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【ト】もうすぐ見られなくなる先斗町の〇〇

カテゴリ:【ト】京都のトピック
~京都の街で見かけた面白いもの、興味深いもの、変わったものetc...


ミニブログコーナー:本年も最後の更新となりました。1年間お付き合いいただいた皆様、ありがとうございます。仕事や家庭の関係で結局、今年は京都に一度しか行けませんでしたが、京都愛は変わっておりません。来年も"魂京都"をぜひぜひよろしくお願い申し上げます。
京都五花街の一つ、先斗町(ぽんとちょう)にはちょっと面白いものがあります。しばらくすると、もう見ることができなくなくなってしまう"それ"を今回はご紹介しようと思います。

先斗町入り口(四条通り側)_H30.06.15撮影
先斗町入り口(四条通り側) H30.06.15撮影

まずは四条通側の入口から、先斗町に入っていきます。"ぽんと"という名の由来は、ポルトガル語"PONTA"(先の意)に由来するという説や、この地域が鴨川と高瀬川に挟まれていることから、皮と皮に挟まれた鼓の"ぽん"となる音にかけたという説など、諸説あります。

先斗町入り口付近(四条通り側)_H30.06.15撮影
先斗町入り口付近(四条通り側) H30.06.15撮影

車の入って来ないこの細い通りは、京都の中でも独特の雰囲気を持っていて、およそ500mほどのこの通りには多くの飲食店が立ち並び、ランチやディナーに多くの人が訪れます。細い道なので、週末の夜などは大体人であふれているのもこの通りの特徴です。

先斗町通り_H26.12.06撮影
先斗町通り入り口付近(四条通り側) H26.12.06撮影

以前に撮影した写真ですが、人気(ひとけ)が無い日中の先斗町通です。静かな時間帯には、三味線の稽古の音が聞こえてくることも。ちなみに実際には先斗町という町は存在しません。花街及びと通りの名として先斗町という名前が現存しています。

先斗町から鴨川_H30.06.15撮影

先斗町から鴨川_H30.06.15撮影
先斗町から鴨川 H30.06.15撮影

入口から100m弱で、右手に入れる場所があります。写真の通り、犬矢来の先に祠がある場所です。両脇に店が立ち並ぶ先斗町で、店に入らなくとも鴨川を眺めることのできる場所は、この先の先斗町公園だけです。

先斗町6本目の電柱_H30.06.15撮影

先斗町6本目の電柱_H30.06.15撮影
先斗町6本目の電柱 H30.06.15撮影

先斗町に入ってから右側に建っている6本目の電柱、この時は売り物件になっている建物の前に建っていますが、これが今回のテーマになります。電柱は普通、まっすぐなものですが、この電柱はなぜか途中からぐにゃりと曲がっているのです。
*ここから先、電柱の本数表記は、ノーマルなものも含めて四条通り側の入り口から何本目という表現です。

先斗町8本目の電柱_H30.06.15撮影
先斗町8本目の電柱 H30.06.15撮影

こちらは串カツワインの店・侘家洛中亭の前、入り口から8本目の電柱です。先斗町通は道幅が狭いため、左右ギリギリの位置に電柱を建てざるを得ません。そのため電柱が、屋根や庇にぶつからないためにこんな珍しい形状をしているのです。正式名称は地上S型組立鋼管柱といい、1984(昭和59)年に建てられたとのこと。8時を過ぎたのでそろそろ暗くなってきました。灯がそろそろ点き出します。

先斗町8本目の電柱前の通路_H30.06.15撮影
先斗町8本目の電柱前の通路 H30.06.15撮影

向かいの六伝屋とまんざら亭の間には通路があります。先斗町は西側の木屋町通りと何本かの路地で繋がっており、こちらもその一つです。この通路にはお店はありませんが、中にはお茶屋がありました。住居表示にも注目です。

