【龍】龍馬の結婚式場

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~坂本龍馬の史跡や司馬遼太郎先生の『竜馬がゆく』の舞台になった場所を取り上げます。京都中心ですがそれ以外にもピックアップします。


坂本龍馬・お龍「結婚式場」跡の碑_H26.02.09撮影
坂本龍馬・お龍「結婚式場」跡の碑 H26.02.09撮影

三条京阪から三条通りの南側歩道を歩いて東へ、ちょうど川を越えて20メートル程行くと、マンションの前に真新しい坂本龍馬・お龍「結婚式場」跡の碑が建てられています。三条通りを挟んだ反対側にはローソンがあります。(地図)

坂本龍馬・お龍「結婚式場」跡の碑_H26.02.09撮影
三条通りを挟んで反対側から(石碑はマンションの右前) H26.02.09撮影

説明書きによると、この場所は青蓮院の塔頭・金蔵寺の跡地で、お龍の父、楢崎将作が青蓮院宮に仕えた医師であったことから、龍馬とお龍は金蔵寺の住職の媒酌で内祝言を挙げたそうです。この話は明治時代後半に聞きとられたお龍の回想が根拠になっているとか。お龍というと、寺田屋騒動で裸のまま、龍馬に急を知らせた、借金のカタにとられた妹を大阪のヤクザから取り返したなど勇ましいエピソードで知られており、幕末のドラマなどでは有名な女優さんが何人も演じていますが、実際のところは、色々、難しい人だったようです。

坂本龍馬・お龍「結婚式場」跡の碑_H26.02.09撮影
坂本龍馬・お龍「結婚式場」跡の碑 H26.02.09撮影

私が忘れられないのは、お龍の次の夫、西村松兵衛が、彼女の死後、墓に「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」と刻ませたこと。西村松兵衛はのちにお龍の妹と内縁関係になってお龍を捨てており、お龍は最終的に工藤外太郎という人物に保護されて余生を送ります。お龍の晩年はアルコール依存症で、たびたび松兵衛に「龍馬の妻である」と絡んでいたそうなので、本当の松兵衛の意図は判りませんが、彼女が最後まで龍馬の妻だったことを誇りに思っていたことだけは汲み取れると思います。彼女は、"龍馬"でなければ御せない"龍"だったのでしょう。

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2014.04.03 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【龍】龍馬の足跡

【龍】土佐藩邸跡・土佐稲荷(岬神社)

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土佐稲荷_H25.08.16撮影
土佐稲荷_H25.08.16撮影

龍馬殉難の碑がある近江屋跡から、河原町通りを挟んで、蛸薬師通りに入った路地にある社が土佐稲荷です。近江屋跡からは直線距離で100mもありません。隣は餃子の王将、正面は焼肉の風風亭と随分といい香りのする場所に建っています。写真を、このまま70mも進むと高瀬川を渡って木屋町通りにぶつかり、蛸薬師通りの東の起点になります。

土佐稲荷_H25.08.16撮影
土佐稲荷 H25.08.16撮影

この社は別名、岬神社とも呼ばれています。社殿によると、室町時代の貞和4年(1348)に鴨川の中州の突端に建てられたのが"岬"の名前の由来だそうで、その後、数度移転の後、江戸時代初期に土佐藩邸内に移されました。土佐稲荷とよばれるのはそのためで、周辺の町人からも篤い信仰があったため、土佐藩はわざわざ参拝用の通路を作ったほどといいます。祭神の一柱が倉稲魂命(うがのみたまのみこと)であることから稲荷とよばれていますが、もう一柱の祭神は石栄神(せきえいのかみ)で、この神社のご利益は農耕・商売・土木・金工など諸業の繁栄、火難除けなど。また、神社的に凄いのかどうかはよくわかりませんが、宮司は八坂神社の宮司が兼任だそうです。

