことがあります。)

    嵯峨天皇陵は大覚寺の北西にある朝原山(御廟山)の山頂にあります。宮内庁のHPによると"市バス・京都バス「大覚寺」下車 大覚寺門前から山上へ徒歩30分"。大覚寺から向かうのであれば、大覚寺の西側から2本目の道を北上するとわかりやすいです。今回3回目の訪問でようやく記事にすることが出来ました。

    嵯峨天皇陵・入口_H31.02.10撮影
    嵯峨天皇陵・入口 H31.02.10撮影

    歩いて行くにはやや遠く、車で行っても駐車場が無いので、私は自転車で行きました。陵の入口にはちょっとしたスペースがあるのですが、柵があって車は中に入れません。私はこのスペースに自転車を止め、荷物を持って登れそうにはないので、バッグは自転車の鍵の所に無理やり括り付けました。

    嵯峨天皇陵・入り口の碑_H31.02.10撮影
    嵯峨天皇陵・入り口の石碑 H31.02.10撮影

    正式名称は嵯峨山上陵(さがのやまのえのみささぎ)です。入口の石段の脇には、1928(昭和3)年に建立の"嵯峨天皇嵯峨峩山上陵参拝道"と記された案内の道標が建てられています。

    嵯峨天皇陵・最初の石段_H31.02.10撮影
    嵯峨天皇陵・最初の石段 H31.02.10撮影

    最初の二十三段は石段です。私としては、嵯峨天皇は"時代劇の聖地"大覚寺の前身、嵯峨院を造営した人物で、時代劇に大きな功績を残した人物だと思っていますので、感謝の気持ちで登っていきます。

    嵯峨天皇陵・最初の石段_H25.0616撮影
    嵯峨天皇陵・最初の石段_H25.0616撮影

    ちなみに2013(平成25)年の初夏に訪れた時は、土砂崩れで参拝が中止されていました。十分整備はされていますが、軽い山登りにはなるので、行かれる方は心して登って下さい。トレーニングで上り下りする、地元の方もよく見かけます。ちなみに街灯などはないので夜は登らない方がいいと思います。

    嵯峨天皇陵_H31.02.10撮影
    嵯峨野から見える嵯峨天皇陵 H31.02.10撮影

    つづら折りの参道は嵯峨野からも見ることができます。こちらの写真は大覚寺と広沢池を結ぶ県道29号線から見た風景です。

    嵯峨天皇陵・石段_H31.02.10撮影
    嵯峨天皇陵・石段 H31.02.10撮影

    最初の石段を過ぎると、あとは細かい砂利が引かれた階段が頂上までつづら折りになっています。国土地理院の地図で見ると朝原山の標高は190m程です。

    嵯峨天皇陵・トイレ?_H31.02.10撮影
    嵯峨天皇陵・トイレ? H31.02.10撮影

    162段目で男性のトイレマークが掲示された場所がありました。特に便器らしきものはないですが、ここで用を足してもよいということでしょうか?(数え損ねたりしたものもあるので、ここから段数はおおよその段数と思って下さい。)

    嵯峨天皇陵・山肌_H31.02.10撮影
    嵯峨天皇陵・山肌 H31.02.10撮影

    206段目の手すりが始まる場所から、10段ほど上がると山肌の木が無くなっていて、景色が開けている場所があります。

    嵯峨天皇陵・山肌_H31.02.10撮影
    嵯峨天皇陵・山肌 H31.02.10撮影

    この傾斜の部分はは上の方まで木がありません。風景が綺麗に見える場所です。嵯峨野から見えたのはこのあたりでしょう。(続く)
    嵯峨天皇陵:京都府京都市右京区北嵯峨朝原山町
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    テーマ:京都 - ジャンル:地域情報

    2019.05.14 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【ト】京都のトピック

    【ト】もうすぐ見られなくなる先斗町の〇〇

    カテゴリ:【ト】京都のトピック
    ~京都の街で見かけた面白いもの、興味深いもの、変わったものetc...


