【歩・過】東海道五十三次踏破・箱根越え上り~その1

カテゴリ:【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)
~2010年からスタートして現在中断中の、東海道を日本橋から京都まで歩く企画の過去分です。ここでは日本橋~金谷までを取り上げます。途中の文章もその当時に書いたものです。


2010年4月18日の記録

箱根まで行くのがなかなか面倒で8時過ぎに自宅を出発したものの、ロマンスカーが満員だったりで、スタートが11:30になってしまった。箱根湯本・三枚橋交差点から。

【あんたこの山越えをどう思う】
(サブタイトルは必殺シリーズ風。今回は必殺仕業人)

11:28 三枚橋交差点出発。天気は快晴。絶好の箱根越え日和。三枚橋で国道1号と別れた県道732号を歩いていく。当然のことながら早速坂道。自転車で登るにはちょっとつらい程度の坂。

11:30 すぐにセブンイレブンで買い出し。山越えに備えて500mlの水、お茶と350mlの缶コーヒー、おにぎり弁当とサンドイッチを購入。水とお茶を持っていくのは、遭難したらどうしようというオレの愚問に対するスーパーガールnatsuco嬢のアドバイス。ちなみに本日は万一に備えて、出発と到着は勤務先の社長にメールで連絡することにしている。社長なら山歩きが得意なので万一何かあっても助けに来てもらえるというアイデアだ。5分後スタート。暑くなりそうなので来ていたブルゾンを腰に巻いてTシャツにパーカースタイルで再スタート。

11:39 箱根郵便局。バス停でバスの時刻表を確認。17時代までは1時間に2本、元箱根までバスが走っている。万一、途中リタイアしても安心。遭難だリタイアだと言っているが、山歩きをしたことが無い上にヘルニア持ちのため、正直なところ、かなり不安なのは事実。

11:41 湯本小学校前で一旦平地になるが、すぐゆるやかな登り。このあたりはまだ普通の地方の住宅街だが、傾斜がきつくなくても坂道が続くのは、山道に慣れない自分にはちょっときつい。最初からこんなことで大丈夫かと不安に輪をかける。先を急ぐため北条五代の菩提寺である早雲寺、曽我物語で有名な日本三大仇討ち、曽我兄弟の槍突石がある正眼寺も通過する。

早雲寺は秀吉の小田原攻めで焼かれたが、寛永年間に再興された。ところで滅ぼされた北条氏、一般にはこれで滅亡したと思われがちだが傍系は残っており、最後の当主氏直の叔父、氏規から始まる河内狭山藩1万1000石は実は幕末まで大名として残っている。10分程で最初の石畳が現れるとの案内がある。この辺りは信号が無いので地図と旅館を突き合わせて進んでいく。

道祖神 H22.04.24撮影
道祖神 H22.04.24撮影

11:51 路傍の夫婦道祖神像に和む。このようなペアの道祖神は珍しいらしい。

山紫苑の別れ道 H22.04.24撮影
山紫苑の別れ道 H22.04.24撮影

11:54 山紫苑という旅館で別れ道。右へ行くと先程案内のあった石畳なのだが道を誤り左へ行ってしまい、石畳を歩かず先に進んでしまった。結局15分程歩いてまたここへ引き返す。ガイドブックの地図がわかりづらいので200m基準のyahoo!の地図を印刷して歩いているが、両方を照らし合わせて歩かないと旧道は拾えないことがわかった。

石畳 H22.04.24撮影
石畳 H22.04.24撮影

12:23 山紫苑の別れ道から再スタート。早速、最初の石畳へ。実はこの石畳は先程引き返して来るのに歩いてきた道だが気持ち的には無かったことにして再度進む。ここから250m程、石畳を歩くことになる。石畳といっても、それほど急ではなく、川の音が響き、途中、旅館の渡り廊下が通っていることもあり、旅館の庭を歩いているような感じでとても風情がある道だ。

石畳 H22.04.24撮影
石畳 H22.04.24撮影

12:28 福寿院で県道732号に合流。最初の石畳は無事クリア。

旧道の橋 H22.04.24撮影
旧道の橋 H22.04.24撮影

12:33 観音橋。左手に現在は使用されていない旧道の石橋(写真奥の線状の物体)が見える。ガイドブックに記載がなければ解らなかったか、過去の東海道で使用されていた石橋のようだ。この辺りで元箱根まで9kmの表示。

12:35 天山湯治郷駐車場。先程、道を間違えてここまで来て引き返した地点。この県道を通るのは初めてだが、この辺りの風景はバイクに乗っていたころに見慣れた山中の国道風景である。

箱根寄木細工 H22.04.24撮影
箱根寄木細工 H22.04.24撮影

12:37 奥の茶屋バス停。箱根名物寄木細工の店がある。随分と老舗のように見える。

12:41 葛原坂バス停。この坂は葛原坂といい、長くてそこそこきつい坂である。

天聖院 H22.04.24撮影
天聖院 H22.04.24撮影

12:46 天聖院。箱根大天狗神社の別院だが、随分と金ピカで派手な寺院だ。門前の駐車場で食事をとる。今回、東海道を日本橋から歩いて初めての外での食事。周囲の風景と相まって、旅気分を十分満喫できる。途中、自転車で箱根越えの男性が通り過ぎて行ったが、かなりつらそうだ。13:03出発。

13:06 須雲川インター交差点。たまに信号を見ると安心する。ここを左折すると箱根新道に入るが旧道は直進。ここを100m程行くと下り坂と平地が300m程続く。上りが厳しいので下り坂と平地を歩くのは、歩きながら休憩している感覚だ。

13:12 須雲川に入る。須雲川はこの辺りの集落名。100m程、普通の住宅地になる。途中、レッカー車の事務所がある。山中で故障した時はここからレッカー車が出て行くのだろう。須雲川は山中の平地に出来た集落といった感じだ。正面の山の中腹より下に箱根大天狗神社が見えるが、辿り着くまでにはかなりつらそうだ。

鎖雲寺 H22.04.24撮影
鎖雲寺 H22.04.24撮影

13:15 鎖雲寺。入り口の滝がなかなかよい。ここからまた坂道になる。

女転がしの坂の碑 H22.04.24撮影
女転がしの坂の碑 H22.04.24撮影

13:19 須雲川橋。女転がしの坂の碑が橋のたもとに立っている。かつて乗馬で山越えをしていた女性が坂の急さに落馬してしまい落命したとの言い伝えが残っている。

箱根大天狗神社の門前 H22.04.24撮影
箱根大天狗神社の門前 H22.04.24撮影

ここから100m程で大天狗神社の門前だが門前はヘアピンカーブになっており、坂も急で登るのに苦労する。乗馬に慣れない人なら男性でも落馬して不思議ではない。

箱根大天狗神社 H22.04.24撮影
箱根大天狗神社 H22.04.24撮影

ヘアピンカーブの先端にある大天狗神社の門も急坂にあるせいか、傾いて建っている。この辺りに2つめの石畳があるらしいが、まだ見当たらない。1つ目は見逃して引き返す羽目になったので今回は注意深く進んでいく。
(続く)

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2014.05.31 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)

【ト】新熊野神社の大樟(クスノキ)

カテゴリ:【ト】京都のトピック
~京都の街で見かけた面白いもの、興味深いもの、変わったものetc...


新熊野神社の大クスノキ_H26.04.05撮影
新熊野神社の大クスノキ H26.04.05撮影

青蓮院の大クスノキを取り上げたら、新熊野神社にも見事な大クスノキがあるのを思い出しました。新熊野神社の読みは"いまくまのじんじゃ"。新日吉神社(いまひえじんじゃ)と同じく"新"を"いま"と読みます。

東大路通りから_H26.04.05撮影
東大路通りから H26.04.05撮影

新熊野神社はJR東海道線を渡る東大路通りの陸橋の南側に位置し、東大路通りに面しています。熊野神社・熊野若王子神社と共に京都三熊野神社の一つでです。

世阿弥・義満機縁の地_H26.04.05撮影
世阿弥・義満機縁の地 H26.04.05撮影

新熊野神社は、足利義満がこの場所で初めて観阿弥・世阿弥親子の能を見た場所とされています。そのため境内には"世阿弥・義満機縁の地"や"今熊野猿楽復元図"など能楽関連の碑が設置されています。

本殿_H26.04.05撮影
本殿 H26.04.05撮影

祭神はイザナミノミコト。京都の神社で本殿にイザナミノミコトのみを祀るのは珍しい気がします。永暦元(1160)年に後白河法皇が院政をひいた場所である法住寺の鎮守社として創建されました。後白河法皇は一生のうち、熊野を34回も訪れたといいますが、新熊野神社は京都の熊野信仰の中心地としての役割を担い、そのため境内には今でも熊野古道が再現され、様々な展示が行われています。

八咫烏(やたがらす)の絵馬_H26.04.05撮影
八咫烏(やたがらす)の絵馬 H26.04.05撮影

熊野神社の御神鳥は、サッカー日本代表のユニフォームでもおなじみの八咫烏。絵馬のデザインにも八咫烏が用いられています。

大クスノキを境内から_H26.04.05撮影
大クスノキを境内から H26.04.05撮影

大クスノキの話題に戻りましょう。新熊野神社のクスノキは神社の入り口側、東大路通り側にそびえています。鳥居と比較すると大きさがわかりやすいでしょうか。後白河院のお手植えと伝えられ、樹齢が900年と推定されています。サイズについては京都市のHPの文章をそのまま引用します。
「樹高は21.9m,胸高幹周は6.58mに達し,栽培の北限に近いにもかかわらず,樹勢はきわめて旺盛である。樹冠は東西方向23.5m,南北方向35mもの広がりを持っており,市街地に植えられた中では傑出した巨樹であり,貴重である。」

樟龍弁財天_H26.04.05撮影
樟龍弁財天 H26.04.05撮影

このクスノキは影向の大樟(ようごうのおおくすのき)とよばれ、信仰の対象にもなっています。影向とは神仏が現れという意味で、入口には門が作られ「樟大権現」「樟龍弁財天」と称されています。

大クスノキを根元から_H26.04.05撮影
大クスノキを根元から H26.04.05撮影

根元から見上げると天を覆い尽くすかのようです。何とこのクスノキは、現在も成長し続けているとか。当然のことながら、京都市により天然記念物に指定されています。

大樟さんのさすり木_H26.04.05撮影
大樟さんのさすり木 H26.04.05撮影

樟大権現のご利益は「健康長寿」「病魔退散」で、特に後白河院が患っていた腹の病気が直ったことから「お腹の神様」ともされています。このクスノキの枝から作った"さすり木"が門前に置かれており、お腹の悪い方は御利益があるそうです。

新熊野神社:京都市東山区今熊野椥ノ森町42(地図

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2014.05.28 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【ト】京都のトピック

【検】緑と青の青蓮院~その2

【検】:チャレンジ!!京都検定
~試験直前に読んだら受かったりなんかして。


青不動_H26.02.09撮影
青不動 H26.02.09撮影

青蓮院で、見どころとしても、京都検定のフィールドワークとしても外せないのは"青不動"とよばれる国宝の"不動明王二童子像"です。平安時代後期の作品で国宝、秘仏になるのであまり一般公開されておらず、公開されたのは、大阪万博から数えて今までに4回だそうです。もちろん小御所から本堂へ渡ると複製が祀られているので、拝観することは出来ます。紅蓮の炎を背負った青黒い体の不動明王像です。本堂の複製も撮影できないので、こちらの写真は屋内に飾られていた複製の複製になります。

本堂_H26.02.09撮影
本堂 H26.02.09撮影

青不動は本堂の裏手に安置されていますが、本堂の表側には青蓮院の本尊である熾盛光(しじょうこう)如来の曼荼羅が祀られています。こちらも秘仏なので拝むのはお前立ちです。京都検定では寺院の本尊を覚えなければなりませんが、熾盛光如来は珍しいので覚えやすいと思います。仏の頭は肉が盛り上がって、髻(もとどり)を成しているとされていますが、熾盛光とは、仏の肉髻を神格化した仏のことだそうです。

霧島の庭_H26.02.09撮影
霧島の庭 H26.02.09撮影

境内北側には、もう一つ庭があります。小堀遠州作と伝わる霧島の庭です。この時期はシーズンオフでしたが、5月になるとキリシマツツジが一面に咲き誇る美しい庭になります。京都検定では庭と言えば小堀遠州ですが、私は遠州の庭なら、彼の代表作でもある二条城の二の丸庭園が力強くて好きですね。

好文亭_H26.02.09撮影
好文亭 H26.02.09撮影

天明の大火で後桜町上皇が青蓮院を仮御所としてお住まいの際、学問所として使用されていた茶室の好文亭です。こちらは平成3年に放火で焼失したため、平成5年に復元されたものです。こちらも通常非公開。京都検定の公式テキストでは「好文亭の周囲には秀吉寄進の神輿型燈籠・蓮華寺型燈籠が巧みに配されている」とあるのですが、今一つよくわかりません。ネットで調べてもはっきり、これと指摘した写真が無いのです。

神輿型燈籠?_H26.02.09撮影
神輿型燈籠? H26.02.09撮影

神輿型燈籠はおそらくこちらかと思いますが、蓮華寺型燈籠が見当たりません。蓮華寺型燈籠は屋根部分がの長い燈籠ですが、今はもうないのでしょうか?ご存知の方、いらっしゃったら教えて頂ければと思います。

