【散】保津川下り(H25.08.16) その4

カテゴリ:【散】京都の散歩道
~街中から山道まで有名無名限らず、色々な京都の散歩道を案内します。京都歩きの御参考になれば幸いです。



ハンドパワー_H25.08.16撮影
殿の漁場のハンドパワー H25.08.16撮影

殿の漁場は、保津川下りの中で2番目に深く水深が10m程ある場所です。ここで先頭の船頭さんが、持ちネタのハンドパワーというネタを見せてくれます。竿を水の中に突き刺すと手元に戻ってくるという、よく考えたら簡単に原理がわかるネタですが、子供は不思議そうにしました。川下り全般そうですが、永年受け継がれて、洗練された船頭トークが長い船旅を盛り上げてくれます。暑い中の重労働でもサービス精神が旺盛な船頭さんたちに本当に拍手です。

トロッコ電車の線路_H25.08.16撮影
トロッコ電車の線路 H25.08.16撮影

右手にはトロッコ列車の線路が走ります。この辺りでトロッコ電車と行きあうときっと盛り上がるのでしょう。確か、7.8年前に保津川下りをした時は、こんな感じの所でトロッコ電車と行きあって手を振り合った覚えがあります。この先、全行程の1/3の地点で船頭さんが持ち場を交代、到着までにも2.3回船べりをスルスルと渡りながら、前後の持ち場を交代していました。

保津川のラフティング_H25.08.16撮影
保津川のラフティング H25.08.16撮影

ラフティングの集団と出会いました。手を振る子供たちの声が谷の中にこだましています。この辺りは鹿も見られるそうですが、人の集団がいると顔を出さないそうです。保津川下りのフェイスブックのページに、親子の鹿が出てきた写真が掲載されていますが、まるでアニメの様な風景。

奇妙な石積み_H25.08.16撮影
奇妙な石積み H25.08.16撮影

河原に、明らかに人の手によるものと思われる石積みが何箇所かあります。ラフティングの人の仕業でしょうか?

曲り渕_H25.08.16撮影
曲り渕 H25.08.16撮影

この辺りが保津川下りで一番深い曲り渕。水深は15mもあり、舟はゆっくりと渕を廻ります。ちなみにこの保津川下りの舟の長さは12mあるそうです。この船を立てたよりも深い渕には、主か何かがいそうな雰囲気。渕を通過すると山陰本線の橋を潜ります。この線路を潜るのは3回目、川が蛇行しているからです。。

竿の跡_H25.08.16撮影
竿の跡 H25.08.16撮影

船頭さんが岩に開いたくぼみに見事に竿を差しいれ、舟を操ります。ここは竿の跡といい、永年、同じ場所を突くことで穴が開いたとか。水滴は岩をも穿つとはまさにこのことです。

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2013.08.29 | | Comments(2) | Trackback(0) | 【散】京都の散歩道

【散】保津川下り(H25.08.16) その3

カテゴリ:【散】京都の散歩道
~街中から山道まで有名無名限らず、色々な京都の散歩道を案内します。京都歩きの御参考になれば幸いです。




トロッコ列車と遭遇_H25.08.16撮影
トロッコ列車と遭遇 H25.08.16撮影

早くもトロッコ列車と遭遇。渓谷で出会うとお互いに手を振り合ったりしますが、まだ渓谷では無いので、お互いに盛り上がりません。もうすぐ谷に入るので、出会うのが少し早かったようです。この辺りはラフティングの集合場所にもなっているようで、参加者の団体がボートで集まっていました。

請田神社_H25.08.16撮影
請田神社 H25.08.16撮影

左手に見えるのは請田神社(うけたじんじゃ)。火祭の社と書かれている通り、請田神社の10/20の例大祭は保津の火祭として知られています。請田神社から先は、川の名前が大堰川から保津川に変わり、川が蛇行しているせいで、先に見える愛宕山がこの先、色々な方角に見えるそうです。保津川下りは、ここから保津峡に入りいよいよ本番、川の流れも多少速くなり、水深も深くなって川底も見えなくなりました。

海抜の表記_H25.08.16撮影
海抜の表記 H25.08.16撮影

岩肌に書かれた数字は海抜の表記。今は水量が少なくても、大水の時は90まで水があがるそうです。今が80位なのであと10mも水位が上がったらどうなるかは想像に難くありません。

不動明王_H25.08.16撮影
不動明王 H25.08.16撮影

金岐(かなげ)の瀬とよばれるあたりに、舟を見守るかのように不動明王の石像が立てられています。明治32年、水かさが増して舟止めになっている川に、無理やり舟を出した米国人が遭難し12名の死者を出した際に、川を捜索中に発見されたという伝承があるのが、この不動明王像です。今でも10/8には安全祈願のため、船頭さんたちがこの像に詣でます。

殿の漁場_H25.08.16撮影
殿の漁場 H25.08.16撮影

唯一の滝、高低差2mの小鮎の滝は小さな鮎では泳ぎあがれないそう。水量が少ないせいかあまり派手な高低差は感じませんでした。舟がガタガタした感じです。その先の大高瀬は岩の間を舟がすり抜けて行きます。船頭さんがしつこい位、船べりを持たないように注意するのは舟と岩の間に指を挟まれないため。また、どの岩の間を通るかは水量によって変わるそうです。山陰本線の古びた鉄橋をくぐると、碧の水の広い渕でそこは殿の漁場とよばれる場所です。昔、亀山の殿様が魚釣りを楽しんだ場所。丹波亀山の領主はころころと変わっていますが、三代目は、あの斬九郎の大給(おぎゅう)松平家。1621年から13年間、この地を治めていました。


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2013.08.28 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【散】京都の散歩道

【散】保津川下り(H25.08.16) その2

カテゴリ:【散】京都の散歩道
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船着き場_H25.08.16撮影

スタート地点の船着き場は大きなコンクリート橋・保津橋の真下辺りです。この辺りの風景はまだ街中を流れている川という感じで、川下りの雰囲気はありません。スタートが9時15分、しばらくはこのような風景が続きます。舟は3人の船頭さんが操船し、船首には二人の船頭さん、一人は竹竿を川底につきたて船首から走り下るような形で、もう一人は櫂で船をこいでいました。案内を担当するのは櫂担当の船頭さん、しゃべりながら漕ぐのは見るからに重労働です。船尾の船頭さんは魯を操ります。櫓とは車で言えばハンドルに当たり、船の進む方角を決める設備です。