    ミニブログコーナー:本年も最後の更新となりました。1年間お付き合いいただいた皆様、ありがとうございます。仕事や家庭の関係で結局、今年は京都に一度しか行けませんでしたが、京都愛は変わっておりません。来年も"魂京都"をぜひぜひよろしくお願い申し上げます。
    京都五花街の一つ、先斗町(ぽんとちょう)にはちょっと面白いものがあります。しばらくすると、もう見ることができなくなくなってしまう"それ"を今回はご紹介しようと思います。

    先斗町入り口(四条通り側)_H30.06.15撮影
    先斗町入り口(四条通り側) H30.06.15撮影

    まずは四条通側の入口から、先斗町に入っていきます。"ぽんと"という名の由来は、ポルトガル語"PONTA"(先の意)に由来するという説や、この地域が鴨川と高瀬川に挟まれていることから、皮と皮に挟まれた鼓の"ぽん"となる音にかけたという説など、諸説あります。

    先斗町入り口付近(四条通り側)_H30.06.15撮影
    先斗町入り口付近(四条通り側) H30.06.15撮影

    車の入って来ないこの細い通りは、京都の中でも独特の雰囲気を持っていて、およそ500mほどのこの通りには多くの飲食店が立ち並び、ランチやディナーに多くの人が訪れます。細い道なので、週末の夜などは大体人であふれているのもこの通りの特徴でしょう。

    先斗町通り_H26.12.06撮影
    先斗町通り入り口付近(四条通り側) H26.12.06撮影

    以前に撮影した写真ですが、人気(ひとけ)が無い日中の先斗町通です。静かな時間帯には、三味線の稽古の音が聞こえてくることも。ちなみに実際には先斗町という町は存在しません。花街及びと通りの名として先斗町という名前が現存しています。

    先斗町から鴨川_H30.06.15撮影
    先斗町から鴨川を臨める路地 H30.06.15撮影

    先斗町から鴨川_H31.02.09撮影
    路地から鴨川を H31.02.09追加取材時に再撮影

    入口から100m弱で、右手に入れる路地があります。写真の通り、祠がある場所です。両脇に店が立ち並ぶ先斗町で、店に入らなくとも鴨川を眺めることのできる場所は、こことこの先の先斗町公園だけです。

    先斗町6本目の電柱_H30.06.15撮影

    先斗町6本目の電柱_H30.06.15撮影
    先斗町6本目の電柱 H30.06.15撮影

    先斗町に入ってから右側に建っている6本目の電柱、この時は売り物件になっている建物の前に建っていますが、これが今回のテーマになります。電柱は普通、まっすぐなものですが、この電柱はなぜか途中からぐにゃりと曲がっているのです。

    先斗町1本目の電柱 H31.02.09撮影
    先斗町1本目の電柱 H31.02.09追加取材時に再撮影

    ちなみに四条通り入り口に立つ1本目の電柱はこの通り、あずき色の金属製でまっすぐなものです。先斗町通は道幅が狭いため、左右ギリギリの位置に電柱を建てざるを得ません。そのため電柱が、屋根や庇にぶつからないためにこんな珍しい形状をしているのです。今回はこの曲がった電柱をチェックしていきたいと思います。
    *電柱の本数表記は、ノーマルなものも含めて四条通り側の入り口から何本目という表現です。

    先斗町8本目の電柱_H30.06.15撮影
    先斗町8本目の電柱 H30.06.15撮影

    こちらは、小花というスナックの前に立つ、入り口から8本目の電柱です。この曲がった電柱の正式名称は地上S型組立鋼管柱といい、1984(昭和59)年に建てられたものです。この日(H30.06.15)は18時を過ぎたのでそろそろ暗くなってきました。灯がそろそろ点き出します。