宸殿_H26.02.09撮影
宸殿 H26.02.09撮影

最後に京都検定では"行"のつく僧が何人か出てきます。青蓮院の初代門主が"行玄"なので私の覚え方を公開します。
行玄・・・天台座主・青蓮院の初代門主→"玄"担ぎの青蓮院
行教・・・宇佐八幡宮のお告げで石清水八幡宮を勧請→宇佐八幡宮に"教"えられて石清水八幡宮を開く
行円・・・革衣の行円が創建→革堂の行円は頭を丸めている("円")
行基・・・宝積寺、法輪寺、上善寺と出てくるのでその都度覚えています。

やや強引な気もしますが、受験のお役にたてば幸いです。

青蓮院:京都市東山区粟田口三条坊町 (地図)

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2014.05.27 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【検】チャレンジ!!京都検定

【検】緑と青の青蓮院~その1

【検】:チャレンジ!!京都検定
~試験直前に読んだら受かったりなんかして。


門前の大クスノキ_H26.02.09撮影
門前の大クスノキ H26.02.09撮影

青蓮院を訪れてまず驚かされるのは門前の大クスノキ。長屋門の前に立つ巨大な二本のクスノキは見るものを掴もうとする巨大な手のようです。

門前の大クスノキ_H26.02.09撮影
門前の大クスノキ H26.02.09撮影

青蓮院には大クスノキが5本ありますが、一番手前のものが特に目を引きます。青蓮院のクスノキは親鸞上人のお手植えとも伝わりますが、実際には青蓮院がこの地に移転した13世紀以降のものと考えられているそうで、樹齢は800年、最大のもので樹高26.1mは圧巻です。

クスノキの根元_H26.02.09撮影
クスノキの根元 H26.02.09撮影

複雑に絡み合い、苔がついた太い根は大クスノキの強い生命力を感じさせます。

龍心池_H26.02.09撮影
龍心池 H26.02.09撮影

小御所の前には、相阿弥作と伝わる池泉回遊式庭園が広がります。池を龍心池(りゅうしんち)といい、見事な反りをもつ石橋を跨龍橋(こりゅうのはし)といいます。池の中央にある石を龍の背中に見立ててこのような名前がついているようです。写真では見えませんが右手には小さな滝があり、洗心滝(せんしんのたき)といいます。

龍心池_H26.02.09撮影
龍心池 H26.02.09撮影

角度を変えて小御所の濡れ縁から撮影してみました。対岸の白いものは昨日降った雪。三千院、妙法院と共に天台宗三門跡の一つにふさわしい格式と優雅な雰囲気をあわせもつ素敵な庭です。

龍心池_H26.02.09撮影
龍心池 H26.02.09撮影

庭に下りてみました。東側の粟田山を借景に庭園は造られています。なるほどこちらからみると龍心池の中央の石が龍の背中のように見えます。

一文字型手水鉢_H26.02.09撮影
一文字型手水鉢 H26.02.09撮影

もう一度建物の中へ。京都検定ではよく手水鉢が出てきますが、青蓮院は豊臣秀吉寄進、巨大な一文字型の自然石を生かした手水鉢です。小御所への渡り廊下の脇に置かれています。
青蓮院:京都市東山区粟田口三条坊町 (地図)


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2014.05.26 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【検】チャレンジ!!京都検定

【歩・過】東海道五十三次踏破・二宮~その3

カテゴリ:【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)
~2010年からスタートして現在中断中の、東海道を日本橋から京都まで歩く企画の過去分です。ここでは日本橋~金谷までを取り上げます。途中の文章もその当時に書いたものです。


2010年3月22日(月)の第6回目の続き 小田原・上板橋交差点から
【魂京都、寒くて不安になる】
(サブタイトルは必殺シリーズ風。今回は後期必殺シリーズの一般的なバージョン)

箱根ターンパイク_H22.03.22撮影
箱根ターンパイク H22.03.22撮影

16:45 上板橋交差点で国道1号に合流。ここから軽い坂を上っていく。左手には箱根ターンパイクが見える。

ロマンスカー_H22.03.22撮影
ロマンスカー H22.03.22撮影

途中で左手は早川という川が流れていて、山っぽい雰囲気。途中、右手に見える線路は箱根登山鉄道。このまま上っていくかと思えばまた軽い下り坂。小田原厚木道路の下を潜るところで平地になった。途中ロマンスカーが横を走るので思わず写真撮影。こういう風景の中で特急電車が走っていると、いわゆる撮り鉄の気持ちが理解できる。

かまぼこの里_H22.03.22撮影
かまぼこの里 H22.03.22撮影

17:05 東風祭交差点。少し先のかまぼこの里で休憩。ここは小田原の特産品である蒲鉾のメーカー鈴廣が運営している。鈴廣は創業慶応元年の水産製品メーカーで2006年のグループでの連結決算が115億円というから、地方のメーカーとしてはかなり大手なのだろう。

御食事処_H22.03.22撮影
ドライブイン H22.03.22撮影

この辺りが箱根手前のドライブインになっており、周辺には食事処や喫茶などもある。多くの観光客が車から降りて土産物を購入していた。私も今夜の晩酌に、ドレッシングとわさびのついた、いたわさを購入。850円也。(帰って食べたら何故もっと買わなかったのかと思うほど美味しかった。ドレッシングでいたわさというのが目からうろこ)ただ屋外では、かまぼこの妙なCMソングをエンドレスで流しており、それが安っぽいドライブインのような雰囲気を醸し出しているのが残念。

箱根のポスト_H22.03.22撮影
箱根のポスト H22.03.22撮影

反対側の食事処では今では懐かしい円筒型のポストを発見。

駐輪中のバイク_H22.03.22撮影
駐輪中のバイク H22.03.22撮影

17:18 風祭交差点。この辺りから後ろ以外はすべて山。とうとう山の中に足を踏み入れた実感が大。途中のデニーズではツーリングの立派なバイクが2台並んで止まっていた。毎年バイクで箱根越をしていたのが懐かしくなる。この辺りも点々と、蒲鉾の小売店が店を出している。

箱根町に入る_H22.03.22撮影
箱根町に入る H22.03.22撮影

17:29 箱根町に入る。いよいよここからが箱根の始まり。

山崎交差点の先_H22.03.22撮影
山崎交差点の先 H22.03.22撮影

17:36 山崎交差点の先で歩道が無くなった。道は広いが周囲の風景は完全に山の中。店も信号も無い。心なしか空気も冷たくなってきた。唯一、坂道がきつくないのが救い。さらに進むと箱根新道との分岐で再び歩道が現れて少し安心した。

箱根湯本の街_H22.03.22撮影
箱根湯本の街 H22.03.22撮影

17:44 三枚橋手前で下り坂になる。箱根湯本の町が見えてきた。感覚的にはRPGをしていて傷だらけで街までたどりついた感覚。

17:47 三枚橋交差点に到着して終了。ここを左折するのが次回からのコース。本日は直進して300mの箱根湯本駅からロマンスカーで帰宅。日曜日のせいか、温泉帰りの人で混み合っている。駅で蒲鉾を買って食べながら電車を待った。

三枚橋_H22.03.22撮影
三枚橋 H22.03.22撮影

二宮駅付近~三枚橋交差点 ()は日本橋からの累計。
時間:3時間59分(23時間55分)
歩行距離:16.84km(93.94km)

かかった費用
飲食代:2,335円
交通費:2,970円(自宅付近バス停~二宮駅 箱根湯本~自宅付近バス停)
お土産代:850円
雑費:315円
合計:6,470円(22,007円)

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2014.05.25 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)

【歩・過】東海道五十三次踏破・二宮~その2

カテゴリ:【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)
~2010年からスタートして現在中断中の、東海道を日本橋から京都まで歩く企画の過去分です。ここでは日本橋~金谷までを取り上げます。途中の文章もその当時に書いたものです。


2010年3月22日(月)の第6回目の続き 新田義貞首塚から旧東海道へ戻る
【一筆啓上小田原が見えた】
今日からサブタイトルは必殺シリーズ風にすることにした。今回は必殺仕置屋稼業風。

小田原宿の案内_H22.03.22撮影
小田原宿の案内 H22.03.22撮影

16:14 山王橋交差点先に小田原宿の案内があり、日本橋からここまでは83kmと記載されている。このあたりは見附といういくつかある小田原城の見張り番所の一つがあったところ。見附といえば赤坂見附がよく知られている地名だが、ここは小田原城から江戸へ向かう出入り口にあたるため江戸口見附という地名がつけられている。

江戸口見附一里塚跡_H26.03.22撮影
江戸口見附一里塚跡 H26.03.22撮影

すぐそばには20番目の一里塚跡もある。小田原は品川、川崎、神奈川、保土ヶ谷、戸塚、藤沢、平塚、大礒ときて9番目の宿場。

浜町バス停_H22.03.22撮影
浜町バス停 H22.03.22撮影

16:18 浜町のバス停。バス停一つとっても、かつて関東一円を支配した後北条氏5代の城下町の情緒が溢れている。

田代商店_H22.03.22撮影
田代商店 H22.03.22撮影

16:20 新宿交差点で国道1号から外れる。ここから旧東海道に入る。小田原に入ってすでに何軒か見てきたが、小田原名物のかまぼこ屋の見るからに老舗という店舗もこの通りに入るといくつかある。小田原は箱根の麓で山のイメージが強いが小田原港もあり海産物の町でもある。8分ほど歩いて、本町交差点で国道1号に合流。ここで静岡まで96kmと次の県庁所在地まで100kmを切った。

小西薬局_H22.03.22撮影
小西薬局 H22.03.22撮影

16:32 御幸ケ浜交差点。ここを右折すると小田原城の入り口。地方に行くととりあえず城を探して行ってしまうのだが、日暮れまでに箱根湯本に着きたいので今回は我慢。小田原城の天守閣がこのコースでは見えないのは既に知っている。すぐにガイドブックに書いてあった小西薬局。いかにも老舗という年期の入った建物。小田原に入ったときから感じていたことだが、この町は、かつての城下町だったことを感じさせるような古い建物や、新しくても古さを演出しているような建物が多い。街の人たちが城下町だったことを誇りに思って大切にしているのだろう。小田原の北条氏というと“小田原評定”という、老朽化した組織を評するイメージの良くない言葉がつきまといがちだが、この街を残したことは北条氏の大きな功績だ。

ういろう_H22.03.22撮影
ういろう H22.03.22撮影

小西薬局のはす向かいには“ういろう”という和菓子屋。若干和菓子屋さんにはあわないかなと思うド派手な天守閣を模した店舗。ういろうというと名古屋のういろうがすぐに思いつくが、ういろうの発祥はこの小田原のこの店。室町時代に元朝から帰化した陳延祐という人物が礼部員外郎という官職名から外郎という文字を取り、読み間違えないように読み方を変えて“ういろう”と名乗ったのが始まり。外郎という姓は現在も続いており、現在の24代当主も外郎藤右衛門康祐を名乗っている、非常に由緒正しい家柄。ちなみにこの店は和菓子だけでなく漢方薬も販売している。

小田原駅跡_H22.03.22撮影
小田原駅跡 H22.03.22撮影

16:33 箱根口交差点。山も間近に見えてきた。早川口交差点前には明治29年から大正11年まで存在した旧小田原駅の碑。

16:42 早川口交差点。ここで箱根登山鉄道の高架をくぐる。箱根まで6km。ここで6kmということは、やはり箱根までの距離表示は箱根湯本の三枚橋までを基準にしていると思われる。昔、この辺りに、すえひろ5というファミレスがあって、よく沼津の先輩の実家に海水浴にいったりする時の集合場所として、早川のすえひろという言葉が使われていたが、今は残っていないようだ。残念。

蔵のある家_H22.03.22撮影
蔵のある家 H22.03.22撮影

16:45 板橋見附交差点で国道1号から外れる。見附ということは場所的にはここが小田原城の箱根側の関門になるのだろうか。高架をまたくぐるがここの高架は新幹線。東海道新幹線は南下して熱海へ向かう。ここからは普通の住宅地のような道。途中、古風な蔵を持った家を発見。表にはハイヤーが止まっている。地元の有力者だろうか?