保津川の釣り人_H25.08.16撮影
保津川の釣り人 H25.08.16撮影

水深は1m程で今日は、かなり水が少ないそう。川釣りをしている人がいました。鮎釣りでしょうか?保津川より下流は鮎の漁場となっており、釣りには遊漁料が必要です。

日光浴する亀_H25.08.16撮影
日光浴する亀 H25.08.16撮影

真夏ではありますが、向かい風があって舟の上は涼しく快適です。その代り、船頭さんは向かい風なので大変だそうです。舟を漕ぎながら、笑いを交え絶妙なトークで案内してくれます。岩の上には、日向ぼっこをする亀を発見、ただし暑くなると水にもぐってしまうので見れるのは今だけとのこと。

保津小橋_H25.08.16撮影
保津小橋 H25.08.16撮影

5分程で見えてきたのは保津小橋。この橋は沈下橋といい、増水の場合は川に沈む構造になっています。沈下橋には欄干が無いのが特徴で、水没した際に流木が引っ掛かって川がせき止められたり、橋が壊れたりするのを防ぐためです。以前に取り上げた埼玉県の島田橋や、京都府久世郡久御山町と八幡市にかかる上津屋橋も沈下橋です。時代劇ロケ地の神サイト時代劇の風景さんでも、ロケ地として紹介されています。

アオサギ_H25.08.16撮影
アオサギ H25.08.16撮影

亀の次は貫禄のあるアオサギがブロックに鎮座しています。保津川は魚や鳥が多く住む生物の宝庫だそうです。蝉の声と魯をこぐ音を聞きながら船はのんびりと進んでいきます。ただし、風景は高い建物も見えていてまだ街の中。


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2013.08.27 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【散】京都の散歩道

【散】保津川下り(H25.08.16) その1

カテゴリ:【散】京都の散歩道
~街中から山道まで有名無名限らず、色々な京都の散歩道を案内します。京都歩きの御参考になれば幸いです。



散歩道ではありませんが、今回は保津川下りの船旅を取り上げて見ようと思います。亀岡から嵐山までの約16キロ、山中を流れる保津川を手漕ぎの舟で下って行きます。

JR亀岡駅_H25.08.16撮影
JR亀岡駅 H25.08.16撮影

嵐山からトロッコ電車を利用すれば、トロッコ列車の旅も味わうことができたのですが、今回は京都に到着した時間が早かったこともあって、JRで京都駅からそのまま亀岡駅までやってきました。(トロッコ嵯峨駅の始発は9:07)
船着き場までは駅から、写真の手前の方に歩道を歩いてくる形です。

船着き場まで_H25.08.16撮影
船着き場まで H25.08.16撮影

JR亀岡駅からなら、船着き場まで徒歩で600mなので、トロッコ電車を諦めて割り切ってしまえば、こちらの方が便利です。トロッコ亀山駅からだと、さらにバスでに15分乗る必要があります。ただし馬車もあるそうなので、どちらがおススメかはわかりません。とりあえず、保津川下りのノボリのある道をそのまま進んでいきます。

保津川下り事務所_H25.08.16撮影
保津川下り事務所 H25.08.16撮影

ノボリに従って行けば徒歩で10分程度で、写真のような保津川下りの事務所に到着します。たしか昔はこんな立派な建物じゃなかった記憶があります。とりあえず2階の受付へ進み、申し込み用紙を書いて、大人3,900円のチケットを2枚購入(妻と一緒でした)。ちなみにクレジットカードは使用不可です。

藤田御大と菅井さん白木さんのサイン_H25.08.16撮影
藤田御大と菅井さん白木さんのサイン H25.08.16撮影

待合所には多くの芸能人のサインが飾ってありますが、その中に必殺仕事人様ということで、藤田御大と菅井きんさん、白木万理さんのサインを発見しました。都の商売人様のご指摘で判ったのですが、この59.4.27の日付は、必殺仕事人4の第29話「主水せんとりつの葬式を出す」で、ちょうど保津川下りを利用した撮影があった会です。放送日も5月18日なのでつじつまが合います。ロケ日と放送日に余り間が無いのは、よく言われているように必殺が撮って出しだったことがよくわかります。

船着き場_H25.08.16
船着き場 H25.08.16撮影

待合所では商魂たくましく売店のおばちゃんが声をからして色々な物の案内をしています。とりあえず熱中症予防に水だけは購入。本日は嵐山まで1時間40分程度かかるらしい。20分ほどで名前を呼ばれて船着き場から乗船しま7す。舟は屋根付きで4×7列、ただし同じグループが基本1列になるようで、私達は1列に2人で座ることが出来ました。位置は最後尾です。

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2013.08.24 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【散】京都の散歩道

【季】京都の夏・保津川、矢田寺の送り鐘と花

カテゴリ【季】:京都の四季
~表情豊かな都の四季を題材にして、自由気ままに記します。


今回、入手した送り火と錦市場以外の京都の夏の風景です。

保津川の釣り人_H25.08.16撮影
保津川の釣り人 H25.08.16撮影

鮎釣りだろうか。保津川下りの船から、川の中に入って釣りをしている男性がいた。鮎の解禁は6月23日からで、友釣りという方法でで釣るそうだ。鮎の縄張り意識を利用して、おとり鮎を使って釣る方法だ。

保津川の釣り人_H25.08.16撮影
保津川のラフティング H25.08.16撮影

ラフティングをしている子供たちの声が、元気よく谷に響く。

矢田寺の送り鐘_H25.08.16撮影
矢田寺の送り鐘の案内 H25.08.16撮影

錦小路で食事をしようと寺町通りを歩いていたら、矢田寺の送り鐘の案内が。五山の送り火に気を取られてどうも忘れていたようだ。早速、矢田寺へ向かってみる。

矢田寺の送り鐘_H25.08.16撮影
矢田寺の送り鐘の案内 H25.08.16撮影

アーケードの中にお寺があるのはいかにも京都らしい風景だ。盆には六道珍皇寺の鐘で霊を迎え、今日、8月16日に矢田寺の鐘で霊を冥土に送り出すのが今日の習わしである。送り鐘の音が静かにアーケードに響く。

三十三間堂付近に咲いていた花_H25.08.17撮影
三十三間堂付近に咲いていた花 H25.08.17撮影

早朝、三十三間堂付近に咲いていた花。何の花かよくわからないが、爽やかに豪快に咲いている。

智積院の蓮_H25.08.17撮影
智積院の蓮 H25.08.17撮影

智積院の金堂脇の小さな池で、今年初めての大きな蓮と対面。蓮を見れると早起きをして良かったといつも思う。

智積院の桔梗_H25.08.17撮影
智積院の桔梗 H25.08.17撮影

同じく智積院。わずかに桔梗が咲き残っていた。星型の花を咲かせている。桔梗は真言宗智山派の宗紋でもある。

智積院の朝顔_H25.08.17撮影
智積院の朝顔 H25.08.17撮影

こちらも智積院の朝顔。上手く撮れなかったが紅色との朝顔とペアで咲いていた。何か気品を感じるしっとりとした濃い紫。



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2013.08.22 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【季】京都の四季