先斗町公園_H30.06.15撮影
先斗町公園 H30.06.15撮影

30mほど歩くと先斗町公園ですが、こちらの一部が電柱工事の基地になっていました。 冒頭で"しばらくすると見られなくなる"と書きましたが、現在、先斗町では全ての電柱や電線の地下化工事が進められているのです。

先斗町公園・工事の案内_H30.06.15撮影
先斗町公園・工事の案内_H30.06.15撮影

以前、大阪に住む叔父が、京都は観光地なのに電線が非常に乱雑に張られていて見苦しいと言っていたことを思い出しました。京都市が先斗町で行っているこの事業は2020(平成32)年、オリンピックの年の春に完成予定です。

先斗町11本目の電柱_H30.06.15撮影
先斗町11本目の電柱 H30.06.15撮影

11本目 は和中創作料理の華めぐりという店の前。 電柱は店の看板の中から顔を出し、表面が今までのものとは違っています。

先斗町11本目の電柱_H30.06.15撮影
先斗町11本目の電柱 H30.06.15撮影

近くで見ると2回あたりまでを竹でカバーでしているのがわかりました。古都ならではの、少しでも景観に配慮した街づくりへのが感じられて嬉しくなります。

先斗町12本目の電柱_H30.06.15撮影
先斗町12本目の電柱 H30.06.15撮影

12本目の電柱からは、位置が通りの左側になりました。右側に建てるのが難しかったので左側になったのでしょうか。駿河屋という羊羹の店です。

先斗町13本目の電柱_H30.06.15撮影
先斗町12本目の電柱 H30.06.15撮影

13本目はここら屋という居酒屋の前。建てる場所に合わせて、曲がる位置が今までのものよりも高い位置にあります。こちらも竹のカバーが。電柱が壁とほとんどくっついて建っているために北側から撮影していますが、立っている位置は12本目と同じ通りの左側です。

先斗町歌舞練場_H30.06.15撮影
先斗町歌舞練場 H30.06.15撮影

先斗町歌舞練場の辺りで先斗町通は終わりです。先斗町通りには全部で16本の電柱があり、そのうちの5本が曲がった電柱でした。再来年にはなくなってしまう電柱を、先斗町に立ち寄った際はぜひ眺めて見て下さい。
H30.6.15取材/H30.12UP

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2018.12.25 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【ト】京都のトピック

【ト】道路だけの町、桑原町

カテゴリ:【ト】京都のトピック
~京都の街で見かけた面白いもの、興味深いもの、変わったものetc...


ミニブログコーナー:今回は魂京都初の大作です。初めは大した記事にならないかと思いましたが、作っているうちにハマってしまいました。学問的に正しい検証になったかどうかはわかりませんが、ご覧頂ければ幸いです。地図の掲載許可を下さった立命館大学アート・リサーチセンター、京都大学文学研究科、京都市都市計画局の皆様、ご協力ありがとうございました。

京都地方裁判所_H30.06.15撮影
京都地方裁判所 H30.06.15撮影

京都に町域が道路だけしかないという、変わった町があると聞いて、中京区の京都地方裁判所までやってきました。裁判所の前は御所の南端を東西に走る丸太町通りです。

(ブラウザがIEの場合表示されないことがあります。)

グーグルマップで地図を表示するとこの通りです。ピンク色の部分が町域を表していますが、町の90%以上が、裁判所前の丸太町通りとその歩道になっています。もちろんこれでは人は住めません。

裁判所前バス停(北側)_H30.06.15撮影
裁判所前バス停(北側) H30.06.15撮影

町域に唯一ある施設は裁判所前バス停ですが、東に向かう北側(京都御苑側)のバス停のみが町域に含まれ、南側のバス停は中京区四丁目というこれまた変わった名前の町に含まれています。ちなみに裁判所の公式の所在地は中京区菊屋町(番地なし)です。

(ブラウザがIEの場合表示されないことがあります。)