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2014.05.24 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)

【祇】今年の祇園祭から復活する大船鉾

カテゴリ【祇】:祇園祭
~京の夏を彩る華やかな祇園祭の風景を、色々な目線でお届けします。


京都好き、魂は京都人と自称しつつも、仕事の関係で祇園祭の時期に京都に行ったことがありません。これではいかんと、今年は何とか休みを取って7月に京都入りする予定です。そのため今回新たに祇園祭のカテゴリを作成しました。

展示中の大船鉾_H26.02.09撮影
展示中の大船鉾 H26.02.09撮影

こちらは、今年の3月まで京都駅前のヨドバシカメラ1Fの京都市無形文化遺産展示室に展示されていた復興中の大船鉾です。全長7.4m、幅約3.3m、高さ約7.3m、懸装(けそう)品や飾り金具を除いてほぼ完成した姿です。

展示中の大船鉾_H25.06.15撮影
展示中の大船鉾 H25.06.15撮影

写っている人と比べると、大きさが分かりやすいでしょうか?こちらは昨年の6月の時点の姿で、この時は船上の部分はまだ出来ていませんでした。

展示中の大船鉾(反対側下から)_H26.02.09撮影
展示中の大船鉾(反対側下から) H26.02.09撮影

大船鉾の完成に合わせ、今年から祇園祭の山鉾巡行は前祭(7/17)と後祭(7/24)に分かれ、昭和41年までのスタイルに戻ります。大船鉾は後祭10期の最後を飾る、大トリの山鉾です。

大船鉾の車輪_H26.02.09撮影
大船鉾の車輪 H26.02.09撮影

大船鉾は応仁の乱以前から存在していましたが、応仁の乱で消失して再建、天明の大火で被災した後、幕末の蛤御門の変で焼失して休み鉾となり、四条町の会所で居祭のみが行われていました。その後、平成7(1995)年に居祭が休止して神事のみとなりましたが、平成9(1997)年)に宵山の囃子、平成18(2006)年に飾り席が復活し、復興の機運が高まりました。

大船鉾の後部_H26.02.09撮影
大船鉾の後部 H26.02.09撮影

今回の復興は、船体の木組みは、京都青年会議所が寄贈し、車輪と車軸は菊水鉾が譲ったもの。唐破風の屋根は京都ライオンズクラブが作成したもので、裾幕は京都市立芸術大学の寄贈だそうです。復興に伴い、船形の鉾は、船鉾、大船鉾と2基になります。船鉾は先祭、大船鉾は後祭になるので同時に巡行することはありません。どちらも御神体は神功皇后ですが、船鉾は朝鮮半島に出陣する船を、大船鉾は凱旋する船を表現しています。そのため御神体の神功皇后の姿も、船鉾は鎧姿、大船鉾は狩衣姿です。

展示中の大船鉾(前部)_H26.02.09撮影
大船鉾の前部 H26.02.09撮影

かつては凱旋船鉾ともよばれていたそうですが、昭和59(1984)年の伝統工芸博覧会のレプリカ展示の際、韓国大統領の上洛に合わせ、名称を大船鉾に変更したという経緯もあります。今年の巡行はまだ完全な姿で参加しないそうですが、近況はこちらのブログで報告されています。

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2014.05.23 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【祇】祇園祭

【動】和気清麻呂公といのしし~護王神社 その2

カテゴリ:【動】京都の動物
~京都の街の動かない動物たち、つまりオブジェとしての動物を取り上げます。


一旦、福本清三さんの主演映画「太秦ライムライト」の話題を挟みましたが、護王神社の記事に戻ります。

和気清麻呂公の銅像_H26.04.06撮影
和気清麻呂公の銅像 H26.04.06撮影

境内の護王快感の前には、平成10年に和気清麻呂公千二百年祭を記念して建てられた清麻呂公の銅像があります。しっかりと両足で大地に立つ姿は、足腰に御利益のある神社ならでは。真っすぐに前を見つめる表情も、道鏡の野望を打ち破った、公の清廉潔白さを示しているように見えます。

和気広虫_H26.04.06撮影
和気広虫姫の御神像の案内 H26.04.06撮影

護王神社は清麻呂公とともに、姉の和気広虫姫も主祭神としています。広虫姫が多くの孤児を育てたというエピソードから、護王神社のもう一つの御神徳は、子育て、子供の成長の守護となっています。そのため、護王神社のもう一つの別名は"子育て明神"です。

飛翔親子猪_H26.04.06撮影
飛翔親子猪・昇り神猪と降り神猪 H26.04.06撮影

祈願殿の南側の木製のオブジェ、真ん中は護王神社にあった樹齢300年の桂の根株で作成したチェーンソーアート"飛翔親子猪"です。写真だと判りづらいのですが、多くの子猪と親猪が天に向かおうとしている姿を表現しています。左右は北山杉で制作された"昇り神猪と降り神猪"です。

飛翔親子猪_H26.04.06撮影
飛翔親子猪 H26.04.06撮影

元々の木材を生かす形で、中央でこちらに顔を向けているのが翼のある親いのしし、その肩に乗るように4~5頭の子いのししが彫られています。護王神社のいのしし神社と子育て明神を上手くミックスさせた作品です。

御神木周辺_H26.04.06撮影
御神木周辺 H26.04.06撮影

御神木の根本には石造の願掛けいのししが置かれ、その前には小さなお札のようなものがびっしりと立てられています。

座立亥串(くらたていぐし)_H26.04.06撮影
座立亥串(くらたていぐし) H26.04.06撮影

これは、名前と願いの内容を書いた札を願掛けいのししの前に立てる座立亥串というものです。多くの札に足腰の健康祈願が記入されていました。住所として書かれた地名も全国津々浦々です。

いのしし柄のネクタイ_H26.04.06撮影
いのしし柄のネクタイ H26.04.06撮影

売店に立ち寄ると、いのしし柄のネクタイが販売されていました。図柄が小さく、それほど目立たないので、ビジネスにも十分使えそうなネクタイでした。

いのししの絵馬_H26.04.06撮影
いのししの絵馬 H26.04.06撮影

絵馬を掛ける場所には、普通の絵馬に混じっていのししの形をした絵馬もありました。なかなか面白いデザインだと思います。絵だけでなく、形もいのししというのは珍しいですね。

大人の衣装_H26.04.06撮影
大人の衣装 H26.04.06撮影

神幸祭で氏子の方が羽織っていた陣羽織のような装束は、茶色に金で描かれた多くのライン、これもきっと、いのししをイメージしているのでしょう。さて、境内にはまだまだ、いのししがいるかもしれませんが今回はこれくらいに。いのしし神社の護王神社を御紹介しました。
護王神社:京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町385(地図


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2014.05.21 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【動】京都の動物

映画「太秦ライムライト」~福本清三さんの映画公開

カテゴリ【時】:時代劇の話
~時代劇の感想、雑感、ニュースを書いて行きます。


今日、ヤフーニュースで福本清三さんの主演映画が公開になることを知りました。「和気清麻呂公といのしし~護王神社」がまだ書きかけですが、うれしくなってこのニュースを取り上げました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140425-00000002-eiga-movi(リンクが切れたらごめんなさい。)

福本清三という名前でピンと来なくても、トムクルーズの「ラストサムライ」に出演したことで脚光を浴びた、元東映剣会のベテラン斬られ役俳優、5万回斬られた男、と言えば、「あぁ!!」と言う方も多いかと思います。

私が小中学生だった頃、母の影響で時代劇が大好きだったので、時代劇を見る時はいつも画面の中で福本さんを探していました。悪徳商人が「先生、お願いします」というと、用心棒役の福本さんがゆらりと立ちあがる姿が今でも目に浮かびます。我が家では勝手に「先生」とニックネームを付けていたのですが、みなも考えることが同じなようで世間でも「先生」とよばれているのを知った時は何か、皆と気分を共用していた気がして嬉しかったのを覚えています。一時期はファンクラブにも入っていました。

鼻を高く見せる独特のメイク、斬られる時のエビぞり、大勢の斬られ役の中でも福本さんは目立っていました。もちろん、斬られ役は目立ってはいけないのですが、先生は目立たないように目立っているのです。時代劇ばかりではなく、西部警察の悪役でも出演されることもありました。セリフがあったりスタッフロールに名前があると何回見ても心が高まりますね。

東映の方なので、松竹の必殺には後期にレンタルの形で2回出演され、3回目は必殺仕事人2009で中村主水と共演し、ラストはもちろん主水に斬られエビぞりで倒れるシーンは、涙ものでした。昨年からはKBSの"極上の京都"のナレーションもされています。うちは東京なのでKBSは見れませんが、BSで毎週見ています。

実は私、先生にお会いしたことがあるのです。もちろんプライベートでは無く、2004年の京都映画祭のの講演を聴きに伺ったのですが、講演前にも関わらず気さくに写真撮影に応じて頂きました。後にも先にも芸能人の方と写真を撮ったのはこれが初めてです。講演も、先生の実直でまじめな人柄がよく伝わってくる講演でした。先生はものすごく謙虚で、常に"お恥ずかしい"とか"大したもんじゃないので"とよく言っておられました。2008年のこちらのインタビューで「斬られ役に代表作は無い」と語っておられるのも実に先生らしいと思います。

その時私は、"京都のロケ地で印象に残っているのはどこですか?"と質問したかったのですが、緊張して"印象に残ったロケ地はどこですか?"になってしまいました。それに対する福本先生は"印象に残るよりも食事がでることだけで充分です。"のお答え。その日は幸せな1日だったのを覚えています。

今回の映画「太秦ライムライト」は先生の自伝的な映画だそうで、太秦で時代劇を愛する人々を、チャップリンの「ライムライト」をモチーフに描くそうです。関西では6月14日から先行公開、東京では新宿バルト9など、全国10館で7/12から公開されます。共演は松方弘樹さん、小林稔侍さん、本田博太郎さん(我が家でのニックネームは、キレキレの演技が夫婦そろって大好きなので"キレキレの博太郎")、萬田久子さん、東映剣会のメンバーも出演されるそうです。時代劇冷遇のこの時代に本当に素敵な企画だと思います。

最後に私が宝物にしている先生と撮影した写真を掲載します。先程のイベントの際、口頭ですが先生にOKを頂いているので大丈夫だと思いますが、関係者の方で不都合がございましたら、下ろしますのでお知らせ下さい。

福本先生と私_H16.09.19撮影
福本先生と私 H16.09.19撮影

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2014.05.20 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【時】時代劇の話

【動】和気清麻呂公といのしし~護王神社 その1

カテゴリ:【動】京都の動物
~京都の街の動かない動物たち、つまりオブジェとしての動物を取り上げます。


先日、「護王神社の神幸祭」で取り上げた護王神社ですが、神幸祭にぶつかったのは偶然で、本当は、いのししをテーマに取材するために伺いました。

烏丸通りを挟んで_H26.04.06撮影
烏丸通りを挟んで護王神社 H26.04.06撮影

護王神社は、烏丸通りを挟んで、京都御苑の西側、蛤御門のはす向かいに位置します。祭神の和気清麻呂公にまつわる"いのしし"のエピソードから、別名"いのしし神社"とよばれています。

阿形の狛いのしし_H26.04.06撮影
阿形の狛いのしし H26.04.06撮影

いのしし神社の名前の通り、烏丸通りに面した表門の門前には阿吽の狛いのししが置かれています。

吽形の狛いのしし_H26.04.06撮影
吽形の狛いのしし H26.04.06撮影

向かって左は吽形の狛いのしし、どちらも上に向かって駈けあがろうとしている勇ましい、いのしし像です。狛猪がある神社は和気氏発祥の地、岡山県和気郡の和気神社、和気清麻呂公の配流地であった鹿児島県霧島市の和気神社などがあり、いずれも清麻呂公が祀られている神社になります。

門前の猪像_H26.04.06撮影
門前の猪像 H26.04.06撮影

門前にあるもう1体の猪像。脇には可愛らしい、いのししのイラストも飾られており、これならお子さんも親しみやすいと思います。

幸運の霊猪_H26.04.06撮影
幸運の霊猪 H26.04.06撮影

表門を潜って右手の手水舎には黒くリアルなブロンズのいのしし像。鼻を撫でると幸せが訪れると言われているそうです。

拝殿前の狛いのしし_H26.04.06撮影
拝殿前の狛いのしし H26.04.06撮影

境内中央の拝殿前にも、雌雄一対の狛いのししが配置されています。こちらは明治23年に建てられたそうで、おそらくは門前よりも古いものでしょう。

拝殿前の狛いのしし_H26.04.06撮影
拝殿前の狛いのしし_H26.04.06撮影

これだけいのししが置かれているのは、大隅国への配流の途中、宇佐八幡宮へ向かう和気清麻呂公を、どこからともなく現れた300頭のいのししが、弓削道鏡の放った刺客から護り、宇佐八幡宮参拝後、猪たちが去ると、刺客に切られ立てなくなっていた足が治ったという故事によるものです。そのため護王神社は足腰の病にも御利益があるとされています。

いのししコレクション_H26.04.06撮影
いのししコレクション H26.04.06撮影

社務所の前にはガラスケースの中に、いのししコレクションと名づけられた、いのししグッズが多数納められています。全国から奉納されたもので置物から猪の剥製まで、いのししグッズなら全てここにあるのではという勢い。ありとあらゆる、いのししたちが所狭しと並べられています。

いのししコレクション_H26.04.06撮影
いのししコレクション H26.04.06撮影

珍しそうなものも沢山あるのですが、ガラスケースが反射して中々写すのが難しい・・・・といういいわけです。

手水舎の猪_H26.04.06撮影
手水舎のいのしし H26.04.06撮影

社務所の脇のもう一つの手水舎にも、いのししが置かれています。子いのししが水を飲みに来ている様子でしょうか?(続く)
護王神社:京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町385(地図

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2014.05.19 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【動】京都の動物

【歩・過】東海道五十三次踏破・二宮~その1

カテゴリ:【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)
~2010年からスタートして現在中断中の、東海道を日本橋から京都まで歩く企画の過去分です。ここでは日本橋~金谷までを取り上げます。途中の文章もその当時に書いたものです。


3/22(月)第6回目
【二宮から湘南の海沿いを歩く】
いよいよ第1関門の箱根に手が届く距離となってきた。ヘルニアを持病に持つ身で果たして箱根を越えることが出来るのか?