【季】錦市場で感じる夏

カテゴリ【季】:京都の四季
~表情豊かな都の四季を題材にして、自由気ままに記します。


これだけ暑いので錦市場でなくても夏は十分感じますが、昼食がてら京都市民の台所、錦市場を歩いてみました。

錦市場 魚力_H25.08.16撮影
錦市場魚力 H25.08.16撮影

富小路通りと柳馬場通りの中間にある魚力さん。祇園祭を別名、鱧祭というほど、京都の夏を代表する魚、鱧を景気良く売っています。鱧は生命力が強く、海から遠い京でも輸送中に死なないため、新鮮な魚を味わうことができることで昔から重宝されていました。

魚力の鱧_H25.08.16撮影
魚力の鱧 H25.08.16撮影

鱧は高級なお店で食べるイメージですが、てんぷら、照り焼き、カツなど気軽に食べられるものも沢山あります。天ぷらは1串400円。提灯に書かれた『錦魚亭』は、魚力さんが京都大丸の裏で開いている直営店です。

のと与西店_H25.08.16撮影
のと与西店 H25.08.16撮影

数軒先の反対側には、川魚の"のと与"さん。この店は錦市場に2軒、店舗があってこちらは西店。西店は2階の味彩"のとよ"で鰻を頂くことができます。今回はここで昼食を頂くのが目的でやってきました。食事の話は『京都で食べる』カテゴリに譲ります。

のと与西店の店先_H25.08.16撮影
のと与西店の川魚 H25.08.16撮影

店先に並べられた商品は、いかにも精力がつきそうで夏向きな鰻、鯉、どじょう、すっぽん、他にもあゆ、もろこ、ごり等バラエティー豊かな食材が店先を賑わせます。手前右の長い串は鰻のキモで1串450円、3串で1200円。

川政の涼風なす_H25.08.16撮影
川政の涼風なす H25.08.16撮影

富小路の角に店を構える京野菜の川政さんの店頭には京都さんの涼風なす。見た目も涼しげです。奥の辛味大根の隣には賀茂茄子が。反射的に『賀茂なすは、へたが3片に分かれ、鋭いとげを持つ田楽に適した食材』という京都検定の暗記フレーズが出てきます。

りんごを水で冷やす_H25.08.16撮影
りんごを水で冷やす H25.08.16撮影

四寅さんの店先ではとても涼しげな光景、りんごを水で冷やしています。この錦市場が開けたのは、豊富な地下水があったためでした。江戸初期に魚市場として開かれたのがそもそもの錦市場の始まりです。冷蔵庫の無い時代、錦市場では豊富に湧き出る地下水を使ってモノを冷やしていました。このお店が、まだそうかはわかりませんが、錦市場の各所で今でも地下水は活用されているそうです。

鶴屋の水まんじゅう_H25.08.16撮影
鶴屋の水まんじゅう H25.08.16撮影

こちらも水で冷やして頂く、水錦菓・水まんじゅう。京都鶴屋 鶴壽庵さんでは、こちらの錦店しか扱っていないとのこと。ちなみに鶴屋を経営する八木家は、壬生で最初に新撰組の屯所があった、あの八木家です。

高倉屋の漬け物_H25.08.16撮影
高倉屋の漬け物樽 H25.08.16撮影

夏に限りませんが、暑くて食の進まぬ時期には、漬け物とご飯で軽く済ますのもいいものです。私は専ら酒なので、店先に漬物並んだ漬け物樽を見ていたらビールが飲みたくなりました。

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2013.08.21 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【季】京都の四季

【季】五山送り火をイオンモール京都五条から

カテゴリ【季】:京都の四季
~表情豊かな都の四季を題材にして、自由気ままに記します。



サザンオールスターズの8/17神戸野外ライブのチケットが当たったので、それにかこつけて京都に行こうとしたら、運の良いことにライブは五山の送り火の翌日。7.8年前に嵯峨鳥居本の鳥居形しか見たことが無かったので、今回の京都は送り火鑑賞メインに動いてみました。

東山如意ケ嶽の大文字 三条大橋から_H25.08.16撮影
東山如意ケ嶽の大文字 三条大橋から H25.08.16撮影

8/7の記事では丸太町河原町から見えた昼間の大文字を取り上げましたが、今回、日中の移動で三条大橋から、送り火前の大文字が見えました。黒丸がついている場所です。

東山如意ケ嶽の大文字_H25.08.16撮影
東山如意ケ嶽の大文字 H25.08.16撮影

少し寄ってみます。遠目なので正確なことは判りませんが、まだ何も準備していないようです。時間は15時半頃、見える屋根は、通称だんのうさん(檀王法林寺)の屋根。

イオンモール京都五条_H25.08.16撮影
イオンモール京都五条 H25.08.16撮影

今回の送り火は、事前の情報収集の結果、イオンモール京都五条(旧イオンモール京都ハナ)で鑑賞することにしました。ネットの記事には地元の穴場的な場所なので、送り火を見て興奮して騒いだりすると笑われると書かれています。100円ショップの踏み台を持っていくとよいともあったので、それに従い踏み台と床几タイプの低い椅子を持って行きました。(結果的に正解) どこでもイオンモールはそうだと思うのですが、ここも巨大なショッピングモールでイオンと140もの専門店からなる大きな建物。ここの最上階の屋上が一般に開放されています。

イオンモール屋上_H25.08.16撮影
イオンモール屋上 H25.08.16撮影

19時半頃、到着すると屋上には大勢の人、この写真に映っていない所にも沢山います。最終的には500人位はいたでしょうか?