    先斗町8本目の電柱前の通路_H30.06.15撮影
    先斗町8本目の電柱前の通路 H30.06.15撮影

    8本目から5m程戻った、向かいの六伝屋とまんざら亭の間には通路があります。先斗町は西側の木屋町通りと何本かの路地で繋がっており、こちらもその一つです。この通路にはお店はありませんが、中にはお茶屋がありました。住居表示にも注目です。

    先斗町公園_H31.02.09撮影
    先斗町公園 H31.02.09撮影追加取材時に再撮影

    30mほど歩くと先斗町公園ですが、こちらの一部が電柱工事の基地になっていました。 冒頭で"しばらくすると見られなくなる"と書きましたが、現在、先斗町では全ての電柱や電線の地下化工事が進められているのです。

    先斗町公園・工事の案内_H30.06.15撮影
    先斗町公園・工事の案内_H30.06.15撮影

    以前、大阪に住む叔父が、京都は観光地なのに電線が非常に乱雑に張られていて見苦しいと言っていたことを思い出しました。京都市が先斗町で行っているこの事業は2020(平成32)年、オリンピックの年の春に完成予定です。

    先斗町11本目の電柱_H30.06.15撮影
    先斗町11本目の電柱 H30.06.15撮影

    11本目 は和中創作料理の華めぐりという店の前。 電柱は店の看板の中から顔を出し、表面が今までのものとは違っています。

    先斗町11本目の電柱_H30.06.15撮影
    先斗町11本目の電柱 H30.06.15撮影

    近くで見ると2階あたりまで、電柱を竹でカバーでしているのがわかりました。古都ならではの、少しでも景観に配慮した街づくりへのが感じられます。

    先斗町12本目の電柱_H30.06.15撮影
    先斗町12本目の電柱 H30.06.15撮影

    12本目の電柱からは、位置が通りの左側になりました。右側に建てるのが難しかったので左側になったのでしょうか。駿河屋という羊羹の店です。

    先斗町12本目の電柱_H31.02.09撮影
    先斗町13本目の電柱 H31.02.09追加取材時に再撮影

    13本目はここら屋という居酒屋と吉田というお茶屋のちょうど間に立っています。建てる場所に合わせて、曲がる位置が今までのものよりも高い位置にあり、こちらも竹のカバーが付けられていました。

    先斗町13本目の電柱_H30.06.15撮影
    先斗町13本目の電柱 H30.06.15撮影

    13本目の電柱は壁があるために、南側からだとよく見えません。反対の北側から撮影してみました。

    先斗町歌舞練場_H30.06.15撮影
    先斗町歌舞練場 H30.06.15撮影

    先斗町歌舞練場の辺りで先斗町通は終わりです。先斗町通りには全部で17本の電柱があり、そのうちの5本が曲がった電柱でした。再来年にはなくなってしまうこの電柱を、先斗町に立ち寄った際はぜひ眺めて見て下さい。
    H30.6.15取材/H30.12UP/H31.02.09追加取材/H30.2写真入替と追加・加筆修正再UP


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    2018.12.25 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【ト】京都のトピック

    【ト】道路だけの町、桑原町

    カテゴリ:【ト】京都のトピック
    ~京都の街で見かけた面白いもの、興味深いもの、変わったものetc...


    ミニブログコーナー:今回は魂京都初の大作です。初めは大した記事にならないかと思いましたが、作っているうちにハマってしまいました。学問的に正しい検証になったかどうかはわかりませんが、ご覧頂ければ幸いです。地図の掲載許可を下さった立命館大学アート・リサーチセンター、京都大学文学研究科、京都市都市計画局の皆様、ご協力ありがとうございました。

    京都地方裁判所_H30.06.15撮影
    京都地方裁判所 H30.06.15撮影

    京都に町域が道路だけしかないという、変わった町があると聞いて、中京区の京都地方裁判所までやってきました。裁判所の前は御所の南端を東西に走る丸太町通りです。

    (ブラウザがIEの場合表示されないことがあります。)