グーグルマップを航空写真にしてみると、桑原町の北側は京都御苑の森の緑がとても印象的です。ちなみに桑原町はなんと郵便番号(604-0976)も割り振られています。(証拠) 町の形は逆鍵かっこ型の桑原町、どうしてこのような町が出来たのでしょうか。

桑原町(東側から)_H30.06.15撮影
桑原町(東側から) H30.06.15撮影

2018年3月6日の乗り物ニュースの記事によると京都歴史資料館の話として、元々、町があった場所にあった丸太町通りの幅が次第に広がり、町の名前だけが残ったのではないかと書かれています。確かに丸太町通りは道幅も広いので、この話は納得できるものがあります。

桑原町(西側から)_H30.06.15撮影
桑原町(西側から) H30.06.15撮影

かつての京都の街割りは碁盤の目のような街路で編成され、一つの路を挟んでその両側で一つの町(両側町)を形成したと云います。丸太町通りの幅が広がり、桑原町が道に呑まれる形で、このような町が誕生したのでしょうか。

桑原町_昭和28年(都市計画)
1953(昭和28)年京都市都市計画基本図【立命館大学アート・リサーチセンター提供】
 【この地図は京都市発行の都市計画基本図(縮尺1/3,000)を参考にし、作成したものです。】

1953(昭和28)年の地図を入手しました。この時点では現在とほぼ同じ場所に桑原町が存在しているのが確認できます。町の形が長方形です。京都地方裁判所の庁舎は旧庁舎になります。(現在の庁舎は2001(平成13)年11月に竣工)

桑原町_昭和26年頃京都市明細図(総合資料館版)
1951(昭和26)年頃の京都市明細図(総合資料館版) 【立命館大学アート・リサーチセンター提供】

さらに2年遡ります。裁判所の形や桑原町の形、大きさが変わっていますが、これは地図が手書きのためでしょうか。柳馬場通り、富小路通り、麩屋町通りの名前が確認できます。

桑原町_昭和10年(都市計画)
1935(昭和10)年京都市都市計画基本図【立命館大学アート・リサーチセンター提供】
 【この地図は京都市発行の都市計画基本図(縮尺1/3,000)を参考にし、作成したものです。】

戦前のものになりますが、1953(昭和28)年のものとほぼ同じです。そのため、この前の1951(昭和26)年のものの町の大きさや形に変化があったことは、手書きだったために無視してよいことが明らかです。

桑原町_昭和4年(都市計画)
1929(昭和4)年京都市都市計画基本図【立命館大学アート・リサーチセンター提供】
 【この地図は京都市発行の都市計画基本図(縮尺1/3,000)を参考にし、作成したものです。】

ここで桑原町の名前が來原町になっていました。また町の境界線の南側と東側が無くなり、桝屋町との境界があいまいになりました。

桑原町_昭和2年(長谷川家版)
1927(昭和2)年京都市明細図(長谷川家版)【立命館大学アート・リサーチセンター提供】

2年前に遡ると、來原町の表記が桑原町に戻っていました。境界はしっかり描かれており、町の形は1951(昭和26)の地図の正方形に近い形です。

桑原町_大正11年(都市計画)
1922(大正11)年京都市計画基本図【京都大学文学研究科所蔵】【立命館大学アート・リサーチセンター提供】

1929(昭和4)年のものと同じもののですようですが、境界線がこの地図では描かれています。町名はこの地図ではまた來原町です。丸太町通りが拡張されたのは、1895(明治28)年の第2代京都市長西郷菊次郎の京都三大事業によるものなので、これ以前の地図があれば丸太町通りの両側に町があったことがわかるかもしれません。

桑原町_幕末
桑原町 幕末
(こちらの地図は非常にアバウトな形で掲載許可を頂いたので出元を公表することができません。)

幕末のものになります。富小路と柳馬場に挟まれた部分に、桑原町を見つけることが出来ました。過去の來原町の表記は誤植ということでしょう。丸太町通りの表記がないので、町が路に呑み込まれたかどうかはわかりませんが、幕末に桑原町が存在していたことだけはわかりました。