清水寺のレーザービーム_H25.08.16撮影
清水寺のレーザービーム H25.08.16撮影

屋上からは京都タワー、清水寺のライトアップのレーザービームが見えるのでここがどのあたりに居るのか、地元の人間でなくても、京都の位置関係を把握している人なら大体わかります。ちなみにレーザーは観音様の慈悲の心を現わしているそうです。

今夜の月_H25.08.16撮影
今夜の月 H25.08.16撮影

何となくその気になって、月など映してみました。イオンも事故の無いように警備員を出していて、アナウンスの中で軽く『お帰りにはイオンモールをご利用下さい。』と商魂を出してるのがちょっと面白かった。東山如意ケ嶽が8時にスタートするのですが、10分前に照明が落とされるとどっと挙がる歓声。皆の気持ちも高まります。

東山如意ケ嶽の大文字_H25.08.16撮影
東山如意ケ嶽の大文字 H25.08.16撮影

8時からポツポツ火が付き出し、北東の方向、マンションの向こうに大文字が見えてきます。3分ほどで写真のような姿になります。位置的には斜めから見ている形、大文字の横棒は約80mというのは京都検定の受験勉強で暗記済み。

左大文字と船形_H25.08.16撮影
左大文字と船形 H25.08.16撮影

8時10分点火の松ヶ崎の『妙・法』は残念ながら見えませんでした。8時15分からは、北の方角に大北山の左大文字と西賀茂船山の船形です。左大文字はよく見えますが、船形は向きの関係で船の形がよくわかりません。おそらく長い直線が帆柱の部分でしょう。

鳥居形_H25.08.16撮影
鳥居形 H25.08.16撮影

8時20分から北西の嵯峨鳥居本の鳥居形が点火。距離があるのであまり大きくは見えません。写真は結構拡大しています。東山の大文字は早々に消えてしまいましたが、左大文字と船形はかなり長いことついていました。燃料が違うのでしょうか?鳥居形も見えなくなってきたので退散することにしました。今年も京都の夏も終わりが見えてきたようです。


イオンモール京都五条:京都市右京区西院追分町25-1(HP,地図)
今回は京都駅から嵯峨野線丹波口駅で下車しました。五条通りを徒歩で西へ1.35km程。途中、五条通で市営バスに乗って中ノ橋五条バス停ででイオンモールの正面。阪急西院から100円のシャトルバスも出ています。

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2013.08.20 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【季】京都の四季

【滞】サザン神戸野外にかこつけて京都滞在・送り火鑑賞

カテゴリ【滞】:京都での滞在記録
~備忘録も兼ねた京都での行動記録です。基本、取材旅行の過密スケジュールなので観光の参考にはならないと思います。



8月16日の滞在記録
5:39に京都八条口に妻と二人で京都駅八条口到着、今回の高速バスは構造上、自分の所だけ狭くてよく眠れなかった。関越道の事故があって8/1から法律が変わったこともあり、これから高速バスがどうなるかは気にかかります。九条新町の京都第一ホテルまで歩いて荷物を預け、新・都ホテル1Fのロンドでバイキング朝食。バイキングの割には品数が少ない。この品数で2,100円はちょっと高いです。(二人で4,200円) JR嵯峨野線で亀岡で移動し保津川下りへ。盆だし、送り火当日なのでかなり混むかと心配していたら、それほどは混んでおらず30分程度で乗船可能になったのは幸い。

藤田御大と菅井さん白木さんのサイン_H25.08.16撮影
待合所にあった故・藤田御大と菅井さん白木さんのサイン H25.08.16撮影

1時間半ほどの川下りの間は風も有り、それほど暑さは厳しくなかったが、川の水が少ないために船頭さんは大変だったようだ。川下り後、妻が具合が悪いというので、ホテルに戻ることに。嵯峨野線でそのまま京都駅へ戻り、徒歩で京都第一ホテルへ。部屋で寝かした後、地下鉄九条駅から京都市役所前まで行き、寺町通りを下る。矢田寺では送り鐘が行われている。錦市場では、今回楽しみにしていた、のと与西店でうな丼を食べる。うなぎ3切れで1,900円也。今回、朝、昼と食事は高くつきました。食事後は、錦市場の夏をテーマに並んでいる食材を迷惑にならないように歩きながら撮影。さすがに京都の台所だけあってごった返してます。龍馬と中岡慎太郎の暗殺現場の碑を撮っていたら、仕事のトラブルの連絡が入り、その対応に追われる。喫茶店からスマホで販売システムの操作をしたり、スマホの電池が無いので高島屋の公衆電話から会社に何度も電話したりと散々でした。

土佐稲荷_H25.08.16撮影
土佐稲荷 H25.08.16撮影

一段落ついて、土佐稲荷、酢屋跡へ。海援隊のオフィスがあったという酢屋は見学できるようだったが、この後のスケジュールを考えて、表から見るだけに。三条橋の袂から鹿ケ谷の大文字が見える。三条京阪前から市バスに乗り天王町へ。今回、何故か見たくてたまらない大豊神社の狛鼠を見に行く。妙に外人が多いのが不思議。外人向けの妙なお土産物屋さんがあるからか。戻って南門から金戒光明寺境内へ。法然廟の前の熊谷直実と平敦盛の供養塔、西雲院の会津小鉄の墓などを撮影する。そのまま、丸太町通りから市バスに乗り、東大路で乗り換える。本当なら智積院に行きたかったが、送り火のタイムリミットも有り、道も混んでいるのでそのままバスで九条通りまで行ってホテルへ戻る。妻は寝ているかと思いきや、部屋にいないので電話すると、具合が良くなったので伏見稲荷に居るという。連絡ぐらいよこせ。汗だくなのでシャワーを浴びてから、京都駅のマックで待ち合わせ。嵯峨野線の丹波口下車。五条通りを歩きと1停留所分だけバスで、イオンモール京都五条へ向かう。

イオンモール京都五条_H25.08.16撮影
イオンモール京都五条 H25.08.16撮影

ネットで調べたところ、ここは京都市民が送り火を見る所だそうだがネットに載っている時点でもう駄目だろう。最終的に500人位は集まっていただろうか。周囲の建物の関係で大文字は、すこし斜めから、妙法は見えず、左大文字はかなり横から、船形は帆柱らしきものが見えるだけ。鳥居形は遠くに小さく見えた。今まで鳥居しか見たことが無かったのでまあいいか。イオンモールからタクシーで烏丸七条の地元の飲み屋街・リド飲食街へ。お盆のせいか2軒しかやっておらず、手前の店で串揚げを頂いた。神経痛がひどくなったので八条口まで歩いて、そこからタクシー。余りにも短距離で運転手さんには申し訳ないのでお釣りは頂かなかった。そのままホテルで睡眠。

8月17日の滞在記録
翌朝、5時頃起きて徒歩で智積院へ向かう。妻も付いて来るというので連れて行く。京都駅の東側の跨線橋で線路を越えると5時から営業している第一旭(ラーメン)はもう行列していました。智積院では金堂越しの京都タワーを墓地から撮影しようと習ったが、木が茂り花をつけているので上手く撮影できず。このシチュエーションは冬でないとダメなようだ。ただ、池で蓮が撮れたのは嬉しかった。市バスでホテルへ戻る。本来なら、このあと高台寺の辻利で抹茶パフェを食べに行く予定だが疲れたのでチェックアウトまで眠る。市バスの1日券買って損した。このあと10時に徒歩で京都駅へ向かい、今回の一番の目的、サザンの神戸ライブへ向かった。