    グーグルマップで地図を表示するとこの通りです。ピンク色の部分が町域を表していますが、町の90%以上が、裁判所前の丸太町通りとその歩道になっています。もちろんこれでは人は住めません。

    裁判所前バス停(北側)_H30.06.15撮影
    裁判所前バス停(北側) H30.06.15撮影

    町域に唯一ある施設は裁判所前バス停ですが、東に向かう北側(京都御苑側)のバス停のみが町域に含まれ、南側のバス停は中京区四丁目というこれまた変わった名前の町に含まれています。ちなみに裁判所の公式の所在地は中京区菊屋町(番地なし)です。

    (ブラウザがIEの場合表示されないことがあります。)

    グーグルマップを航空写真にしてみると、桑原町の北側は京都御苑の森の緑がとても印象的です。ちなみに桑原町はなんと郵便番号(604-0976)も割り振られています。(証拠) 町の形は逆鍵かっこ型の桑原町、どうしてこのような町が出来たのでしょうか。

    桑原町(東側から)_H30.06.15撮影
    桑原町(東側から) H30.06.15撮影

    2018年3月6日の乗り物ニュースの記事によると京都歴史資料館の話として、元々、町があった場所にあった丸太町通りの幅が次第に広がり、町の名前だけが残ったのではないかと書かれています。確かに丸太町通りは道幅も広いので、この話は納得できるものがあります。

    桑原町(西側から)_H30.06.15撮影
    桑原町(西側から) H30.06.15撮影

    かつての京都の街割りは碁盤の目のような街路で編成され、一つの路を挟んでその両側で一つの町(両側町)を形成したと云います。丸太町通りの幅が広がり、桑原町が道に呑まれる形で、このような町が誕生したのでしょうか。

    桑原町_昭和28年(都市計画)
    1953(昭和28)年京都市都市計画基本図【立命館大学アート・リサーチセンター提供】
     【この地図は京都市発行の都市計画基本図(縮尺1/3,000)を参考にし、作成したものです。】

    1953(昭和28)年の地図を入手しました。この時点では現在とほぼ同じ場所に桑原町が存在しているのが確認できます。町の形が長方形です。京都地方裁判所の庁舎は旧庁舎になります。(現在の庁舎は2001(平成13)年11月に竣工)

    桑原町_昭和26年頃京都市明細図(総合資料館版)
    1951(昭和26)年頃の京都市明細図(総合資料館版) 【立命館大学アート・リサーチセンター提供】

    さらに2年遡ります。裁判所の形や桑原町の形、大きさが変わっていますが、これは地図が手書きのためでしょうか。柳馬場通り、富小路通り、麩屋町通りの名前が確認できます。

    桑原町_昭和10年(都市計画)
    1935(昭和10)年京都市都市計画基本図【立命館大学アート・リサーチセンター提供】
     【この地図は京都市発行の都市計画基本図(縮尺1/3,000)を参考にし、作成したものです。】

    戦前のものになりますが、1953(昭和28)年のものとほぼ同じです。そのため、この前の1951(昭和26)年のものの町の大きさや形に変化があったことは、手書きだったために無視してよいことが明らかです。

    桑原町_昭和4年(都市計画)
    1929(昭和4)年京都市都市計画基本図【立命館大学アート・リサーチセンター提供】
     【この地図は京都市発行の都市計画基本図(縮尺1/3,000)を参考にし、作成したものです。】

    ここで桑原町の名前が來原町になっていました。また町の境界線の南側と東側が無くなり、桝屋町との境界があいまいになりました。

    桑原町_昭和2年(長谷川家版)
    1927(昭和2)年京都市明細図(長谷川家版)【立命館大学アート・リサーチセンター提供】

    2年前に遡ると、來原町の表記が桑原町に戻っていました。境界はしっかり描かれており、町の形は1951(昭和26)の地図の正方形に近い形です。

    桑原町_大正11年(都市計画)
    1922(大正11)年京都市計画基本図【京都大学文学研究科所蔵】【立命館大学アート・リサーチセンター提供】

    1929(昭和4)年のものと同じもののですようですが、境界線がこの地図では描かれています。町名はこの地図ではまた來原町です。丸太町通りが拡張されたのは、1895(明治28)年の第2代京都市長西郷菊次郎の京都三大事業によるものなので、これ以前の地図があれば丸太町通りの両側に町があったことがわかるかもしれません。