京大江図_1686(貞享3)年
新撰増補京大絵図 【国立国会図書館デジタルコレクション

江戸中期の古地図です。"禁裏""東宮様"の位置から"黒門"が堺町御門です。そこから南東の方向に"くハはら丁"(桑原町 黄色の横線)の表記がありました。丸太町通は縦に書かれていますが、桑原町と書かれている通りが丸太町通でしょう。また縦に"柳のはゝ二丁め"(柳の馬場二丁目 青線)と橘町の位置が、現在の柳馬場通と橘町の位置にあるのも確認できます。
(地図の文字の解読はwebで教えていただきました。)

この地図では、黄土色部分が路(通り)、白抜き部分が建物などの敷地を表しています。各町の名前が路の上に書かれていること、京都の町割りが両側町で構成されていることを考えると、桑原町は"くハはら丁"と書かれた部分の南北両側の白抜きの半分づつで構成されていたと考えられないでしょうか。

天正の地割_wikipediaより
Wikipedia 天正の地割より

こちらは1590(天正18)年に豊臣秀吉によって行われた天正の地割(じわり)前後の京都の町と通りの変化を比較したものです。天正の地割では南北に通りが追加され、今までの空地が町になりました。

天正の地割_wikipediaより
Wikipedia 天正の地割より

先ほどの地図を地割以後に当てはめると、ピンクが枡屋町、黄色が柳馬場二丁目、水色が舟屋町、青が魚屋町、緑が桑原町に当てはまります。かつて丸太町通りを挟んで、桑原町という実際に人が住んでいる町が確かにあったということにはならないでしょうか。今回の探索はここまでです。

Sugawara Michizane
菊池容斎による菅原道真像(Wikipedia 菅原道真より)

最後に桑原町の伝説について。桑原という場所はかつて菅原道真の屋敷もしくは領地があった場所なので、死後、日本三大怨霊となった道真も桑原だけには雷を落とさなかった、そのために雷が鳴ると「くわばら、くわばら」と唱えるようになったという説があります。その桑原がこの桑原町なのかどうか。

まずこの桑原町に菅原道真の屋敷か領地があったのかということですが、道真が平安京の内部に領地をもつというのも不自然なので、あるとしたら館があったのだと思います。ちょうど良いことに国会図書館のHPにこのようなものがありました。

(ブラウザがIEの場合表示されないことがあります。)

菅原道真が太宰府に左遷される前に住んでいた屋敷跡はどこか。
道真が長じてから住んでいた京都の居宅は、梅が植えられていたところから「紅梅殿」と呼ばれていた。『京都の歴史』には、「紅梅殿は『拾芥抄』によると綾小路・五条坊門・町尻・西洞院に囲まれた地域で」とあり、現在の北菅大臣神社(きたかんだいじんじんじゃ 下京区仏光寺通新町西入)の位置に当たる。ただし、紅梅殿の跡地には、まず菅大臣神社が建てられ、元禄年間に、紅梅殿のすぐ南の一角にあたる天神御所の敷地内に移された。
国立国会図書館レファレンス共同データベース

Le Temple Shintô Kan-daijin-jinja - Le haiden (La construction du culte)
菅大臣神社(菅大臣天満宮) 拝殿(Wikipedia 菅大臣神社より)

ここから先は私の想像になってしまいますが、現在の菅大臣神社及び北菅大臣神社は、桑原町とは全く違う場所にあります。道真の住んでいた屋敷が1か所だけではないのかもしれませんが、桑原町に道真と関連する何かがあったという話は、少なくともWEB上では見当たらなかったので、この桑原町のことではないように思えます。

全国に桑原という土地は何か所かあり、道真が流された大宰府の近く、現在の福岡県福岡市西区に桑原という土地もあります。また丹波の桑原に道真の領地があったと書かれたものもありました。道真の領地について、はっきりした文献は残っていないようです。