智積院の蓮_H25.08.16撮影
"智積院の蓮 H25.08.16撮影

8月18日の滞在記録
ライブ終了後は神戸宿泊。夕方、新神戸から新幹線で帰京。途中念願だった新幹線からの当時五重塔撮影に成功したのは収穫でした。

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2013.08.19 | | Comments(2) | Trackback(0) | 【滞】京都での滞在記録

【癒】緑の美しい静寂の墓地~西雲院・会津墓地

カテゴリ【癒】:京都で癒す
~一般的・個人的かかわらずマイ京都癒しのスポットをご案内


会津墓地_H25.06.16撮影
会津墓地 H25.06.16撮影

会津墓地は私の癒しの場所でもある。何回も訪問しているが、この場所は夏の緑深い時期が一番美しい気がする。緑の中で、鳥のさえずりだけを聞きながら、静かに佇んでいると何故か心が落ち着いてくるから不思議だ。特に雨が降った後、しっとりと葉や石畳が濡れている風情は何とも言えない。暑くても時折、サラサラと吹いてくる涼しい風は、この場所が黒谷の高台にあるせいだろう。

会津墓地の立て札_H25.06.16撮影
会津人の聖地 H25.06.16撮影

私が訪れる時はたいがい静かだが、このように書かれている所を見ると、うるさいことも多いのだろう。何しろ会津藩の存在は幕末物には欠かせないのだから。今年は特に八重効果で、静かに眠っている会津人には気の毒なことだ。

会津藩鳥羽伏見戦死者慰霊碑_H25.06.16撮影
会津藩鳥羽伏見戦死者慰霊碑 H25.06.16撮影

会津墓地の正式名称は、會津藩殉難者墓地で約300坪の敷地をもつ。文久2年から慶応3年までに命を落とした237霊、後に鳥羽伏見の戦いで戦死した115霊を合祀した。ここには武士だけではなく、女性や町人も葬られているそうだ。幕末の侠客・会津小鉄が政府の迫害を恐れずに、西雲院住職とともに清掃・整備を続けたというエピソードも残っている。

墓石_H25.06.15
墓石 H25.06.15撮影

墓石に刻まれた文久や元治の年号を見るとより幕末の空気がリアルに伝わってくる気がする。西雲院では毎年6月の第2日曜日に会津松平家の当主を招いて法要を行っている。幕末に遙か東北から呼び寄せられ苦難の連続、最後は賊軍と貶められた会津人たちの魂が今後も安らかならんことを。


西雲院:京都府京都市左京区黒谷町121(地図)

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2013.08.16 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【癒】京都で癒す

【散】金戒光明寺から吉田神社へ(H25.06.16) その6

カテゴリ:【散】京都の散歩道
~街中から山道まで有名無名限らず、色々な京都の散歩道を案内します。京都歩きの御参考になれば幸いです。


西雲院_H25.06.16撮影
西雲院 H25.06.16撮影

会津墓地へは門を入らずにも行けるのだが、折角なので西雲院の中へ入る。西雲院は、会津墓地の他にも花の寺としても知られていて、春にはボタン、夏にはサルスベリが美しい。花にはまだ早かったが、本堂前には、それぞれに名前の付いた蓮の鉢が綺麗に並べられていた。

会津小鉄の墓_H25.08.16撮影
会津小鉄の墓 H25.08.16撮影

西雲院には、江戸時代の儒者海保青陵や会津墓地のために尽力した会津小鉄の墓もある。写真の向かって左が小鉄の墓で本名の上坂仙吉の名が刻まれている。鳥羽伏見の戦の会津の戦死者を後難を恐れず葬った後、遺品を会津まで届けたりもしたそうだ。現代では彼の名は物騒なイメージしかないのだが。

紫雲石_H25.06.16撮影
紫雲石 H25.06.16撮影

本堂の前の小さなお堂には紫雲石が祀られている。この岩は、比叡山を下りた法然上人が腰掛けて念仏を唱えると紫の雲が棚引き、四方に芳香が漂ったという伝説がある。金戒光明寺の山号・紫雲山の起源の岩である。この岩は文禄・慶長の役で捕えられ来日し後に出家した宗厳に対して、金戒光明寺第27世の了的により江戸初期に与えられ、彼はここに西雲院を開いたという。

会津墓地_H25.06.16撮影
会津墓地 H25.06.16撮影

反対側の門を出て左に行くとすぐに会津墓地になる。会津墓地は明日【京都で癒す】カテゴリで紹介したい。


海保青陵の墓_H25.10.13撮影
海保青陵の墓_H25.10.13撮影

H26.03.03追記:後日、西雲院の前の墓地で、江戸時代の儒者・海保清陵の墓を見つけました。西雲院の東門(本堂向かって右)から出てすぐ見える、会津墓地参道と彫られた石碑のすぐ右側です。

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2013.08.15 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【散】京都の散歩道

【門】ヴィヴィッドな国宝~西本願寺唐門・続

カテゴリ:【門】京都の門
~大きなものから小さなものまで、大小遠近男女は問わず京都の門


西本願寺唐門外側から_H25.03.17撮影
西本願寺唐門外側から H25.03.17撮影

以前に取り上げた西本願寺唐門の記事の続編。門の内側には古代中国・三皇五帝時代の「許由、耳を洗えば単父牛をひいて帰るの図」の故事が透かし彫りにされているが、門の外側には別の故事が透かし彫りにされている。

黄石公と張良の故事・裸足で馬に乗る黄石公_H25.06.16撮影
黄石公と張良の故事・裸足で馬に乗る黄石公 H25.06.16撮影

「史記」の「留侯世家」によると秦朝末期、秦に滅ぼされた韓の若い貴族、張良は始皇帝の暗殺を計画するも失敗、名を変えて下邳に隠れる。ある日、この街の橋のたもとで、老人が橋の下に自分の履いていた靴を投げ入れ、張良に取ってくるように命じる。不本意ながらも張良は靴を取ってくると、老人はその靴を履かせるように命じ、張良はその通り従った。笑いながら去って行った老人は戻ってきて、渡したいものがあるので、張良に5日後の朝、ここに来るようにと言う。