    桑原町_幕末
    桑原町 幕末
    (こちらの地図は非常にアバウトな形で掲載許可を頂いたので出元を公表することができません。)

    幕末のものになります。富小路と柳馬場に挟まれた部分に、桑原町を見つけることが出来ました。過去の來原町の表記は誤植ということでしょう。丸太町通りの表記がないので、町が路に呑み込まれたかどうかはわかりませんが、幕末に桑原町が存在していたことだけはわかりました。

    京大江図_1686(貞享3)年
    新撰増補京大絵図 【国立国会図書館デジタルコレクション

    江戸中期の古地図です。"禁裏""東宮様"の位置から"黒門"が堺町御門です。そこから南東の方向に"くハはら丁"(桑原町 黄色の横線)の表記がありました。丸太町通は縦に書かれていますが、桑原町と書かれている通りが丸太町通でしょう。また縦に"柳のはゝ二丁め"(柳の馬場二丁目 青線)と橘町の位置が、現在の柳馬場通と橘町の位置にあるのも確認できます。
    (地図の文字の解読はwebで教えていただきました。)

    この地図では、黄土色部分が路(通り)、白抜き部分が建物などの敷地を表しています。各町の名前が路の上に書かれていること、京都の町割りが両側町で構成されていることを考えると、桑原町は"くハはら丁"と書かれた部分の南北両側の白抜きの半分づつで構成されていたと考えられないでしょうか。

    天正の地割_wikipediaより
    Wikipedia 天正の地割より

    こちらは1590(天正18)年に豊臣秀吉によって行われた天正の地割(じわり)前後の京都の町と通りの変化を比較したものです。天正の地割では南北に通りが追加され、今までの空地が町になりました。

    天正の地割_wikipediaより
    Wikipedia 天正の地割より

    先ほどの地図を地割以後に当てはめると、ピンクが枡屋町、黄色が柳馬場二丁目、水色が舟屋町、青が魚屋町、緑が桑原町に当てはまります。かつて丸太町通りを挟んで、桑原町という実際に人が住んでいる町が確かにあったということにはならないでしょうか。今回の探索はここまでです。

    Sugawara Michizane
    菊池容斎による菅原道真像(Wikipedia 菅原道真より)

    最後に桑原町の伝説について。桑原という場所はかつて菅原道真の屋敷もしくは領地があった場所なので、死後、日本三大怨霊となった道真も桑原だけには雷を落とさなかった、そのために雷が鳴ると「くわばら、くわばら」と唱えるようになったという説があります。その桑原がこの桑原町なのかどうか。

    まずこの桑原町に菅原道真の屋敷か領地があったのかということですが、道真が平安京の内部に領地をもつというのも不自然なので、あるとしたら館があったのだと思います。ちょうど良いことに国会図書館のHPにこのようなものがありました。

    (ブラウザがIEの場合表示されないことがあります。)

    菅原道真が太宰府に左遷される前に住んでいた屋敷跡はどこか。
    道真が長じてから住んでいた京都の居宅は、梅が植えられていたところから「紅梅殿」と呼ばれていた。『京都の歴史』には、「紅梅殿は『拾芥抄』によると綾小路・五条坊門・町尻・西洞院に囲まれた地域で」とあり、現在の北菅大臣神社(きたかんだいじんじんじゃ 下京区仏光寺通新町西入)の位置に当たる。ただし、紅梅殿の跡地には、まず菅大臣神社が建てられ、元禄年間に、紅梅殿のすぐ南の一角にあたる天神御所の敷地内に移された。
    国立国会図書館レファレンス共同データベース