Kitano Tenjin Engi Emaki - Jokyo - Thunder God
Kitano Tenjin Engi Emaki - Jokyo - Thunder God2
『北野天神縁起絵巻』に描かれた、清涼殿落雷事件(Wikipedia 清涼殿落雷事件より)

しかし、恨みを飲んで死んだ道真が雷神となったという風説のきっかけは、930(延長8)年の清涼殿落雷事件になります。生々しく落雷を目の当たりにした平安京の住人たちからすると、丹波や九州の桑原というのは少し身近でないような気がします。


ログワ(Morus alba) (Wikipedia クワより)

そこで私は、和泉の西福寺に伝わる雷井戸の伝説が雷が鳴るとクワバラ説の発祥なのではないかと考えています。いずれにしても絹は絶縁体としても使われますが、絹は桑の葉を食べて育つ蚕からできることを考えると、電気の知識が無い時代にこのような伝承がうまれたのは少し不思議な気がしました。
桑原町:京都市中京区桑原町(地図 *宝ヶ池の北に左京区岩倉南桑原町という町もありますがこちらは違います。)
H30.6.15取材 H30.11月アップ


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2018.11.04 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【ト】京都のトピック

【ト】京の郵便あれこれ・・・その2

カテゴリ:【ト】京都のトピック
~京都の街で見かけた面白いもの、興味深いもの、変わったものetc...


ミニブログコーナー:この間からNHKで雲霧4が始まりました。"山崎"仁左衛門信者の私としては非常に複雑な気持ちです。3もそうですが4をやるなんて、山崎仁左衛門に対する冒とくだとは言いながらもついつい見てしまうんですよね。製作は松竹で配役も良いし、ストーリーが面白いからでしょうか、自分の中では、別のパラレルワールドの中の物語と折り合いをつけています。
花見小路の郵便ポスト_H30.6.15撮影
花見小路の郵便ポスト H30.6.15撮影

花見小路の雑踏の中に佇む郵便ポストです。"ステーキハウスよしだ"と"吉うた"というお茶屋の境目位に設置されていますが、まさに"佇む"という表現がぴったり。祇園の街並みに見事に溶け込んでいますが、もちろん現役で使われているポストです。

花見小路の郵便ポスト_H30.6.15撮影
花見小路の郵便ポスト H30.6.15撮影

花見小路なので、常時車と人が途切れることが無いのですが、一瞬を狙って撮影してみました。写真に写っていない部分には実は人がたくさんいます。

花見小路の郵便ポスト_H30.6.15撮影
花見小路の郵便ポスト H30.6.15撮影

これも京都駅前と同様に郵便差出箱1号(丸型)と思われるのですが、帽子にあたる部分にベレー帽のてっぺんについてるような"へた"のようなものがあります。

町頭町の郵便ポスト_H30.6.15撮影
町頭町の郵便ポスト H30.6.15撮影

こちらは"新町通姉小路通下る"の辺りで売り物件になっている町家の前、植木をカモフラージュにして立っている郵便ポストです。町名で言うと中京区町頭町、地域で言うと烏丸御池エリアの西南方面になります。以前ここの町家には"新町1888"というホテルオークラプロデュースのカフェがありました。

町頭町の郵便ポスト_H30.6.15撮影
町頭町の郵便ポスト H30.6.15撮影

こちらも郵便差出箱1号(丸型)で、この写真ではわかりづらいのですがヘタ付です。しかし随分と退色が進んでいてる感じがします。現役ポストの塗装の艶々感がありません。

町頭町の郵便ポスト・説明_H30.6.15撮影
町頭町の郵便ポスト・説明書 H30.6.15撮影

それもそのはず足元に置かれている説明書きによると、こちらのポストは保存用として街頭に展示されていると書かれていました。京都ではこの場所に最初にポストが設置されたのだとか。もう現役ではないのに街頭に立っているポストのOBです。