13:48 二宮駅前スタート。天気は快晴。進路の先には目指す箱根の山々が墨絵のように見えている。

旧東海道の案内_H22.03.22撮影
旧東海道の案内 H22.03.22撮影

13:57 吾妻神社入口交差点の少し手前で1号線を外れて旧道へ。300m足らずだが案内板がきちんと出ている。資料でわかりづらかった地点なので有り難い。

14:03 山西交差点で1号へ再度合流。

押切橋から河口_H22.03.22撮影
押切橋から河口 H22.03.22撮影

14:08 押切坂上交差点。ここから5分ほど長い下り坂を歩く。下り終わると中村川を渡る押切橋。バイパスの向こうに今日初めての海が見えた。なぜか海が見えると心がはずむ。押切橋から小田原市に入る。距離表示は小田原まで11km。100m程で再度二宮町、また100m程で小田原市。この辺りは境界線が入り組んでいる。

14:22 橘インター交差点。今までは左側を走る西湘バイパスが1号より高くなっていたが、バイパスが1号よりも低くなってきた。

車坂から海_H22.03.22撮影
車坂から海 H22.03.22撮影

14:25 浅間神社入口交差点を過ぎるとまた長い下り坂。この坂は車坂という。途中から海がきれいに見えるようになった。伊豆半島もうっすらと見える。

大山道標_H22.03.22撮影大山道標_H22.03.22撮影
大山道標 H22.03.22撮影

14:33 八百屋らしき店の脇に立派な大山道標。道標の後ろに石灯籠と祠。なぜ縦一列に並んでいるのかが不思議。

国府津駅付近_H22.03.22撮影
国府津駅付近 H22.03.22撮影

14:48 海がすぐそばまでやってきた。多分、今までで東海道が一番、海に近づいている。距離としては100m位。この辺りの海抜は10m程と書いてあるが、もっと低いような気がする。津波が来たらすぐに呑み込まれてしまいそうな場所だ。ここから軽い坂を上って国府津駅前交差点。

【酒匂川歩いて越えるべきか?】

15:03 親木橋交差点。箱根まで12kmの表示有り。12kmというのは箱根のどこまでの距離なのか少し疑問に思う。おそらく箱根の三枚橋あたりだろう。

15:06 ガストにて休憩。前回に懲りて今回は早めに休憩をとった。ドリンクバー355円。

15:21 ガスト出発。すぐに一里塚というバス停があるが、一里塚跡はこの辺りにはないようだ。少し風が冷たくなってきた。

15:41 酒匂3丁目交差点。そろそろ箱根の山々の形が墨絵状ではなく、形がわかる距離まで近づいてきた。

酒匂川_H22.03.22撮影
酒匂川 H22.03.22撮影

15:47 酒匂橋東側交差点。ここから酒匂川を越える。江戸期には酒匂川に橋はかかっておらず、徒歩(かち)渡しといって人足の肩車や輦台(れんだい)などで渡っていた。旧東海道を歩くのなら当然、徒歩で川を渡らなければならないが、そこまでやってしまうと、桑名も船で渡らなければならなくなるので、ここは普通に橋を渡る。ただそれほど深くないので、泳げる格好なら歩いて渡るのも可能だと思う。なお写真の向こうに見える橋は西湘バイパスの橋。

新田義貞の首塚_H22.03.22撮影
新田義貞の首塚 H22.03.22撮影

15:59 少しだけ1号を外れて寄り道。小田原総合ビジネス高校の脇を入って新田義貞の首塚を見る。義経の井戸もそうだったが、このような史跡が普通の住宅地の中にポツンとあるのも少し不思議な感じがする。ここは越前で戦死した義貞の首を家臣が上野に届ける途中、病に倒れ義貞の首をここに埋葬したとのことだ。首塚の前には猫の額ほどの小さな公園。子供用の滑り台も設置されているが子供は怖がらないのだろうか?

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2014.05.18 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)

【歩・過】東海道五十三次踏破・藤沢本町~その3

カテゴリ:【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)
~2010年からスタートして現在中断中の、東海道を日本橋から京都まで歩く企画の過去分です。ここでは日本橋~金谷までを取り上げます。途中の文章もその当時に書いたものです。


3/14(日)の第6回目の続き 大磯マックでの休憩後から

16:50 マックを出発して化粧坂。化粧とかいて“けわい”と読む。鎌倉時代、この辺りが大磯の中心だった。

17:00 大磯駅入口交差点。ここを過ぎると今日は二宮駅まで歩かなければならない。

虎御石の案内_H22.03.14撮影
虎御石の案内 H22.03.14撮影

17:03 穐葉神社入口交差点。ここに曽我物語の悲しきヒロイン虎御前の成長につれて大きくなった虎御石があったらしい。穐葉神社は1号に面している小さな祠。穐葉は“あきば”と読む。

新島襄終焉の地の石碑_H22.03.14撮影
新島襄終焉の地の石碑 H22.03.14撮影

17:07 照ヶ崎海岸入口 ここが日本の海水浴場発祥の地。1985年に陸軍初代軍医総監の松本順によりこの地に海水浴場が開かれた。松本順については司馬遼太郎の小説“胡蝶の夢”が面白いが幕府の奥医師でありながら会津戦争にも参加した血の気の多い人物。ちなみに日本医薬品製造社製の征露丸に彼の顔写真がロゴになっている。またそばには新島襄終焉の地の石碑がたっている。

初めて見た海らしい海_H22.03.14撮影
大磯の海 H22.03.14撮影

17:11 鴫立庵(しぎたつあん)。脇道を入っていくとバイパスの向こうにすぐ海が見えた。東海道を歩き出して初めて見えた海らしい海。

湘南発祥の地の石碑_H22.03.14撮影
湘南発祥の地の石碑 H22.03.14撮影

鴫立庵は1664年、崇雪が草庵を結んだのが始まりで、京都・落柿舎、滋賀の・無名庵とともに日本三大俳諧道場の一つ。すぐそばには湘南発祥の地の碑も建てられている。鴫立庵内の石碑の銘文“著盡湘南清絶地”によりこの地が「湘南発祥の地」とされている。もしこの碑がなければサザンが湘南サウンドと呼ばれることもなかったはずだ。元々の湘南とは現在の中国、湖南省の洞庭湖の湘江の南部のあたりを呼び地名。

東海道の松並木_H22.03.14撮影
東海道の松並木 H22.03.14撮影

17:19 大磯中学校前交差点。今日歩いたルートは、街道に松並木や松が植えられている部分が多かったがこの辺りは本格的な松並木。

切り株_H22.03.14撮影
切り株 H22.03.14撮影

写真の切り株は樹齢217年。東海道の歴史を残すために保存されている。この辺りの距離表示は小田原まで18km。ここで距離を稼げば次回が少し楽になる。

東海道の案内板_H22.03.14撮影
東海道の案内板 H22.03.14撮影
大磯町は町の東西を東海道が貫いているせいか東海道の案内が絵入りの案内板で丁寧に説明されている。

休業中の滄浪閣_H22.03.14撮影
休業中の滄浪閣 H22.03.14撮影

17:25 滄浪閣前。滄浪閣は1897年に建てられた伊藤博文の邸宅。終戦後はプリンスホテルの別館として営業していたこともある。現在は、大磯町が買い取りに失敗して大手建設会社の所有になっているようだが営業はしていない。2007年までホテルとして使用されていたこともあり、建物の概観は取り立てて歴史的なものというものではない。

滄浪閣の石碑_H22.03.14撮影
滄浪閣の石碑 H22.03.14撮影

大磯は私にとっての、日常と非日常の境目の地だと前述したが、そのなかで滄浪閣が旅の扉の入口の日常側の板面である。また滄浪とは青々とした波と言う意味だが、滄浪という文字と語感も私が非常に気に入っている名だ。

17:44 国府本郷交差点。そばを川が流れていることもあり、磯の香りがかすかに香ってくる。風向きのせいか今日は大磯で潮の香りを感じることがなかったので少しうれしい。

17:48 国府本郷から200m位進んだところで道を間違えたことに気づく。旧道を行くには500m程戻らなければならない。旧道も新道に並行しているだけなのであまり大差はないのだが折角なので戻ることにする。

城山公園_H22.03.14撮影
城山公園 H22.03.14撮影

17:53 城山公園前交差点まで戻る。ここから1号を外れて旧道を歩く。歩きすぎたせいか数歩歩くごとに足の裏が痛むようになった。すでに薄暗くなっているので先を急ぎたいが、やむを得ず城山公園の入口のベンチで休憩。公園はすでにしまっており人影はなく非常に寂しい風景。18:01に再出発。休憩を取ったおかげで足裏が痛まなくなった。

国府本郷の一里塚跡_H22.03.14撮影
国府本郷の一里塚跡 H22.03.14撮影

18:11 国府本郷の一里塚跡。江戸から17番目になる。手持ちのデジカメではそろそろ写真が難しくなってきた。

18:19 国府新宿交差点。ここで1号に合流。この交差点は見覚えがある。バイクで京都へ向かう時、厚木方面から走って明け方にここで1号に合流したはずだ。

18:30 二宮町に入る。疲れはピークに達している。今回、地図はヤフーの地図の200mが基準になっているものを印刷して歩いているが、次のページでようやく二宮駅が出てくる。最後の一枚を死ぬ気になって歩いている。

18:41 中央通り入口交差点。小田原14km、沼津52km、静岡107kmの距離表示。駅の入口と間違ってここで終わりにしようとして右折したが、違っていたので再度1号に戻る。

二宮駅入口_H22.03.14撮影
二宮駅入口交差点 H22.03.14撮影

18:45 二宮駅入口。本日はようやくここで終了。今までの中で一番きつい道中となった。ただ、今回頑張ったので、次回は小田原は確実。上手くいけば箱根湯本まで歩けるはずだ。さすがに本日は帰りに学芸大学駅の最近行きつけのマッサージ屋で足裏マッサージをしてもらった。それでも翌日、翌々日は足腰の筋肉痛がひどかった。

藤沢本町駅付近~二宮駅付近 ()は日本橋からの累計。
時間:5時間33分(19時間56分)
歩行距離:23.52km(76.5km)

かかった費用
飲食代:940円
交通費:2160円(自宅付近バス停~藤沢本町 二宮~学芸大学)
マッサージ代:3200円
合計:6300円(15537円)

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2014.05.17 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)

【看】京都の看板分類学始めました。

カテゴリ:【看】京都の看板
~景観保護条例により、他所とは違ったカラーやデザインの"京都の看板"を取り上げていきます。


吉野家都立大学駅前店_H26.05.16撮影
吉野家都立大学駅前店 H26.05.16撮影

昨日、ラストに取り上げた吉野家の通常バージョンの看板写真を撮影してきました。

吉野家京都百万遍店_H25.10.12撮影
吉野家京都百万遍店 H25.10.12撮影

比べてみるとオレンジ地を白地にしてオレンジのラインをあしらうところは、基本的にauと同じパターンです。auとの相違点は文字色が黒ということですが、吉野家の場合は京都もそれ以外も文字色が黒ということは同じです。

セブンイレブン京都福王子店_H26.04.05撮影
セブンイレブン京都福王子店 H26.04.05撮影

仁和寺近くで見つけたこちらのセブンイレブンは、ちょっと異例です。私もセブンイレブンの白黒は初めてです。一瞬、モノクロ写真かと思ってしまいます。このように、ホワイトベース型でも"色で悩むのをやめてしまい、一思いに白黒で決着してしまえ"というある意味、潔い対処法を、カラー分類ではホワイトベース型モノクロームと分類することにしました。今までに見たauや吉野家はホワイトベース型ノーマルと分類することにしましょう。

セブンイレブン三条柳馬場店_H25.12.10撮影
セブンイレブン三条柳馬場店 H25.12.10撮影

ただし、セブンイレブンの場合は、auや吉野家と違い、デザイン不変ではありません。京都のセブンイレブンは、通常カラーの場合でも、他所のセブンイレブンと比較すると線が細くなっています。これは看板の中に占める色の面積の規制の関係です。これをデザインに手を加えていると判断し、デザイン変更型と分類します。福王子店は白黒にした上に線まで細くしているので、まさにコンプライアンスの極みです。(揶揄しているのではありません。)なお、auや吉野家もラインが入ってデザインが変わっているという指摘もあろうかと思いますが、あくまでパッと見で気づけるレベルの変更ということにしたいと思います。

サークルK七条京阪店_H25.12.10撮影
サークルK七条京阪店 H25.12.10撮影

サークルK七条京阪店でも同じようにラインが通常に比べて細くなっています。

サークルK碑文谷一丁目店_H26.05.15撮影
サークルK碑文谷一丁目店 H26.05.15撮影

通常バージョンはこの通りです。昔のプロレスラーのパンツ並みに線が太いです。


整理すると
au(四条烏丸、四条寺町)・吉野家(百万遍店)、CoCo壱番屋(左京区百万遍店)、餃子の王将(百万遍店)"はデザイン不変ホワイトベース型ノーマル"

セブンイレブン(京都福王子店)、ローソン(八坂神社前店)はデザイン変更ホワイトベース型モノクローム

松屋(京都河原町店)はデザイン変更ホワイトベース型ノーマル

セブンイレブン(三条柳馬場店)、サークルK(七条京阪店)はデザイン変更カラー維持型

となります。カラー維持型は、デザインを変更したとしても基本的なコーポレートカラーを変えていないということです。(色の調合のパーセンテージは変わっているかもしれませんが、比較できないのでここでは触れません。)