    菅大臣社_H31.02.08撮影
    菅大臣神社 H31.02.08撮影(追加取材)

    ここから先は私の想像になってしまいますが、現在の菅大臣神社及び北菅大臣神社は、桑原町とは全く違う場所にあります。道真の住んでいた屋敷が1か所だけではないのかもしれませんが、桑原町に道真と関連する何かがあったという話は、少なくともWEB上では見当たらなかったので、この桑原町のことではないように思えます。

    北菅大臣社_H31.02.08撮影
    北菅大臣神社 H31.02.08撮影(追加取材)

    全国に桑原という土地は何か所かあり、道真が流された大宰府の近く、現在の福岡県福岡市西区に桑原という土地もあります。また丹波の桑原に道真の領地があったと書かれたものもありました。道真の領地について、はっきりした文献は残っていないようです。

    Kitano Tenjin Engi Emaki - Jokyo - Thunder God
    Kitano Tenjin Engi Emaki - Jokyo - Thunder God2
    『北野天神縁起絵巻』に描かれた、清涼殿落雷事件(Wikipedia 清涼殿落雷事件より)

    しかし、恨みを飲んで死んだ道真が雷神となったという風説のきっかけは、930(延長8)年の清涼殿落雷事件になります。生々しく落雷を目の当たりにした平安京の住人たちからすると、丹波や九州の桑原というのは少し身近でないような気がします。

    蚕とクワ_wikipediaより
    蚕とクワ(Wikipedia カイコより)

    そこで私は、和泉の西福寺に伝わる雷井戸の伝説が、"雷が鳴るとクワバラ説"のもとなのではないかと考えています。いずれにしても絹は絶縁体としても使われますが、絹は桑の葉を食べて育つ蚕からできることを考えると、電気の知識が無い時代にこのような伝承がうまれたのは少し不思議な気がしました。
    桑原町:京都市中京区桑原町(地図 *宝ヶ池の北に左京区岩倉南桑原町という町もありますがこちらは違います。)
    H30.6.15(桑原町)取材、H31.02.08(菅大臣社・北菅大臣社)追加取材/H30.11月UP/H31.2写真入替と追加・加筆修正/H31.2再UP


    テーマ:京都 - ジャンル:地域情報

    2018.11.04 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【ト】京都のトピック

    【ト】京の郵便あれこれ・・・その2

    カテゴリ:【ト】京都のトピック
    ~京都の街で見かけた面白いもの、興味深いもの、変わったものetc...


    ミニブログコーナー:この間からNHKで雲霧4が始まりました。"山崎"仁左衛門信者の私としては非常に複雑な気持ちです。3もそうですが4をやるなんて、山崎仁左衛門に対する冒とくだとは言いながらもついつい見てしまうんですよね。製作は松竹で配役も良いし、ストーリーが面白いからでしょうか、自分の中では、別のパラレルワールドの中の物語と折り合いをつけています。
    花見小路の郵便ポスト_H30.6.15撮影
    花見小路の郵便ポスト H30.6.15撮影

    花見小路の雑踏の中に佇む郵便ポストです。"ステーキハウスよしだ"と"吉うた"というお茶屋の境目位に設置されていますが、まさに"佇む"という表現がぴったり。祇園の街並みに見事に溶け込んでいますが、もちろん現役で使われているポストです。

    花見小路の郵便ポスト_H30.6.15撮影
    花見小路の郵便ポスト H30.6.15撮影

    花見小路なので、常時車と人が途切れることが無いのですが、一瞬を狙って撮影してみました。写真に写っていない部分には実は人がたくさんいます。

    花見小路の郵便ポスト_H30.6.15撮影
    花見小路の郵便ポスト H30.6.15撮影

    これも京都駅前と同様に郵便差出箱1号(丸型)と思われるのですが、帽子にあたる部分にベレー帽のてっぺんについてるような"へた"のようなものがあります。

    町頭町の郵便ポスト_H30.6.15撮影
    町頭町の郵便ポスト H30.6.15撮影

    こちらは"新町通姉小路通下る"の辺りで売り物件になっている町家の前、植木をカモフラージュにして立っている郵便ポストです。町名で言うと中京区町頭町、地域で言うと烏丸御池エリアの西南方面になります。以前ここの町家には"新町1888"というホテルオークラプロデュースのカフェがありました。