土佐稲荷_H25.08.16撮影
土佐稲荷社殿 H25.08.16撮影

明治になって藩邸が売却されると神社も移転し、最終的に明治20年(1887)この地に鎮座することになりましたが、このあたりは元々、土佐藩邸で、この場所は土佐藩の用人の屋敷があった場所で、土佐稲荷とよばれる神社としては違和感が無い場所に戻ってきたと思います。ちなみに、この場所を買い取ったのは、龍馬が最後に殉難した近江屋の井口新助で、彼としては土佐藩や龍馬に格別の思いがあったのでしょう。現在の社殿は大正2年(1913)に近隣の信徒の寄付によって建てられたものです。

土佐稲荷・坂本龍馬像
境内の坂本龍馬像 H25.08.16撮影

きっと龍馬も参拝したはずのこの神社、境内には、龍馬の小さな銅像が建てられてています。まだ、真新しい銅像には平成21年再建とあるので、龍馬の銅像は古くからあったのでしょうか?こちらのページに旧銅像の写真が掲載されていますが、削り取られて酷いものです。ご利益にあやかって銅像を削るというのも随分荒っぽい。

龍馬の写真_H25.08.16撮影
龍馬の写真 H25.08.16撮影

社殿には、長崎のオランダ人写真館で撮影された龍馬の写真も飾られています。銅像や写真が飾られていると龍馬が知ったらきっと恥ずかしがりそうですが、龍馬のことだから、神様にされてしまうよりはましかと思っているかもしれません。そんなことを考えながらこの地をあとにしました。近江屋の龍馬殉難碑を見学の際は、近くなので一緒に立ち寄ってみて下さい。拝観は無料です。

土佐稲荷(岬神社):京都市下京区木屋町通蛸薬師備前島町(場所)

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2013.09.27 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【龍】龍馬の足跡

【龍】龍馬殉難の地・近江屋跡

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近江屋跡_H25.06.15撮影
龍馬暗殺の場所・近江屋跡_H25.06.15撮影

河原町通りのアーケードの中に立つ龍馬と中岡慎太郎が暗殺された近江屋の跡を示す記念碑。ついこの間までは、コンビニ(サークルK)があったはずなのに、尋ねた時は既に工事中になっていた。実際に近江屋があったのはここではなくこの南側だそうで、建立時(昭和2年)に地権者の了承が得られなかったかららしい。これは私の想像だが、ここは京都でもメジャーな商店街なので参拝者が列をなしてしまったら商売に影響する。そのために地権者は敬遠したのではないだろうか。維新から半世紀以上過ぎた昭和2年の時点ではもう龍馬は歴史上の有名人だった。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』が発表されるのはさらにこの35年後のことである。

近江屋跡石碑_H25.06.15撮影
近江屋跡石碑 H20.9.2撮影

これは少し前の写真になるが、石碑正面には『坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地』とあり、脇には『舊(旧)井口新助宅』とある。井口新助は、この場所で幕末、土佐藩御用達の醤油商を営んでいた近江屋の主人で、勤皇の志厚く、危険の迫った龍馬に隠れ家として自宅を提供したり、鳥羽伏見でも官軍に援助を惜しまなかった。龍馬襲撃の際、裏口から土佐藩邸に知らせに走ったのも彼だという。

近江屋跡石碑・河原町通り挟んで H25.08.16撮影
近江屋跡石碑・河原町通り挟んで H25.08.16撮影

土佐藩御用達だけに、近江屋から土佐藩邸まで四条通りを挟んで目と鼻の先だった。井口新助は74歳まで生き、死後には従五位を贈られている。(こちらページで井口新助氏の写真を見つけた)歴史上はあまり知られていなくても、龍馬の横に名前が残ることは、龍馬ファンには実に羨ましいものがある。

近江屋跡
京都府京都市中京区河原町通四条上ル
(現時点でもYAHOO,GOOGLEマップ共に、この場所はサークルKになっているのでそれが目印)

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2013.07.22 | | Comments(2) | Trackback(0) | 【龍】龍馬の足跡

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