LAWSON八坂神社前店_H25.10.12撮影
LAWSON八坂神社前店 H25.10.12撮影

LAWSONについては、基本パターンがいくつかあるようなので、個別に考えるしかないのですが、八坂神社前店は文字以外のモノを排除しているのでデザイン変更型に分類してみました。

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2014.05.16 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【看】京都の看板

【看】au、餃子の王将・・・デザイン不変ホワイトベース型

カテゴリ:【看】京都の看板
~景観保護条例により、他所とは違ったカラーやデザインの"京都の看板"を取り上げていきます。


au学芸大学店_H26.05.15撮影
au学芸大学店H26.05.15撮影

携帯電話会社のauのコーポレートカラーはオレンジです。オレンジ地に白のauの文字が目を引くデザインになっています。

au四条烏丸店_H25.10.13撮影
au四条烏丸店 25.10.13撮影

京都の場合はどうかといいますと、白地にオレンジのauの文字、下にオレンジのラインあしらいとなっています。

au四条寺町店_H25.10.13撮影
"au四条寺町店 H25.10.13撮影

同じく四条通りの四条寺町店の場合も同様です。京都で一番の繁華街に有るショップの看板をこのようにしているということは、au側の「京都のauはこれで行く」という意思表示だと考えてもよいでしょう。ロゴやイラストなど基本的なデザインを変えずに、ホワイトをベースにして切り抜けるというこのタイプを、今回からデザイン不変ホワイトベース型と名づけることにしました。

CoCo壱番屋左京区百万遍店_H25.010.12撮影
CoCo壱番屋左京区百万遍店 H25.010.12撮影

デザイン不変ホワイトベース型は、今までにご紹介した中では、CoCo壱番屋左京区百万遍店、町屋風ローソンでおなじみのローソン八坂神社前店松屋京都河原町店で確認できています。

餃子の王将七条烏丸店_H24.11.10撮影
餃子の王将七条烏丸店 H24.11.10撮影

同じくデザイン不変ホワイトベース型の看板は、餃子の王将でも見られます。こちらの写真は京都駅近くの七条烏丸店で、看板のデザインは他の地域でもよく見られるノーマルタイプです。四条大宮の一号店もこのデザインです。餃子の王将は京都発祥なので、京都でもこのままと思いきや・・・

餃子の王将百万遍店_H25.10.12撮影
餃子の王将百万遍店 H25.10.12撮影

王将の文字の周り、3色のカッコ内が赤かったのが白地になってしまっています。四条大宮よりも百万遍の辺りはさらに基準が厳しいのでしょうか?条例を詳しく読み込まないと解りませんね。

吉野家京都百万遍店_H25.10.12撮影
吉野家京都百万遍店 H25.10.12撮影

ちなみに1軒あいた隣の吉野家もデザイン不変ホワイトベース型でした。やはり百万遍は規制が厳しいのかもしれません。

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2014.05.15 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【看】京都の看板

【動】北野天満宮の臥牛(がぎゅう) その2

カテゴリ:【動】京都の動物
~京都の街の動かない動物たち、つまりオブジェとしての動物を取り上げます。


昨日の続き。北野天満宮の楼門内の臥牛の紹介を続けます。

北野天満宮・臥牛 H26.06.08撮影
北野天満宮・臥牛 H26.06.08撮影

楼門を入ってすぐ右にある手水場にも、小さな石造の臥牛が置かれていました。鉢巻のように頭に綱を巻いています。

北野天満宮・臥牛_H26.02.09撮影
北野天満宮・臥牛 H26.02.09撮影

参道から楼門抜けて右側にある石造の臥牛、重量級です。目には赤い石か何かをはめ込んでいるようです。銘は明治14(1881)年とあります。


北野天満宮・臥牛 H26.06.08撮影

こちらは算額など古い絵馬が奉納されている"絵馬所"の脇にある石造の臥牛。木に隠れて楼門側からだと少しわかりづらい位置にあります。昭和42年製造なので私の年と同じ位の年です。

北野天満宮・臥牛 H26.06.08撮影
北野天満宮・臥牛 H26.06.08撮影

絵馬所から少し奥に入った、絵馬掛所中央にある牛社の石造の臥牛です。他の牛と比べてかなりすり減っています。皆が撫でるためでしょうか?若干、牛に見えづらくなってきています。

北野天満宮・臥牛_H26.02.09撮影
北野天満宮・臥牛 H26.02.09撮影

三光門前、門に向って右側の臥牛は斑の石で作られています。屋根もついているので高価な石材なのでしょうか?そういえば、自分の体の悪い所を撫でたあと、牛の同じ場所を撫でると牛に病が移って体が良くなるという信仰があります。北野天満宮のように、牛の像を撫でるのは"撫で牛"といいますが、みなが撫でるので表面がつるつるです。

北野天満宮・臥牛_H26.02.09撮影
北野天満宮・臥牛 H26.02.09撮影

斑の牛の反対側には、同じく屋根付きの黒牛です。こちらも皆に撫でられてつるつるになっています。体のわりに頭が大きいです。

三光門_H26.10.13撮影
三光門 H26.10.13撮影

斑牛と黒牛の前には重要文化財の注文があります。別名、三光門とよばれます。この奥が国宝の社殿です。今まで臥牛ばかりを見てきましたが、拝殿の欄間には今までと違った牛がいるのです。

立ちあがろうとしている牛_H26.02.09撮影
立ちあがろうとしている牛 H26.02.09撮影

それは拝殿欄間に彫られている牛で、北野天満宮の中では唯一、この牛だけが立ち上がる姿を示しています。なぜこの牛だけがそうなのかは解明されていません。ただ、拝殿は皆の合格祈願を正面から受け止める場所なので、せめてこの牛だけは、ポジティブで力強く立ち上がる牛で有りたいと製作者は思ったのかもしれません。

北野天満宮の絵馬_H25.10.13撮影
北野天満宮の絵馬 H25.10.13撮影

神社の特徴的な絵馬は必ず紹介していますが、北野天満宮の三光門内の絵馬のデザインも黒い臥牛です。

北野天満宮・臥牛 H26.02.09撮影
北野天満宮・臥牛 H26.02.09撮影

拝殿向かって右の門から出たところにある臥牛。胴長で頭が小さく、牛にしてはスマートな印象です。北野天満宮には沢山の臥牛がありますが、体型や色、素材などそれぞれに個性があるのが楽しいですね。製作年代は不明。

北野天満宮・臥牛 H26.02.09撮影
北野天満宮・臥牛 H26.02.09撮影

最後は東門近くの手水場で見つけた臥牛です。これくらいのサイズがちょうどいいような気がします。楼門近くのものと同じく綱の鉢巻き姿です。載せている石の台には弘化3(1846)年銘がありました。
北野天満宮:京都府京都市上京区御前通今出川上る馬喰町(地図)
H26.7加筆修正

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2014.05.14 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【動】京都の動物

【動】北野天満宮の臥牛(がぎゅう) その1

カテゴリ:【動】京都の動物
~京都の街の動かない動物たち、つまりオブジェとしての動物を取り上げます。


昨日、北野天満宮の伴氏社をご紹介したので勢いに乗って、北野天満宮の臥牛を取り上げてみようと思います。天満宮では、牛は神の使いとされているため、境内には多くの臥牛像が奉納されているのです。

北野天満宮・臥牛_H26.02.09撮影
北野天満宮・臥牛 H26.02.09撮影

北野天満宮前交差点から入って、一番最初に見ることが出来る臥牛です。茶室の松向軒がある辺りで参道左側です。だいぶ年季が入って汚れていますが、製作は"明治丗五年"と刻印されているので仕方が無いでしょう。頭はきちんと本殿の方向を向いています。

北野天満宮・臥牛_H26.02.09撮影
北野天満宮・臥牛 H26.02.09撮影

二本目と三本目の鳥居の間、参道右側にある黒い臥牛です。こちらは最近のもので平成21年の銘がありました。黒に赤い前かけが鮮やかで、頭は参道に向かっていて、参拝者に挨拶しているような感じ。写真は寄って撮影したので大きく見えますが、実際は、シャープペンの4~5本程度の大きさです。どちらかというと子牛ですね。北野天満宮の中では一番可愛らしいと思います。

北野天満宮・臥牛_H26.02.09撮影
北野天満宮・臥牛 H26.02.09撮影

この臥牛は相当古そうですが、"明治戌五年"の刻印があります。(明治5年は戌年では無いので"戌"は"弐"のことでしょうか?。) 頭部ははだいぶ摩耗してしまい、体も細く骨ばっているように見えて、何となく可哀そうな臥牛です。伴氏社の手前、参道の左側です。

北野天満宮・臥牛_H26.02.09撮影
北野天満宮・臥牛 H26.02.09撮影

三本目の鳥居と楼門の間、参道左側の金属製の臥牛。石造のものに比べ重厚で強そうです。まるでロボットみたいで、夜には目からビームでも出しそう。そうなると2本の角は電極でしょうか(笑) 牛本体に"明治廿六年"と彫られています。ところで冗談はさておき、なぜ天満宮の牛は、みな臥牛なのでしょうか?これは大宰府で失意のうちに無くなった菅原道真の遺骸を運ぶ途中、車を引く牛が伏せて動かなくなってしまったということによります。それ以外にも「道真の出生年は丑年である」「亡くなったのが丑の月の丑の日である」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「牛が刺客から道真を守った」「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」(Wikipediaより)など様々な牛にまつわるエピソードがあります。

北野天満宮・臥牛 H26.06.08撮影
北野天満宮・臥牛 H26.06.08撮影

ビームの臥牛の前には、もう一つ屋根に守られた金属製の臥牛があります。文政2(1819)年とありますが、意外に最近のものに見えます。よく見るとこの牛には、お腹のあたりに子牛が寄り添っているのが分かります。北野天満宮の中で子牛がついた臥牛像は私が見た限りではここだけです。

北野天満宮楼門_H25.10.13撮影
北野天満宮楼門 H25.10.13撮影

参道で四頭の臥牛の前を通ると楼門です。ここから先も奉納された臥牛が境内の各所におかれてしています。先程の牛のエピソードもさることながら、肉食の習慣が無かった時代、牛が貴族にとって食用としてでなく、生活に必要で身近な存在であったことが想像できると思います。(続く)
北野天満宮:京都府京都市上京区御前通今出川上る馬喰町(地図)
H26.6加筆修正


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2014.05.13 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【動】京都の動物

【鳥】京都三珍鳥居~北野天満宮伴氏社の石鳥居

カテゴリ【【鳥】:京都の鳥居
~京都にある珍しい鳥居や特徴的な鳥居をピックアップします。


伴氏社_H26.02.09撮影
伴氏社(ともうじしゃ) H26.02.09撮影

以前に京都の三珍鳥居の一つ、京都御苑の厳島神社・唐破風鳥居をご紹介しましたが、今回はその続き、北野天満宮の伴氏社の石鳥居をご紹介します。伴氏社は北野天満宮の祭神である菅原道真の母・伴氏を祀る境内末社です。

東向観音寺伴氏廟_H26.06.08撮影
東向観音寺伴氏廟 H26.06.08撮影

かつては現在の伴氏社の場所に、伴氏廟として五輪塔がおかれていましたが、今では南に隣接する東向観音寺に移されています。

伴氏社_H26.02.09撮影
伴氏社 H26.02.09撮影

道真の母が、伴真成の娘であることからこの社を伴氏社とよびます。御神徳は子供の成長と学業成就を守護するということで、いかにもその才能で名を馳せた道真の母らしいものです。祠は小さいですが、子を想う暖かい母の眼差しが感じられるような気がしました。ちょうどこの時期、伴氏社の樹木が沢山の黄色い果実を付けていましたが(3枚下の写真) 、そのこともこの社が私に豊かな母性を感じさせた理由なのかもしれません。橘という方もおられますが、何の果実かはわかりません。

鳥居の台座_H26.02.09撮影
鳥居の台座(向かって右) H26.02.09撮影

鎌倉期に建てられたこの鳥居が、京都の三珍鳥居に数えられる理由は二つあります。まず一点目は、この鳥居の台座に蓮が刻まれていることです。

鳥居の台座_H26.02.09撮影
鳥居の台座(向かって左) H26.02.09撮影

蓮は仏の智慧や慈悲の象徴を表すとされるように、仏教にかかわりの深い花で、この鳥居を建造した関係者が、何らかの形で仏教に影響を受けていたことが想像できます。

額束_H26.02.09撮影
額束 H26.02.09撮影

もう一点は、上部中央の額束とよばれる部分が、島木を貫通して笠木に至っていること。なぜこうなっているのかはよくわかりませんが、案外、島木の長さが足りなかったとかそういうことだったりして・・・

平野神社の鳥居_H26.04.05撮影
平野神社の鳥居 H26.04.05撮影

ちなみに、通常の鳥居の額束はこのようになっていますね。こちらは近くの平野神社の鳥居です。以上二つの理由でこの石鳥居は京都の三珍鳥居に数えられているのです。伴氏社は北野天満宮前から交差点から100mほど参道を進んだ左側です。北野天満宮にお参りの際は、是非ご覧下下さい。
北野天満宮:京都府京都市上京区御前通今出川上る馬喰町(地図)

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2014.05.12 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【鳥】京都の鳥居

【歩・過】東海道五十三次踏破・藤沢本町~その2

カテゴリ:【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)
~2010年からスタートして現在中断中の、東海道を日本橋から京都まで歩く企画の過去分です。ここでは日本橋~金谷までを取り上げます。途中の文章もその当時に書いたものです。


3/14(日)の第5回目の続き 相模川旧橋脚跡から

相模川_H22.03.14撮影
相模川 H22.03.14撮影

15:35 新田入口交差点にて七夕の街、平塚市へ突入、すぐに相模川。多摩川、鶴見川に続いて3つめの大きな川。相模川を越える橋は馬入橋。馬入の名は建久9年(1198年)に源頼朝が相模川にかかる橋の落成供養で川に落ちたことからついたという説がある。この落馬自体は鎌倉幕府の正史【吾妻鏡】に記載された事実。この落馬が原因で頼朝は命を落としたらしい。このあと、2代将軍頼家は修善寺で暗殺、3代将軍実朝は鶴岡八幡宮で暗殺。頼朝の死は源氏政権の不幸の端緒になるわけだが、頼朝により非業の死を遂げた義経の恨みだろうか?義経の首洗井戸を前週に見たためかそう感じた。

馬入橋のあたりの相模川の川幅は相当広く、地図上では200m程。南側には遠く河口も見える。川の流れが逆流しているように見えたが、風向きのせいでそう見えたのか満潮で逆流しているのか実際は不明。クルーザーやマリンスポーツをしている人も見える。南側は東海道線の鉄橋も走っており、素人目には東海道線撮影の絶好のスポットに思われる。ところで前から一人タモリ倶楽部でゴムボートで多摩川を下ってみたいと思っているのだが、許可とかいるのだろうか?