    町頭町の郵便ポスト_H30.6.15撮影
    町頭町の郵便ポスト H30.6.15撮影

    こちらも郵便差出箱1号(丸型)で、この写真ではわかりづらいのですがヘタ付です。しかし随分と退色が進んでいてる感じがします。現役ポストの塗装の艶々感がありません。

    町頭町の郵便ポスト・説明_H30.6.15撮影
    町頭町の郵便ポスト・説明書 H30.6.15撮影

    それもそのはず足元に置かれている説明書きによると、こちらのポストは保存用として街頭に展示されていると書かれていました。京都ではこの場所に最初にポストが設置されたのだとか。もう現役ではないのに街頭に立っているポストのOBです。

    祇園郵便局_H30.6.15撮影
    祇園郵便局 H30.6.15撮影

    こちらは祇園郵便局。パステルブルーとえんじ色の配色、三角屋根もノスタルジックです。周辺に遠慮するようにこじんまりと立っているのが可愛らしい。ちなみにこの辺りは、祇園の歓楽街なので向かいはキャバクラです。

    中京郵便局_H30.6.15撮影
    中京郵便局 H30.6.15撮影

    同じく局舎が特徴的なのは、三条通東洞院に建つ中京郵便局です。三条通は近代建築を数多く残していることで知られていますが、赤レンガでネオルネサンス様式の局舎は1902(明治35)年建造のもの。京都市の登録有形文化財になっています。

    中京郵便局・風景印_H31.02.24撮影

    中京郵便局・風景印 H31.02.24撮影(次回上洛時に再取得)

    こちらは中京郵便局の風景印です。歴史的建造物である中京郵便局の局舎そのものが図案になっています。

    中京郵便局の自動ドア_H30.06.15撮影
    中京郵便局の自動ドア H30.06.15撮影

    入り口の自動ドアは一般的な引き戸タイプではなく、開き戸タイプになっていました。私の想像ですが、建物の構造になるべく手を加えずに建物を活用しているのでしょう。

    京都洛北高校前郵便局・風景印_H30.09.17撮影
    京都洛北高校前郵便局・風景印 H30.09.17撮影

    最後に風景印を二つ。こちらは下鴨本通北大路にある洛北高校前郵便局のものです。小さい郵便局ですが、風景印がしっかりあります。デザインは京都府の花である枝垂れ桜と五山の送り火"妙"。川は位置的に賀茂川を描いていると思われます。

    京都三条大橋郵便局・風景印_H30.09.17撮影
    京都三条大橋郵便局・風景印 H30.09.17撮影

    こちらは三条大橋郵便局です。2016(平成28)年に意匠が変わったもので"鴨川にかかる三条大橋をモチーフに京都の風景を描く"
    と説明がありました。浮世絵風ですが、必殺ファンなら後ろから火で炙りたくなります(笑)

    以上今回は、京都の郵便に関するあれこれ、小ネタをお届けいたしました。

    以下、追記

    京都中数珠屋町郵便局・風景印_H31.02.24撮影
    京都中数珠屋町郵便局・風景印 H31.02.24撮影

    H31.2.8の上洛時に入手した、中数珠屋町郵便局の風景印です。東本願寺の御影堂がデザインされています。失礼を承知で、この郵便局になぜ風景印があるのかをお尋ねしたところ、近くに東本願寺があるので信徒の方の記念のためにだそうです。


    H30.6.14~6.16取材 H30.10UP/H31.2.8追加取材 H31.2写真追加・加筆

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    2018.09.30 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【ト】京都のトピック

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