黄石公と張良の故事・龍に乗って靴を差しだす帳良_H25.06.16撮影
黄石公と張良の故事・龍に乗って靴を差しだす張良 H25.06.16撮影

5日後、張良がやってくると老人は遅いと怒り、さらに5日後来るように言う。5日後、再び日の出前に張良が家を出ると老人は既に来ており、さらに5日後来るように言う。5日後、張良は夜中のうちに橋の袂へやってくると、やがて老人がやってきて張良に太公望の兵書を渡し、これで王者の師となれること、13年後に黄色い石に出会うが、それが自分の化身であることを告げる。老人の言葉通り張良は13年後に黄石に出会い、劉邦を補佐して秦を滅ぼし、漢の天下統一を助ける。この彫刻で、黄石公が馬、張良が龍に乗っているのは、前述のエピソードを元に作られた能の「張良」によるためである。ちなみに黄石公と張良のエピソードが門の外側に置かれているのは意味があり、これが俗世の立身出世話だから。許由と単父のエピソードが内側にあるのは、これが非俗世の話であるためだ。

孔雀_H25.06.16撮影
孔雀 H25.06.16撮影

見上げないと見えない、門扉の中央上部に置かれている羽根を広げた孔雀は今にも飛び立ちそう。羽根1枚1枚が生きているようだ。この孔雀は外側にしか置かれていない。

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2013.08.14 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【門】京都の門

【散】金戒光明寺から吉田神社へ(H25.06.16) その5

カテゴリ:【散】京都の散歩道
~街中から山道まで有名無名限らず、色々な京都の散歩道を案内します。京都歩きの御参考になれば幸いです。



無縁塚_H25.08.16撮影
無縁塚 H25.06.16撮影

墓地を進むと、無縁の墓を積んだ塚が二つ並んでいて、何となく物悲しい気持ちになる。先程の母の像がある墓のことを考えると、墓参りをしてくれる子孫がいつまでもいるというのは幸せなことだと身につまされる。この前にももう一つ塚があったが、これだけ墓があれば、ある程度の無縁仏が出てきてしまうのは仕方が無いのだろうが。

工事中の知恩院御影堂_H25.08.16撮影

工事中の知恩院御影堂 H25.06.16撮影

振り返ると巨大ソーラーのような大きな屋根が見える。これは現在修復中の知恩院の国宝・御影堂。金戒光明寺の山門同様、法然上人の800年大遠忌にあたり修復されている。2012年から8年計画の予定で行われる長期のプロジェクトだ。先へ進むと左側が木立になっており、錆びた鉄柵の向こうには、石柵に囲まれた3基の墓と6基の灯篭がある。誰か身分の高人の墓所だろう。

西雲院への参道_H25.06.16撮影
西雲院への参道 H25.06.16撮影

正面は塔頭・西雲院の門になる。右側は墓地、左側は無縁の墓が、古いもの新しいものも混ざってずらりと数列並べられている。

傀儡塚_H25.06.16撮影
傀儡塚 H25.06.16撮影

墓地側に、握り拳の上に黒い玉を乗せたモニュメントがある。ボーリングの記念碑かと思って、後ろの説明板を見ると「傀儡(くぐつ)塚由来」と書かれている。内容はかすれてしまってあまり読めないが、この塚は人形劇に関わる人たちの供養塔で、西雲院では傀儡忌というものも行われているそうだ。

西雲院山門_H25.06.15撮影
西雲院山門 H25.06.15撮影

まだ新しい西雲院の山門に辿り着く。脇には「山門不幸」の立て札がある。これは住職もしくは御家族に御不幸があった時に建てられるもので、一般の「忌中」にあたる。これは、5月に西雲院の前住職の家田隆現氏が逝去されたためで、家田氏は人形劇にも功績を残された人形遣いで大きな人形劇団も主宰されていたそうだ。西雲院に傀儡塚があるのもその関係で、ネット上には家田氏の死を悼む記事が多くアップされていた。

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2013.08.12 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【散】京都の散歩道

【段・東】都内某所住宅の石段

カテゴリ:【段・東】日本石段階段学会・東日本支部
~京都だけが石段じゃない。東日本支部の石段階段の研究成果を発表します。


都内某所住宅の石段_H25.07.14撮影
都内某所住宅の石段 H25.07.14撮影

ずっと前から気になっていた玄関に続く階段。何か昭和の香りがするような気がして、写真を撮れる機会を数カ月待っていました。坊主頭の子供がバタバタと帰ってきて玄関先にランドセルを放り出して遊びに行く・・・そんなサザエさんのような光景が頭の中に自然と浮かんでくるノスタルジックな石段です。たった7段の石段が醸し出す情緒が私をフラフラと引き寄せます。

数か月待ったのは玄関が開いてないと雰囲気が出ないと思ったからなのですが、玄関の中には上がりかまちもあってそれがまた昭和感を引き出しています。今、玄関に上がりかまちがあるお宅ってあまりないですよね。ホントは上がりかまちまで、撮りたかったのですが、さすがにもっと近づいて撮る勇気はありませんでしたが。

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2013.08.09 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【段・東】日本階段石段学会・東日本支部

【番】知られざる物語 京都1200年の旅「金閣・銀閣・龍安寺 禅寺に隠された謎」

カテゴリ【番】:京都の番組
~京都がテーマの番組の紹介、感想です。


BS朝日で放送されている京都の伝統文化、自然、寺社などを紹介しながら1200年の歴史をひもといて行く知的エンターテイメント番組。お茶の間にいながら京都に行った気分になれる貴重な番組。京都を思わせるようなゆったりかつ重厚なテーマ曲や升毅さんの柔らかなナレーションも魅力です。録画したDVDを見ながら眠ると幸せな気分で眠れます。そんな素敵な番組を紹介していきます。必ず再放送もあります。

悠久の歴史漂う京の街にあって、ひときわ強いきらめきを放つ寺、「金閣寺」。 金箔(きんぱく)に包まれ、黄金色に輝くその建物は、室町幕府の栄華を今に伝えます。 そんな金閣寺と双璧をなすのが、「銀閣寺」。 きらびやかな金閣寺とは反対に、日本ならではの美を追求した、落ち着いたたたずまいに心洗われます。 そして、この二つの寺に勝るとも劣らない人気を誇るのが「龍安寺」。 静寂漂う美しい枯山水(かれさんすい)の庭。そこに配された十五の不可思議な石。 その凛(りん)とした美しさと、石に秘められた謎に誰もが心ひかれます。 (番組HPより)