馬入の一里塚_H22.03.14撮影
馬入の一里塚 H22.03.14撮影

15:47 馬入交差点で国道1号を外れる。国道を外れたといっても、駅へ向かう大きな道である。すぐに日本橋から15番目の馬入の一里塚跡。ここで飲み物を買って一休みした。

平塚駅前_H22.03.14撮影
平塚駅前 H22.03.14撮影

16:01 平塚駅前交差点。駅前には東横インオリジナル平塚駅北口1と東横インオリジナル平塚駅北口2が道路を挟んで2棟建っている。しかも隣にはココイチ。私が宿泊するには最高の立地条件だ。駅前を過ぎると商店街。道の両側の歩道はいずれも屋根がついていてアーケード状になっている。ベルマーレがJ1に昇格したこともあり、応援の垂れ幕が各所に。平塚で有名なのは七夕祭りだが今年は7/1-7/4まで。集客数は仙台よりも多く300万で全国一位だそうだ。

広重の描いた山_H22.03.14撮影
広重の描いた山 H22.03.14撮影

平塚駅前通過後から前方にお椀を伏せたような、小高い山が見えはじめた。市街からこんなに近くに山が見え出すのはおかしいと思いつつ、平塚駅前商店街を進んでいく。

シャッターの五十三次平塚宿_H22.03.14撮影
シャッターの五十三次平塚宿 H22.03.14撮影

16:17 本宿歩道橋。歩道橋脇に立つ消防団のシャッターに広重の五十三次が描かれているのを発見。描かれた平塚宿には平野を走る東海道に突然現れる山。確実に私が見ている山と広重の描いた山は一緒なはずだ。広重から200年弱を経た現在、浮世絵と同じ景色を見ることが出来るとは!どんな山なのか早く山に近づきたくなって足が自然と速まった。

16:22 古花水橋交差点で1号に合流。ここから大磯町へ入る。後述するが私にとって、大磯は日常と非日常の境目になっている町である。以前、長い休みにはよくバイクで東海道を京都まで走っていたが、大磯まで来ると日常から脱却してここから先が私のとっての【旅】つまり非日常の世界になるのだ。交差点から200m程進むと金目川を渡る花水橋。この辺りで小田原21kmの道路標示。ついに小田原も射程距離に入ってきた。山も次第に手に届く位置になってくる。

高久神社_H22.03.14撮影
高久神社交差点 H22.03.14撮影

16:33 高久神社入口交差点。ここでようやくこの山は高麗山(こまやま)であるということを知った。平地に有るから高く見えるが、それほどの高さはなく標高は168m。地質学の知識は全くないが素人目には、箱根山塊の東側の最前線という感じだ。交差点の名前通り、高麗山の麓には高来(たかく)神社が建てられている。名前の通り、高句麗からの渡来人がこの辺りに住み着いたことから高麗山と名づけられたようだ。渡来人たちの故郷にも同じような形の山があったのだろう。かつては徳川家によりこの山の高麗寺に東照宮がおかれ保護をうけたようだが、明治の廃仏毀釈により現在の高来神社に至っている。想像になってしまうが、高来と文字を換えたのは徳川家の保護を受けた高麗寺の名を憚ったのだろう。この高麗山は21世紀に残したい日本の自然100選に選ばれているとのこと。広重の五十三次の風景を直に感じることの出来るこの風景は是非残して欲しい。

16:35 近くののマックにて15分ほど休憩。先ほどは神社の境内を覗いてみたかったがそろそろ疲労がピークに近づいていた。まだ陽があるため、本日の目標を大磯から一駅進めて二宮までということにした。(続く)

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2014.05.11 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)

【歩・過】東海道五十三次踏破・藤沢本町~その1

カテゴリ:【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)
~2010年からスタートして現在中断中の、東海道を日本橋から京都まで歩く企画の過去分です。ここでは日本橋~金谷までを取り上げます。途中の文章もその当時に書いたものです。


3/14(日)の第5回目の記録

本日は快晴。陽気も春らしくなり着る服に困る。夜になって寒くなったことを考えてジャンパーの裏地を外して着て行く。また本日より万歩計を中止。100円ショップで購入したせいか正しく歩数計れていないため。

そろそろスタート地点までの時間が気になるようになった。自宅からスタート地点の藤沢本町まで1時間半弱。移動の時間をそろそろきちんと考えて計画しないと駄目らしい。

13:12 藤沢本町駅付近よりスタート。本日は大磯までを目指す。天気も良いため足取りも軽やか。何故か往年の80年代アイドル、ひかる一平氏のデビュー曲“青空only you”を歌ってしまう。

13:24 メルシャンワインの藤沢工場。ほのかにぶどうの香りがするが、休日で操業していないので気のせいかもしれない。

町の祠_H22.03.14撮影
町の祠 H22.03.14撮影

13:35 小さな祠を見つけた。特に名も無い祠のようだが、私は石段フェチなので思わず数枚写真を撮影。石段の傾斜加減と薄暗く鄙びた感じの祠の取り合わせが心地よい。

大山道道標_H22.03.14撮影
大山道道標 H22.03.14撮影

13:38 四ツ谷交差点。ここで県道44号が1号国道に合流。1号を渡ると大山道道標。ちなみに大山道の大山とは、現在の伊勢原市にある大山阿夫利神社のこと。この交差点がいくつかある大山道の中で一番主要な田村通り大山道の基点になっている。

不動明王像_H22.03.14撮影
不動明王像 H22.03.14撮影

また、道標の上の不動明王の迫力にも圧倒される。観光地の仏像とはまた違う趣き。少し行って羽鳥交番前交差点を過ぎると、100m程の歩道には松並木。

13:48 大山街道入口交差点。ここから茅ヶ崎市に入る。ここからもまたしばらく歩道に松並木がある。

吉野家の牛丼_H22.03.14撮影
吉野家のカルビ焼肉定食

14:00 大和田バス停。歩き始めて1時間経っていないが、藤沢駅の王将が混んでいて入れなかったために、今日はバス停そばの吉野家で昼食。カルビ焼肉定食580円。たれが甘い。やはり吉野家は牛丼に限る。甘く煮た玉ねぎは、世の中の玉ねぎの存在を否定する私でもおいしく頂けるのは吉野家の妙。休憩の後14:27出発。(続く)

ラチエン通りの案内_H22.03.14撮影
ラチエン通りの案内 H22.03.14撮影

14:38 松林中学校入口交差点 国道1号と交差する道路にラチエン通りの表記を発見。ラチエン通りはサザンの2ndアルバム“10ナンバーズ・からっと”の名曲“ラチエン通りのシスター”のタイトルに使用された通り。イメージではレンガで舗装された小路をイメージしていたが、実際はTOTO茅ヶ崎工場の脇を通る普通の道路だった。ラチエンの名は、昭和11年にこの通り沿いに邸宅を営んだドイツの貿易商ルドルフ・ラチエンから来ている。

ラチエン通り_H22.03.14撮影
ラチエン通り H22.03.14撮影

桑田の恋人がこの通りに住んでいたことから曲名になったサザンファンにはとても懐かしく甘酸っぱい通りである。余談になるが、私はサザンが好きであることをめったに人に話さない。普通に好きと思われたくないからだ。高校大学時代、サザンは私にとって神であった。かつては全ての曲を一語一句全身で受け止めるつもりで聴いていた。高校の時はサザンが出ると正座してテレビを見ていたほどだ。今はサザンを普通に楽しめるようになって気が楽になった。(追記:この3年後、ようやく気持ち的にサザンを生で見ることが出来るようになりました。神戸行ったんですが、衝撃的すぎて、後日、テレビで放映されるのを見るまでコンサート最初の記憶が無かったです。)

洋館の密集地_H22.03.14撮影
洋館の密集地 H22.03.14撮影

14:46 本村交差点 交差点を過ぎるとすぐに怪しげな洋館の廃屋が密集している区画があった。立ち入り禁止になっていて中には入れないが、中に5.6軒の洋館がたっており明らかに気持ち悪い。

洋館_H22.03.14撮影
廃屋の彫刻 H22.03.14撮影

いずれも廃屋のようで玄関前の彫刻も不気味にたたずんでいる。楳図かずおの恐怖漫画に出てきそうな場所だ。

茅ヶ崎一里塚_H22.03.14撮影
茅ヶ崎一里塚 H22.03.14撮影

14:56 一里塚交差点。ここにはかつて茅ヶ崎一里塚があり日本橋から数えて14番目の一里塚があった。歩道の脇が小山のようになっていてその上に一里塚の石がある。江戸期には一里塚は盛り土をしてその上に榎などを植えて木陰を作っていたそうだが、何となくそのイメージに近一里塚だ。ただし隣はマンションになっている。ここから100m程先が茅ヶ崎駅前の交差点だが交差点の歩道は完全に地下化されている。

15:14 千川を渡る鳥井戸橋。ここで日本橋から60kmの表示。この辺りから進行方向の遠くに箱根の山々らしきものが見え始める。

旧相模川の橋脚_H22.03.14撮影
旧相模川の橋脚 H22.03.14撮影

15:22 東海道名物“でかまんじゅう”の看板を過ぎると、小出川を渡る橋の手前に、旧相模川橋脚の案内。かつては相模川はこの辺りを流れていたようだ。橋脚を触ってみたら、人が触れる高さの部分はレプリカになっていた(続く)

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2014.05.10 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)

【動】荒ぶる神とウサギ その2

カテゴリ:【動】京都の動物
~京都の街の動かない動物たち、つまりオブジェとしての動物を取り上げます。


前回より、荒ぶる神として知られるスサノオ一家を祭神とする岡崎神社と、その神の使いとされるウサギについてご紹介しています。

子授けうさぎ像_H26.02.09撮影
子授けうさぎ像 H26.02.09撮影

境内の手水舎には、水を掛けてお腹をさすって祈ると、子宝安産のご利益があるという黒御影石でできた、子授けうさぎ像があります。周りに掲げられたたくさんの絵馬から、多くの夫婦の信仰を集めていることがわかりました。そういえば子供連れの夫婦でお礼参りをしていると思われるご家族も何組かおられます。

手水舎の絵馬_H26.02.09撮影
手水舎の絵馬 H26.02.09撮影

絵馬の絵はほとんどがウサギです。いくつかの種類の図柄がありました。皆さんの子宝安産の願いが込められた絵馬が手水舎を彩っています。

ウサギの授与品_H26.02.09撮影
ウサギの授与品 H26.02.09撮影

社務所でもウサギのグッズが授与品として販売されています。先ほどの手水舎には、おそらく願いがかなった方のものと思われる安産祈願の御神札が絵馬と一緒に奉納されていました。ピンクの輪が鮮やかで可愛らしく、女性に人気がありそうです。ウサギの容器に入ったウサギおみくじというものもあります。

神札納所_H26.02.09撮影
神札納所 H26.02.09撮影

本殿の真向かいには神札納所があります。赤い欄干に何か小さいものがびっしりと乗せられていますが・・・

ミニ子授けウサギ_H26.02.09撮影
ミニ子授けウサギ H26.02.09撮影

そばによると授与品のミニ子授けウサギがずらりと並べられています。全部で100個位はありそうです。

ミニ子授けウサギ_H26.10.13撮影
ミニ子授けウサギ H26.10.13撮影

先ほどの白ウサギばかりの写真は今年の2月のものですが、昨年の10月の時は、手水舎の黒ウサギのミニチュアも混じっていました。

岡崎神社本殿_H26.10.12撮影
岡崎神社本殿 H26.10.12撮影

今回は子供を望むカップルの祈りを集める子宝安産、ウサギの社・岡崎神社のご紹介でした。お参りの後は、社の西側の道を進むと、黒谷墓地、金戒光明寺の境内です。このまま会津墓地、真如堂、吉田神社を巡ってみてはいかがでしょうか?
岡崎神社:京都市左京区岡崎東天王町51番地(地図)