祇園郵便局_H30.6.15撮影
祇園郵便局 H30.6.15撮影

こちらは祇園郵便局。パステルブルーとえんじ色の配色、三角屋根もノスタルジックです。周辺に遠慮するようにこじんまりと立っているのが可愛らしい。ちなみにこの辺りは、祇園の歓楽街なので向かいはキャバクラです。

中京郵便局_H30.6.15撮影
中京郵便局 H30.6.15撮影

同じく局舎が特徴的なのは、三条通東洞院に建つ中京郵便局です。三条通は近代建築を数多く残していることで知られていますが、赤レンガでネオルネサンス様式の局舎は1902(明治35)年建造のもの。京都市の登録有形文化財になっています。

中京郵便局・風景印_H30.09.17撮影
中京郵便局・風景印 H30.09.17撮影

頂いた後の処理がヘタでぶれてしまいましたが、中京郵便局の風景印です。歴史的建造物である中京郵便局の局舎そのものが図案になっています。

中京郵便局の自動ドア_H30.06.15撮影
中京郵便局の自動ドア H30.06.15撮影

入り口の自動ドアは一般的な引き戸タイプではなく、開き戸タイプになっていました。私の想像ですが、建物の構造になるべく手を加えずに建物を活用しているのでしょう。

京都洛北高校前郵便局・風景印_H30.09.17撮影
京都洛北高校前郵便局・風景印 H30.09.17撮影

最後に風景印を二つ。こちらは下鴨本通北大路にある洛北高校前郵便局のものです。小さい郵便局ですが、風景印がしっかりあります。デザインは京都府の花である枝垂れ桜と五山の送り火"妙"。川は位置的に賀茂川を描いていると思われます。

京都三条大橋郵便局・風景印_H30.09.17撮影
京都三条大橋郵便局・風景印 H30.09.17撮影

こちらは三条大橋郵便局です。2016(平成28)年に意匠が変わったもので"鴨川にかかる三条大橋をモチーフに京都の風景を描く"
と説明がありました。浮世絵風ですが、必殺ファンなら後ろから火で炙りたくなります(笑)

以上今回は、京都の郵便に関するあれこれ、小ネタをお届けいたしました。
H30.6.14~6.16取材 H30.10UP

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2018.09.30 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【ト】京都のトピック

【ト】京の郵便あれこれ・・・その1

カテゴリ:【ト】京都のトピック
~京都の街で見かけた面白いもの、興味深いもの、変わったものetc...


ミニブログコーナー:少し前になってしまいましたが、菅井きんさんがお亡くなりになりました。最近、テレビでお見かけすることが無いのでお元気なのかなと気になっていましたが・・・あの「婿殿!」をもう聞けなくなるのは必殺ファンとして非常に寂しいです。いつもは主水につらく当たるのに、たま~に見せる主水への優しさが大好きでした。心よりご冥福をお祈り致します。さよなら“母上”

京都駅在来線ホームの郵便ポスト_H30.06.14撮影
京都駅在来線ホームの郵便ポスト H30.06.14撮影

まずは京都駅から。こちらは駅のホームです。背景にあるのは電車ですが、少し不思議な風景だと思いませんか?こちらのポストは京都線大阪方面の4・5番ホームの東寄り、跨線橋と下へ降りていく階段の間にあります。蕎麦屋の脇です。

京都駅在来線ホームの郵便ポスト_H30.06.14撮影
京都駅在来線ホームの郵便ポスト H30.06.14撮影

反対側、湖西線の2・3番ホームから撮影してみました。駅のワンシーンにポストが当たり前のように存在しています。ネットの情報によると昔は他の駅にももっとあったらしいのですが、現在、駅のホームにポストがあるのは京都駅だけだそうです。旅の途中でも郵便を出せるとは、京都ならではのような気もします。

京都駅在来線ホームの郵便ポスト_H30.06.14撮影
京都駅在来線ホームの郵便ポスト H30.06.14撮影

湖西線の2・3番ホームにも同じようにポストがありました。4・5番線のポストと同じ位置にあり、南側を向いています。急いでいたこともあるのですが、ホームに電車がいないタイミングに撮影するのが意外と難しかったです。