南禅寺三門_H18.02.18撮影
南禅寺三門 H18.02.18撮影

南禅寺は亀山法皇が無関普門を開山に迎えた臨済宗南禅寺派の禅寺です。歌舞伎の演目『楼門五三桐』で名高い南禅寺の三門(重要文化財)は、柱と柱の間が5か所で中央の3か所に扉が設けられている造りで、これは三門の中でも最も格式が高い造りになります。国宝の方丈は、江戸時代に御所から移築されたもので、元々は住職の住まいとなる場所です。中には、重要文化財である狩野探幽の『水呑の虎』の襖絵があります。枯山水の庭園は全体で禅の心を現わしているようです。

塔頭とは墓(塔)のそば(頭)の意味で寺の開祖や歴代住職の墓のそばに建てた庵を意味します。天授庵は南禅寺の開祖・無関普門の菩提を弔うために建てられた塔頭です。同じく塔頭の金地院は江戸時代に他の場所からここへ移ってきた塔頭で、重要文化財の方丈は伏見城を移築してきました。方丈には本尊の延命地蔵菩薩が安置され、襖絵の水墨画は桃山期の絵師・長谷川等伯の『猿猴捉月図(えんこうそくげつず)』です。開山堂には金地院崇伝とも呼ばれる以心崇伝を祀っていますが、崇伝は金地院をここに移した人物で南禅寺の住職でもありました。応仁の乱後、南禅寺を復興した崇伝は権力者と深いつながりを持ち、家康の政治・外交顧問として活躍し、武家諸法度や禁中並公家諸法度の制定にも携わりました。

金地院の中には金地院東照宮(重要文化財)があり家康の木造や遺髪と念持仏が祀られています。臨終にも立ち会ったという崇伝と家康の深いつながりがわかります。

相国寺は室町時代に足利義満により創建されました。禅寺に欠かせない三門は江戸時代に焼失し、現在は三門の跡がのこされています。豊臣秀頼の援助で再建された重要文化財の法堂は、日本の禅寺の法堂建築の中では最も大きく古いものです。法堂の天井には狩野光信の手による鳴き龍が描かれ、その下には本尊の釈迦如来と脇待として二体の尊者が祀られています。相国寺は12の山内塔頭と3つの山外塔頭を持ちますが、金閣寺、銀閣寺は相国寺の山外塔頭です。

慈照寺銀閣_H25.03.17撮影
慈照寺銀閣 H25.03.17撮影

金閣は足利義満の別荘で、彼の死後、禅寺となりました。特に金閣は、義満の権力を誇示するかのようにきらびやかに造られています。一方、銀閣は足利義政の別荘だったもので、茶道や生け花など、東山文化とよばれる日本の美がここから花開きました。金閣と銀閣は時間にして100年ほどの差がありますが、義政の頃になると、幕府の統率力や経済力は格段に衰えていました。そのせいもあって銀閣は、金閣に比べ、しっとりと穏やかなものになったのです。

世界的に知られた龍安寺の方丈前の石庭は15個の石で構成されています。15は東洋思想で完璧を現わすもので、この15の石は全てを同時に見ることが出来ないことから不完全を現わしているという説や無限の宇宙を現わしているという説もあります。

龍安寺の本山である妙心寺は、鎌倉時代に始まる禅寺本来の姿をよく残しており、重要文化財の朱塗の三門は南禅寺と同じ構成の最も格式の高い三門です。法堂と一緒になってしまうことの多い仏殿も残っており、重要文化財に指定され、本尊の釈迦如来を祀ります。渡り廊下でつながった法堂も重要文化財で仏殿と似ていますが、仏殿よりも一回り大きく造られています。天井の龍は狩野探幽の雲龍図で、その下には住職が法を説くための椅子が置かれています。

猿之助さんの書は『海を越える』 あらゆるものにシンプルさを求めたアップルの創業者スティーブ・ジョブズは禅に大きな影響を受けました。中国から日本に輸入された禅が再び海外に出て行く、禅は文化の枯れること無い豊かな源泉なのです。

今回も坂東巳之助さんが旅人でした。松也さんと変わったのでしょうか。急にいなくなってしまうと何かさびしいですね。今回、多くの禅寺が紹介されましたが、私にとって印象的なのは銀閣でした。以前にも、このブログに書いたのですが、銀閣は銀でない所に良さがあり、それに気がつくまでには、それ相応の時間がかかるのと思うのです。幕府の力が衰えたがために、銀閣は金閣の様に派手に作れなかったのですが、余裕があったとしても義政は、銀閣に銀を貼ったでしょうか。ここから生まれた禅や茶、華道を考えると、私は貼らなかったのではないかと思います。銀でなくともそれを銀と見立て、その心とともに建物を愛でる、日本人の奥ゆかしさのようなものを感じます。大人になった時に『あの時、何で銀じゃないんだよ』といったなあと感慨にふけるためにも、修学旅行には京都へ行くべきです。

今回のテーマ、禅の心については、まだよくわかりません。渋いとか、ストイックとか、棒で叩かれるとか、表向きなことしかわかりませんが、触れてみれば何となく年相応な大人になれそうな気がします。いつか龍安寺の石庭に向かい合ってそんなことを考える余裕が出来れば・・・そんなことを考えました。

番組HPはこちら
再放送はBS朝日 8/13 22:00~

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2013.08.08 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【番】京都の番組・映画

【ト】河原町丸太町から見えた大文字

カテゴリ:【ト】京都のトピック
~京都の街で見かけた面白いもの、興味深いもの、変わったものetc...


来週17日にサザンの神戸の野外が当たったので行くのですが、16日は五山の送り火じゃありませんか。それをいいことに前日に京都入りして、五山の送り火を見て参ります。となると、この間6月に行った時のこの写真が微妙になるのでその前にUPしておきます。

東山如意ケ嶽の大文字_H25.06.16撮影
東山如意ケ嶽の大文字 H25.06.16撮影

ちょうどキッチン・ゴンでピネライスを食べた帰り、河原町丸太町のバス停から見えた大文字です。年中行事の時にジャストで京都に来れることの少ない者にとっては、灯りが灯ってなくてもこういうの見れちゃうと嬉しくなりますね。

鳥居形_H18.08.16撮影
鳥居形 H18.08.16撮影

ついでにこちらは7年前に撮影した嵯峨鳥居本の鳥居形。地元の方の案内で、人影が見える位間近で見ることが出来ました。ネットにも穴場としてよく書かれている清涼寺の裏手辺りです。この時は、ほとんど地元の人ばかりだったような気がします。今年はどこで見ようか迷っていますが、全部見えるらしい、イオンモール京都五条の屋上に行ってみようかと思っています。

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2013.08.07 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【ト】京都のトピック