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2014.05.09 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【動】京都の動物

【動】荒ぶる神とウサギ その1

カテゴリ:【動】京都の動物
~京都の街の動かない動物たち、つまりオブジェとしての動物を取り上げます。


岡崎神社_H25.10.13撮影
岡崎神社 H25.10.13撮影

今回は、岡崎神社のウサギをご紹介しようと思います。岡崎神社は黒谷・金戒光明寺の南、丸太町通りに面した神社です。平安遷都の際、王城鎮護の為に都の東西南北の四方に配置された神社の一つであるため、別名を東天王社ともいいます。祭神はスサノオノミコトとその妻クシイナダヒメノミコト、そして二神の子供たちの神々とされています。

阿形の狛うさぎ_H26.02.09撮影
阿形の狛うさぎ H26.02.09撮影

天照大神が天岩戸に隠れる原因となった、スサノオの高天原での蛮行から、彼はは荒ぶる神、凶暴との印象が強いのですが、三女五男と多くの子に恵まれたということもあり、子宝安産の神という全く別の一面も持っています。またかつてはこの地には野ウサギが多く、ウサギは多産ということから、岡崎神社ではウサギが神の使いとされました。今と違い出産が命がけであったことから、信仰の対象になったのは自然なことと思います。かつては、黒谷の地にウサギが群れをなしていたとは、黒谷好きの私にとっては興味深い話です。

吽行の狛ウサギ_H26.02.09撮影
吽行の狛ウサギ H26.02.09撮影

現代では岡崎神社はウサギの神社として知られていますが、境内はまさにウサギ尽くしになっていて、こちらは本殿向かって右側の阿行の狛ウサギです。向かって左側は吽行の狛ウサギ。狛犬と同じく阿吽の狛ウサギが揃っています。優しげな白い姿に赤い目が印象的です。石造りですが、ウサギの柔らかいフワフワ感ががよく表現されていると思います。こちらのウサギがメスで阿行のウサギがオスだとのこと。頭をなでることで夫婦和合・縁結びのご利益があるとか。

狛犬の台座に彫られたウサギ_H26.04.06撮影
狛犬の台座に彫られたウサギ H26.04.06撮影

本殿前の石段の下には、普通の対の狛犬が置かれています。が、よく見ると狛犬が蹴鞠に足を乗せた部分の下の台座にも、並みの上を跳ねるように飛ぶ、躍動感の有るウサギが彫られています。因幡のシロウサギの話がモチーフでしょうか?
後ろを振り返る姿がちょっとずるそうに見えます。そういえば、ウサギとカメの話もあるように、昔話の上では、ウサギは損な役回りのこともありますね。

狛犬の台座に彫られたウサギ_H26.04.06撮影
狛犬の台座に彫られたウサギ H26.04.06撮影

反対側の狛犬の台座には、雲がかかる月とウサギの餅つきが描かれています。実は何回か岡崎神社を取材の為、訪れましたが、狛犬の台座に彫られたウサギは、BS朝日の「京都1200年の旅」で知りました。

ウサギの提灯_H26.10.13撮影
ウサギの提灯 H26.10.13撮影

冒頭の写真の鳥居の前にも、ウサギの図案が施された提灯がありましたが、本殿に掲げられた提灯にもウサギが描かれています。

招きウサギ_H26.02.09撮影
招きウサギ H26.02.09撮影

本殿の上には金運と縁結びの招きウサギが置かれていました。結婚にも子育てにもお金がかかりますから金運招きウサギもというのも面白いですね。次回も、岡崎神社のウサギの話、続きます。
岡崎神社:京都市左京区岡崎東天王町51番地(地図)

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2014.05.07 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【動】京都の動物

【歩・過】東海道五十三次踏破・戸塚~その2

カテゴリ:【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)
~2010年からスタートして現在中断中の、東海道を日本橋から京都まで歩く企画の過去分です。ここでは日本橋~金谷までを取り上げます。途中の文章もその当時に書いたものです。


3/6(土)ココイチ戸塚東俣野店で昼食後からの続き

13:38 神カレーを食した後、一休みして出発。気がついたら雨が本降りになっていた。気が重いが、今日は15時までに終えないと、後の予定に間に合わない。気を取り直して出発する。進んでいくと、ココイチを見つけるまで現れなかった飲食店が現れた。ステーキのどん、すき家、焼き肉屋、お好み焼屋、幸楽苑、反対側にもかっぱ寿司、吉牛など。この辺が国道1号の食事処になっているようだ。

13:48 藤沢バイパスへの分岐点。このまま左へ行くと国道1号の藤沢バイパス。雨のせいでそろそろ靴の中に雨が染み込んできた。靴の中が気持ち悪い。

13:53 藤沢バイパス出口交差点。ここから国道1号をはずれて右へそれる。なだらかな長い下り坂。

遊行寺坂_H22.03.06撮影
遊行寺坂 H22.03.06撮影

14:06 遊行寺坂上バス停。この辺りから遊行寺坂と呼ばれる坂道。箱根駅伝では8区後半の難所である。距離表示は茅ヶ崎10km、江ノ島7km。この間から思っているのだが、坂の写真を撮る時、坂の勾配加減を上手く伝えるのはなかなか難しい。立ったり座ったりして何枚か撮影した。

一里塚跡_H22.03.06撮影
藤沢一里塚跡の案内 H22.03.06撮影

14:15 藤沢一里塚跡。今、歩いている道は両側が壁のよう。江戸時代の道を掘削して現在の道を通していると案内板にある。そのため、現在、一里塚の跡は全く残っていないそうだ。坂の途中から藤沢市外が見えてくる。

遊行寺_H22.03.06撮影
遊行寺 H22.03.06撮影

14:17 遊行寺。この寺は時宗の総本山。正式名は藤沢山無量光院清浄光寺。時宗の開祖一遍上人の開山かと思っていたが、開山は時宗四代目の呑海上人。本山にしては本堂は、こぢんまりとしているが、小さい分、屋根の傾斜が際立って印象的な建造物になっている。

一丁三曲がり_H22.03.06撮影
遊行寺冠木門 H22.03.06撮影

14:28 遊行寺正面の一丁三曲り。ここは東海道が珍しくクランクしている場所でそのために一丁三曲がりと呼ばれている。遊行寺正面から遊行寺橋を渡って県道467号を右へ。左へ行くと鎌倉・江ノ島方面。ちなみに写真の黒門は一丁三曲がりの二曲り目から撮影したものだが、この黒門は日本三大黒門と呼ばれている。またこの門前はかつて上野広小路とともに日本三大広小路と呼ばれていたと案内板。

湘南山の手通りの梅_H22.03.06撮影
湘南山の手通りの梅 H22.03.06撮影

今歩いている通りは、湘南山の手通りという名前がついている。古くから栄えた土地だからかはわからないが、よくありがちな何とか銀座としないところが何となくセンスが良い。通り沿いには梅が満開になっていた木があった。

義経首洗井戸_H22.03.06撮影
義経首洗井戸 H22.03.06撮影

14:42 マンション脇を入って義経首洗井戸。片瀬浜に捨てられた義経の首が川を遡ってこの辺りにたどり着き、それを見つけた村人がこの井戸で洗い清めたとのこと。義経の首と言えば、私が印象的なのは、推理小説の巨匠、故・高木彬光の「成吉思汗の秘密」。この小説では東大医学部法医学教室助教授の神津恭介が盲腸での入院生活の暇つぶしにベットの上で資料を集めて義経=ジンギスカン説を検証していくという歴史ミステリー。謎解きのとっかかりとして、義経の首が、腐敗しやすい暑中にわざわざ一月以上もかけて奥州から運搬されたことが疑問視され、首で果たして本当に検視ができたのかどうか、そこから謎解きがスタートしている。結果的に誰かの法要のためにわざと首を遅れて運ばせたと言うのが真相だったと記憶している。この小説は途中には、ジンキスカンが自分が義経であると述べた文書が見つかるなど、なかなかスリリングな展開を見せる。義経=ジンギスカン説は実際には成立しないと思うが、歴史好きな方は一読してみると面白いと思う。

白旗神社_H22.03.06撮影
白旗神社 H22.03.06撮影

14:44 白旗交差点。ここを右に100m程行くと白旗神社。もともとは寒川神社だったが、義経も合祀されている。

伊勢山橋_H22.03.06撮影
伊勢山橋 H22.03.06撮影

14:48 小田急線江ノ島線を越える伊勢山橋で本日は終了。すぐ横は藤沢本町駅。藤沢本町から新宿まで帰る。

戸塚駅付近~藤沢本町駅付近 ()は日本橋からの累計。
時間:3時間22分(14時間23分)
歩行距離:9.28km(52.98km)

かかった費用
飲食代:1300円
交通費:1280円(自宅付近バス停~戸塚 藤沢本町~新宿)
合計:2580円(9237円)

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2014.05.06 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)

【歩・過】東海道五十三次踏破・戸塚~その1

カテゴリ:【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)
~2010年からスタートして現在中断中の、東海道を日本橋から京都まで歩く企画の過去分です。ここでは日本橋~金谷までを取り上げます。途中の文章もその当時に書いたものです。


3/6(土)戸塚からスタートの記録

戸塚駅地下通路に描かれた五十三次戸塚宿_H22.03.06撮影
戸塚駅地下通路に描かれた五十三次戸塚宿 H22.03.06撮影

天気は小雨。スタート地点まで若干迷って駅周辺をウロウロ。傘をさし、小型デジカメを借りれなかったために大きな1眼レフのカメラバッグとFREITAGのメッセンジャーを襷がけ。非常に動きづらい。おまけに駅で食事をし損ねて空腹状態。非常に悪いコンディションである。天気も悪いし、16時に大久保で古い友人のたっちー氏(From仙台)のライブがあるので、今回は藤沢までいくことを目標にする。

11:26 戸塚駅東口入口交差点スタート。国道1号を歩く。日立のソフト工場を横目にJRの踏切を渡る。吉野家を発見するもスタート直後のため我慢。駅周辺のせいか国道1号は渋滞中。

澤邊本陣跡_H22.03.06撮影
澤邊本陣跡 H22.03.06撮影

11:38 消防署脇に戸塚宿にあった二つの本陣の一つ、澤邊本陣跡。現在は個人宅の敷地になっている。雨のせいか早くも腰が痛くなってきた。

富塚八幡_H22.03.06撮影
富塚八幡 H22.03.06撮影

“とみつか”とかいて“とつか”と読む。ここが戸塚の地名の発祥という説がある。急な階段が印象的な社。私は過去に京都の時代劇のロケ地写真を撮っていたので、時代劇のロケ地になりそうな場所、特に石段を見ると異常にアドレナリンが出る石段フェチである。(プラス小橋フェチ)。雨の上、腰痛発症にもかかわらず、急な石段を登ってみた。石段は45段、石段の上にはそれほど大きくはないが厳かな社殿。東海道ウオークをスタートしてから初めて神社に参拝。お賽銭は100円也。この社は源頼義、義家親子の建立である。

石仏群_H22.03.06撮影
石仏群 H22.03.06撮影

11:58 大坂下バス停。ここから長い坂を上って行く。途中8基横並びの石仏石碑群がある。真ん中は庚申塔。庚申塔とは江戸時代に行われた庚申講の記念碑。庚申講とは庚申の日(かのえさる)の日の夜、人間が眠ると体内に住む虫がその人の悪事を天帝に報告に行くため、夜通し、眠らずに宴会をするという集まりである。民間信仰だが、娯楽の少ない時代、何か理由をつけて娯楽を作ろうという趣旨なのだろう。小学生の頃、地元のの石仏を調べて歩いたことがあり、近所の庚申塔も調べたことがある。我ながら年寄り臭い子供だったと思う。そういえば、石仏を調べているときに、胴体に乗せてあるだけの石仏の首を落としてしまい、震え上がって帰ったことがあったことを思い出した。30年以上前の話だ。そんなことを考えながら坂を上っていった。途中のCOCOSを発見するも横目に見て坂を上がる。ハンバーグが食べたひ。

12:10 国道1号のバイパスに合流。距離表示は東京45km、川崎25km。そのまま国道1号を進む。この辺りは左側が低くなっており、尾根道を歩いているような感じ。1号はあいかわらず渋滞中。

お軽勘平道行碑_H22.03.06撮影
お軽勘平道行碑 H22.03.06撮影

12:20 お軽勘平道行碑。お軽勘平は浄瑠璃・仮名手本忠臣蔵の塩谷判官の家臣、早野勘平(赤穂浪士の萱野三平がモデル)と腰元お軽との悲恋物語。ストーリー上、駆け落ちした二人がこの辺りを歩いたことになっている。碑に山中とあるように国道1号が通っている今も、前述したように地形から、昔の山中のイメージは確かに湧いてくる。