京都中央郵便局_H30.6.14撮影
京都中央郵便局 H30.6.14撮影

京都駅前(中央口側)にある京都中央郵便局です。ちなみに現在の京都タワービルのある場所は、1961(昭和36)年まで京都中央郵便局の旧局舎があった場所です。

京都中央郵便局_H30.08.24撮影
京都中央郵便局の風景印 H30.08.24撮影

風景印の図案は京都駅前の郵便局だけあって、東寺五重塔と大文字山と後姿の舞妓というまさに"THE京都"のデザイン。1968(昭和43)年から50年間、変わらずこのデザインが使用されています。

京都中央郵便局前のポスト_H30.6.16撮影
京都中央郵便局前のポスト H30.6.16撮影

このポストは、平安遷都1200年記念事業の一環として2006(平成18)年に設置されました。色が景観に配慮した小豆色になっているところも注目です。郵便局の駅側の入り口の近くにあるので、駅から行けばすぐにわかります。

京都中央郵便局前のポスト H30.6.16撮影
京都中央郵便局前のポスト H30.6.16撮影

上に載っている可愛らしい壺装束(平安時代の女性の旅姿)の人形は、昔話の鉢かつぎ姫のように見えますが、"京のぞみ"という平安遷都1200年記念事業のマスコットキャラクターです。当時はあちこちで活躍していたようですが、今はその姿をこの場所だけに残しています。

京都中央郵便局角のポスト H30.6.16
京都中央郵便局角のポスト H30.6.16撮影

京のぞみのポストから隣のビルの角の所まで行くと、懐かしい旧型のポストが設置されています。1949(昭和24)年から設置が始まった鉄製のポストで、正式には"郵便差出箱1号(丸型)"というタイプ。よくポストの貯金箱に使われるモチーフではないでしょうか。古いタイプではありますが、もちろんこのポストは現役で活躍中です。

京都駅前広場のポスト_H30.6.16撮影
京都駅前ロータリーのポスト H30.6.16撮影

こちらは駅前ロータリーにあるポストです。アクアファンタジーの行われる場所の脇といえばわかりやすいでしょうか。塩小路通りを挟んで京都タワーと向かい合うように設置されています。

京都駅前広場のポスト・収集時刻_H30.6.16撮影
京都駅前広場のポスト・収集時刻 H30.6.16撮影

収集時刻を見てみるとどちらも全く同じ。違うのはポスト番号のみです。同じ場所に同じ仕事をするポストを二つ並べるのは、一体どういうことなんでしょうか。一定の時刻に投函する人が集中するから?ちょっとしたミステリーにも思えます。過去には左右の収集時間が違っていた時期もあったみたいです。

宇治駅前の茶壷ポスト_H30.6.15撮影
宇治駅南口 H30.6.15撮影

駅前のポストと言えばこちら。今回のテーマを企画したきっかけになったポストです。今回、このポストだけを取材するためだけに宇治まで足を運びました。このポストはJR宇治駅の南口(平等院方面)の階段を降りたところ、観光案内所の前にありますが、ずんぐりした形は一見ポストには見えませんよね。

宇治駅前の茶壷ポスト_H30.6.15撮影
宇治駅前の茶壷ポスト H30.6.15撮影

正面に回るとこれがなんだかわかります。このポストは宇治らしく、茶壷をかたどったものなのです。2001(平成13)年の宇治市政50周年を記念して、この場所に設置されたそうで、観光客も頻繁に立ち止まってポストと一緒に記念撮影をしています。

宇治駅前の茶壷ポスト_H30.6.15撮影
宇治駅前の茶壷ポスト H30.6.15撮影

このポストにはモデルがあるそうで、こちらではそちらの方も取材されています。後姿は駅のホームからも見ることができました。実際に投函してもお茶っ葉まみれにはならないのでご安心を。(続く)
H30.6.14~16取材 H30.9UP

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2018.09.23 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【ト】京都のトピック

【ト】上京区の水車

カテゴリ:【ト】京都のトピック
~京都の街で見かけた面白いもの、興味深いもの、変わったものetc...