【散】金戒光明寺から吉田神社へ(H25.06.16) その4

カテゴリ:【散】京都の散歩道
~街中から山道まで有名無名限らず、色々な京都の散歩道を案内します。京都歩きの御参考になれば幸いです。


文殊塔から京都市街_H25.06.16撮影
文殊塔から京都市街 H25.06.16撮影

125段の石段を登り切ると文殊塔へ到着する。この紫雲山は標高96mで東山三十六峰の第13番目、頂上からは黒谷墓地と京都市街を一望できる。(東山三十六峰についてはこちらのページを参照した)

文殊塔_H25.06.16撮影
文殊塔 H25.06.16撮影

文殊塔(三重塔)は寛永11(1634)に、徳川秀忠にかつて仕えた伊丹重好が徳川秀忠の菩提を弔うため建立したもので、現在は国の重要文化財に指定されている。本瓦葺で高さは22m、以前にもこのブログで紹介したが、真っすぐな石段の上にそびえる塔の風景は、この塔が日本一美しいのではないかと思わされてしまう。

日本三文殊随一_H25.06.16撮影
日本三文殊随一_H25.06.16撮影

二層目正面にかかる額には『日本三文殊随一』の文字。諸説あるが、大和の安倍文殊、丹後の切戸文殊と共に
山城の中山文殊とよばれ、元は中山宝幢寺(ほうどうじ)の本尊だった獅子に騎乗する文殊菩薩像が近年までここに安置されていた。(現在は御影堂に安置)脇寺とともに運慶作と伝えられている。

会津墓地への参道_H25.6.16撮影
会津墓地への参道 H25.6.16撮影

石段を下って会津墓地への分岐点まで戻る。道しるべの通り10mほど進むと、以前取り上げた母の像があるお墓がある。

亀の上の石碑_H25.06.16撮影
亀の上の石碑 H25.06.16撮影

母の像の隣には、亀にくさびを打ち込むような形で立っている石碑がある。漢文で書かれた碑文を読むと、山本義安という慶長年間に伊賀で生まれた武士を顕彰したものらしい。藤堂高虎や後藤又兵衛の名もある。後日調べてみると、松倉重政に従い、大坂冬の陣、夏の陣で功をあげ、後に伊予松山の久松松平家宗家二代目の定行に仕えた人物であることがわかった。

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2013.08.06 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【散】京都の散歩道

【ト】二年三年に比べると若干知名度は落ちますが・・・一念坂

カテゴリ:【ト】京都のトピック
~京都の街で見かけた面白いもの、興味深いもの、変わったものetc...



一念坂を二年坂側から_H25.06.15撮影
一念坂を二年坂側から H25.06.15撮影

二年坂を下ると、東大路通りへショートカットするような形で現れるのが一念坂。二年、三年にならって一年坂とも書くようです。若干知名度が・・・というのは、二年、三年の様に石段が無いからなのか、坂というには傾斜が小さすぎるからなのか、近くに石塀小路があるからなのかよくわかりませんが、個人的には嫌いじゃありません。

一念坂の石碑_H25.03.17撮影
一念坂の石碑 H25.03.17撮影

入口に立っている石碑の『京の坂みち一念坂』の題字は京都商工会議所の故・塚本幸一会頭によるものですが、この石碑に気付かないと、ついつい通り過ぎてしまいそうなこともあるのでしょう。この道が整備されたのは意外と新しく平成2年だそうで、その前は竹やぶだったとか、アスファルトの道だったとか、様々ネットには書かれています。

一念坂を内から二年坂方面へ向かって_H25.03.17撮影
一念坂を内から二年坂方面へ向かって H25.03.17撮影

一念坂ももちろん、産寧坂伝統的建造物群保存地区に含まれており、上の写真で言うと左側の建物の一部が伝統的建物に指定されているようです。(伝統的建造物群保存地区参考図参照) 一念坂の中には工房やギャラリーが軒を連ねていますが、早朝なのでまだ開店していません。ちょうど東山花灯路の翌朝でまだ灯籠が置かれたままになっています。誰もいない石畳を東山から陽が照らしているのが清々しい。

一念坂を出口側
出口側から H25.03.17撮影

反対側はくねった道になっています。左側にある飲食店の看板の当て字がどうもセンスなく感じてしまうのは私だけか?右側の壁の向こうは、THE SODOH HIGASHIYAMA KYOTO(ザ ソウドウ ヒガシヤマ キョウト)という結婚式もできるイタリアンのレストランで、元は戦前の京都画壇を代表する竹内栖鳳の邸宅があった場所。こちらのレストラン、WEBもかなり美しくてきれいなページです。

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2013.08.05 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【ト】京都のトピック

【検】かにかくに碑

【検】:チャレンジ!!京都検定
~試験直前に読んだら受かったりなんかして。



かにかくに碑_H25.06.15撮影
かにかくに碑 H25.06.15撮影

Q.祇園白川沿いに建つ、かにかくにの歌碑は○○を偲ぶために建てられた。

A.吉井勇

祇園の巽橋から、川沿いを50mほど東に進んだ場所に建てられている『かにかくに碑』は祇園歌人として知られる吉井勇の古希を祝うため、昭和30年11月8日に谷崎潤一郎らによって建てられた。毎年11月8日には、この碑の前で『かにかくに祭』が行われ、祇園甲部の芸舞妓らが白菊をたむける。

碑文_H25.06.15撮影
碑文 H25.06.15撮影

『かにかくに祗園はこひし寝る時も 枕の下を水がながるる』

この場所には吉井勇が懇意にしていた大友(だいとも)というお茶屋の跡で、大友は白川の流れに張り出してて建てられていたため、床の下を白川が流れている情景を歌っている。

かにかくにの提灯_H25.06.15撮影
かにかくにの提灯 H25.06.15撮影

座敷で遊んだ後、ほろ酔いで寝ころんでうたた寝をしていたら、枕の下から、川のせせらぎがさらさらと聞こえてくる。戻ってきた芸妓が、そっと羽織をかけて、起こぬように部屋を出て行く。う~ん、三味線屋勇次の世界…。確か必殺仕切人で、酔いつぶれ扇子で顔を覆って横になった勇次を置いて、芸妓達が部屋を出て行くと、扇子が静かに開いてそこには仕事人の顔をした勇次が…というシーンがありました。ついそんなことを思い出してしまいました。ついでに、祇園甲部は都をどり、踊りは井上流、井上流家元の三代目井上八千代の本名は片山春子、歌舞練場はそのまんま祗園甲部歌舞練場。

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2013.08.01 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【検】チャレンジ!!京都検定

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