ミニブログコーナー:今週末から"関ケ原"の公開ですが、かなり楽しみにしています。どこまで合戦シーンで時代劇的としてのリアルを表現できているのかが注目です。私の中では2000年の大河"葵 徳川三代"の合戦シーンが最高峰なんですが、それを越えてくれるかどうか。馬上で武将同士が刀で斬りあうなんてのは絶対止めて下さい。
下立売通智恵光院から下立売通_H29.06.26撮影
下立売通智恵光院から下立売通 H29.06.26撮影

以前に、京都新聞の記事で上京区の住宅街に水車があるという記事を拝見しました。ずっと気になっていたので、今回、計画外でいきなり伺ってみることにしました。スマホで検索してみると、場所は下立売智恵光院にある老舗の油屋ということなので、御所から下立売通を自転車で西へ。下立売智恵光院の交番に自転車を止めて100m弱さらに西へ。

下立売通_H29.06.26撮影
下立売通 H29.06.26撮影

通り沿いの古く立派な商家の門前の水路に、蒸し暑い中、水音をたてながら、ひたすらくるくると水車が回っているのが見えてきました。

山中油店_H29.06.26撮影
商家の門前 H29.06.26撮影

"あぶら"と書かれた額のある門の前には"平安宮一本御所跡"の石碑があります。この場所は平安時代、内裏の一角であり、諸説あるものの"本"に関する施設があった場所だそうです。



久しぶりに動画を撮影してみました。涼しげな雰囲気が伝わるとよいのですが・・・

山中油店の水車_H29.06.26撮影
山中油店の水車 H29.06.26撮影

動画が見られない方のために写真もアップしました。もちろん、知りながら訪ねてはきたのですが、京都の街中にこんな立派な水車があるとは改めて驚きました。

水車と錦鯉_H29.06.26撮影
水車と錦鯉 H29.06.26撮影

水路は商家の中から店の前の通り沿いに伸びていて、立派な錦鯉が泳いでいます。直径二メートルほどの水車は、ちょうどいい具合に苔むしていて年季と風情を感じさせますが、実はこれは三代目で、水車自体は五十年前からこの場所で稼働しているのだそうです。水流は近くの川から取り込んでいる感じでもないので、電力を使って循環させているのでしょうか。

上京区・水車_H29.06.26撮影
もう一台の水車 H29.06.26撮影

建物の中でも、もう一台水車が回ってるのが板塀の隙間から見えました。中の水車は、同じくらいか少し小さいくらいで、回転が早い。京都新聞の記事によると、これらの水車は、池の鯉に酸素を送るために設けられた水車だそうです。(この水車は店内からもガラス越しに見ることができます。)

山中油店 H29.06.26撮影
"山中油店 H29.06.26撮影

こちらのお店は山中油店といいます。江戸時代後期の文政年間創業なので、200年続く老舗の油屋です。建物の一部は、今風のショップになっており、普通に販売もしていたので、自分用のお土産に柚子胡椒ドレッシングを購入しました。老舗の油屋にも拘らず、意外にさっぱりした爽やかな味が印象的でした。

仁丹の番地表示_H29.06.26撮影
仁丹の番地表示 H29.06.26撮影

老舗だけあって仁丹の番地表示も残っています。こちらのお店では、この近くでカフェやゲストハウスも展開しているそう。

山中油店の水車_H29.06.26撮影
山中油店の水車 H29.06.26撮影

暑い夏はなおのこと、通りで聞こえる水車の水音に心癒されること請け合いです。
山中油店:京都府京都市上京区下立売通智恵光院西入下丸屋町508(地図

テーマ:京都 - ジャンル:地域情報

2017.08.23 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【ト】京都のトピック

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