宝ビスケットの電柱広告_H26.03.06撮影
宝ビスケットの電柱広告 H26.03.06撮影

12:26 吹上交差点。国道の距離表示は藤沢5km、小田原38km、静岡136km。そろそろ小田原が標的に入ってきた。小田原までたどり着けば、東海道の最大の難所と思われる箱根が目前になる。吹上から国道1号の長い坂を下って行く。ところで、この辺りは1号沿いに宝ビスケットと宝製菓の看板が延々と電柱に掲示されている。この辺りに昭和21年創業の宝製菓の本社と横浜工場があるようだ。調べてみたら、ビスケットやクッキー、乾パンを製造しているそうだが、言われてみれば確かに食べたことがあるような、無いような・・・

原宿一里塚跡の案内_H22.03.06撮影
原宿一里塚跡の案内 H22.03.06撮影

12:29 原宿一里塚跡。江戸から11番目の一里塚跡。現在は案内板しか残っていない。

12:31 浅間神社前交差点。坂道はここで終了。反対側に浅間神社がある。訪ねなかったので実際はわからないが、外観では社殿が小高い岡の森の中にあるようだ。ここから、富士山などが見えた(見える?)らしい。ここで下りの坂道は終わり。この辺りで雨がやんで傘が不要になってきた。タスキがけにバッグを両脇にかけ、傘を左手に持ち、右手にはメモ用の単語帳とペン。帽子をとって歩いていたので坊主頭が露出している。旅の乞食坊主のような姿だ。

原宿交差点_H22.03.06撮影
原宿交差点 H22.03.06撮影

12:39 原宿交差点。国道1号と県道23号、県道402号が交差するかなり大きな交差点。右に行くと大船。東京の原宿のイメージが強すぎるので戸塚の原宿は違和感があるが、昔、東京の原宿辺りは隠田(おんでん)と呼ばれていた。北斎の富嶽三十六景の【隠田の水車】にも隠田の名が出てくる。また現在も表参道の渋谷寄りには、確か隠田通り商店街の名が残っているはずだ。なので本当の原宿はこちらが本場なのだ。この交差点は道路情報で必ず名前が出てきていつも数キロ渋滞しているイメージがある。この時点では先ほどの渋滞は若干おさまっている。

CoC壱番屋戸塚東俣野店_H22.03.06撮影
CoC壱番屋戸塚東俣野店 H22.03.06撮影

12:49 影取歩道橋東側交差点。空腹も絶頂になり早く食事がしたいが店が無い。王将餃子が食べたいと思っていたら、少し先の道路の反対側に見慣れたココイチの看板発見。このタイミングでココイチ登場は、やはり神である。このタイミングは【ココイチ劇場】と名づけたい。小走りでココイチ戸塚東俣野店へ入店。いつものように神カレーを食す。私は一般的なグルメには全く興味が無いので、これから先も【ココイチ劇場】が常にあればいいのにと願う。
(続く)

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2014.05.05 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)

【歩・過】東海道五十三次踏破・鶴見~その4

カテゴリ:【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)
~2010年からスタートして現在中断中の、東海道を日本橋から京都まで歩く企画の過去分です。ここでは日本橋~金谷までを取り上げます。途中の文章もその当時に書いたものです。


まだ2/20の記事を書き続けている。今日で終われるか?前回は権太坂手前までたどり着いたところ。

15:46 横浜横須賀道路の下をくぐった辺りから坂道の傾斜がきつくなり息が切れてくる。東海道の最初の難所、権太坂の始まりである。難所と云っても、もちろん箱根に比べたらかなり軽い難所のはずだ。

権太坂は正月の箱根駅伝で有名な場所だが、私が歩いているのは駅伝で通る場所ではなく旧東海道の権太坂。権太坂の名前の由来は、江戸時代に耳の遠い老人にこの坂の名前を尋ねたところ、老人は自分の名前と勘違いして権太と答えたということから、権太坂と言う名前になった話が有名だが、wikiには“坂の改修工事を手がけた、藤田権左衛門の名から由来する。”という説もあるそうだ。“ごんざ”が“ごんた”に訛ったということか。

権太坂_H22.02.20撮影
権太坂の石碑 H22.02.20撮影

15:49 光陵高校の権太坂の石碑前。町名表示も権太坂に変わっている。池波正太郎の傑作“雲霧仁左衛門”では、この権太坂に雲霧一味がつなぎの茶店を開いている設定になっているとガイドブックには書いてある。小説は読んだことがないのだが、1995年に山崎努が演じたフジテレビの雲霧仁左衛門は傑作。鬼平とは真逆の盗賊側を描いた作品だが、犯さず殺さず盗まれて困るものからは盗らずという正統派の盗賊・霧仁左衛門を山崎努が好演。また木鼠の吉五郎の石橋蓮司、池上季実子の百化けのお千代を初めとして、脇役も全てはまっているのが見事。必殺以外で大好きな時代劇のひとつである。

ちなみに一番好きなのが第1話で、火盗改に捕らえられた因果小僧六之助を救出するために、雲霧がこともあろうに火盗改の役宅に放火し、隣家の旗本の火消し手伝いを装ってまんまと六之助を救出するシーン。しかも仁左衛門は隣家の当主に変装しているのだ。鬼平好きな方は、一度見て、逆の立場も楽しんでみるのも良いと思う。

脱線してしまったが、風景も次第に田舎っぽい風景になっていく。山奥という感じではないが家並みなども、東京近郊の地方都市のような感じになっている。

頂上辺り_H22.02.20撮影
頂上辺り H22.02.20撮影

15:35 頂上と思われる辺りに到着。下界?と言うほどでもないが麓の景色が一望できる。ここで旅のメモを書いていた単語帳が1冊終わった。何せ歩く時間が長いので、記事を書くためにメモをとるのは欠かせない。その場合、単語帳は非常に便利である。ここから多少、上りはあるものの、坂は下りになっていく。周りの地形をながめると、どうも尾根をずっと歩いているような感じだ。

16:02 境木中学校前。事前の下調べでこの辺りは非常にルートがわかりづらかった。何とか地図とガイドブックを見比べながら、地図に線を引いていたのだが実際に歩いてみると、地元の東海道の案内板がとても親切でありがたい。おかげで旧東海道を外れずに歩いていくことができる。

焼餅坂の案内板_H22.02.20撮影
焼餅坂の案内板 H22.02.20撮影

16:05 境木地蔵尊の交差点。ここから長い坂を下っていく。この坂の名は焼餅坂という。案内によると坂の途中で焼餅を売っていたためにこの名がついたらしく、別名は牡丹餅坂。左側は切り通しになっているが、それ以外の風景は大きなマンション群。焼餅坂を下りきるとまた上り坂になっていく。

品濃一里塚_H22.02.20撮影
品濃一里塚 H22.02.20撮影

16:11 品濃一里塚。ここは日本橋から九里目の一里塚で、現在も東海道の左右を挟んで東西に塚が残っており、両方の塚が残っているのは珍しいそうだ。現在は神奈川県の指定史跡になっている。案内があるのは西側の塚で東側の塚は私有地になっていて入ることが出来ない。

東戸塚駅前付近_H22.02.20撮影
東戸塚駅前付近 H22.02.20撮影

16:17 東戸塚の駅前付近。このあと待ち合わせが控えているのでどうしようかと悩むが、やはり当初の目標通り、戸塚まで歩くことにする。待ち合わせと言っても大将(注:妻のことです。私の職場の人に大将と呼ばれています。)と飲む約束をしているだけなのだが。東戸塚駅前は随分と背の高いマンションが並んでいるのが印象的。

東戸塚の梅_H22.02.20撮影
東戸塚の梅 H22.02.20撮影

駅前付近を過ぎるとそのまま田舎道を進んでいく。途中で梅がとてもきれいに咲いている。

旧東海道の案内_H22.02.20撮影
旧東海道の案内 H22.02.20撮影

16:21 品濃坂に到着。坂を下り途中からは環状2号線を歩道橋で越える。歩道橋にも旧東海道の案内がある。現在ではこの歩道橋も旧東海道になるようだ。ここでも地図上ではわからないことを教えてくれる案内板に感謝。特にこのような手作りに近い案内は、地元の方の旧東海道への愛着が感じられる。

歩道橋を越えるとまた下り坂。東京から来ると歩くのは楽だが、京都から来る旅人はここから権太坂を過ぎるまで東海道の最後の難所だったそうだ。坂が終わると川沿いの新興住宅街を歩いていく。

16:33 東戸塚駅入口交差点。ここで久々に国道1号と再会。わずか1-2時間だが、長い距離を歩いているので、何故か1号線が懐かしい。ここでは1号を横断するだけだが、数分後、国道1号に再度合流。この辺りから疲れがピークになってきて、ウォーキングが自分との戦いの様相になってきた。今回は昼食時に休んだだけできちんとした休みをとらなかったからだろう。

山崎製パン横浜第一工場_H22.02.20撮影
山崎製パン横浜第一工場 H22.02.20撮影

16:43 ヤマザキパンの大きな工場。今あるかわからないのだが、自分の地元にもヤマザキパンの工場があったので思わず写真撮影。疲れてくると何でも懐かしい気持ちになってくる。戸塚まであと一息だ。


16:51 再度国道1号を外れて旧道へ。途中のコンビニでコーラを買って5分ほど休憩。もちろんノンカロリーのコーラ。今回のウォークはダイエットも兼ねているので、消費カロリーを無駄にしたくは無い。

レンガ造りの倉庫_H22.02.20撮影旧家_H22.02.20撮影
レンガ造りの倉庫と旧家 H22.02.20撮影

17:01 レンガ作りの倉庫?と旧家を見つける。とても街道っぽい風景だ。旧家のほうは一般のお宅のようである。

ブリジストン横浜工場_H22.02.20撮影
ブリジストン横浜工場 H22.02.20撮影

17:05 舞岡入口交差点。ここから再度1号へ合流。巨大なブリジストン工場前を歩いていくブリジストンの言う名前は、創業者の石橋正二郎が苗字の石と橋を英訳してひっくり返したと言うのは有名な話。

吉田一里塚跡の案内_H22.02.20撮影
吉田一里塚跡の案内 H22.02.20撮影

17:11 吉田一里塚跡。ここは先ほどのような史跡は残っておらず案内がたっているだけ。
案内板が2つあるが吉田一里塚とも戸塚一里塚ともいうようだ。江戸から10番目の一里塚だが、昔はここまで1日で歩いたらしい。昔の度は旅費を出来るだけ節約するために、夜明けともに歩き、日が落ちると休んでいたそうだ。自分の場合すでにここまで2泊3日かけていることになる。昔ならとんでもない道楽者とうことだ。

日立製作所ソフト工場_H22.02.20撮影
日立製作所ソフト工場 H22.02.20撮影

17:15 吉田大橋。日立のソフト工場が見える。ここで、自分の友人も何人か働いているが、出世頭は去年部長になったそうだ。出会ってから20数年あっという間だったとつい感傷的な気持ちになる。最初に就職した会社の業種の研修会で知り合った仲間だが、毎年年末に必ず忘年会を欠かさずやっている。基本的に世話好きな自分が毎年幹事を一人でやっているのだが、来月彼らと出会って20周年記念の旅行を熱海でやる予定。

戸塚駅東入口交差点_H22.02.20撮影
戸塚駅東入口交差点 H22.02.20撮影

17:20 戸塚駅東入口交差点で終了。歩数は28663歩。空は薄暗くなっている。

鶴見駅付近~戸塚駅付近 ()は日本橋からの累計。
時間:5時間2分(11時間1分)
歩行距離:20.03km(43.7km)

かかった費用
飲食代:1077円
東海道手拭:300円
交通費:1130円(桜新町~鶴見 戸塚~渋谷)
合計:2507円(6657円)

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2014.05.04 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)

【季】護王神社の神幸祭 その4(H26.04.06)

カテゴリ【季】:京都の四季
~表情豊かな都の四季を題材にして、自由気ままに記します。


お稚児さん集合_H26.04.06撮影
お稚児さん集合 H26.04.06撮影

大きい子から小さい子まで、お稚児さんが1か所に集められ、集合写真を撮影していました。お稚児さんだけの集合写真や家族と一緒の集合写真など、一生の記念になる写真だと思います。京都で生まれ育つ子供は本当にうらやましいです。

人力車_H26.04.06撮影
人力車 H26.04.06撮影

人力車も準備を始めています。行列に随行するのでしょうか?この人力車は、普段は神前結婚式用に使用されているものだそうです。車夫の方も神紋入りの法被に笠をかぶった本格的な姿です。

神事の始まり_H26.04.06撮影
神事の始まり H26.04.06撮影

13時50分頃から社殿の前で、祭りの前の神事がスタートしました。最初はざわざわしているのですが次第に、境内が静まり返っていきます。社殿の前では、神前に祭を始める報告をしているようです。

お祓い_H26.04.06撮影
お祓い H26.04.06撮影

神職の方がお祓いをします。神輿だけでなく、参列者に対してもお祓いをすると・・・

祭の前の神事_H26.04.06撮影
祭の前の神事 H26.04.06撮影

進行役の神職の方の指示に従って、大人も子供も皆さん、頭を垂れます。厳かな雰囲気から、永年、地域に根付き、親しまれた神社であることを感じました。

祝詞_H26.04.06撮影
祝詞 H26.04.06撮影

黒袍(くろほう)の神職が神輿の祝詞をあげます。調べてみると、神職にも特級から4級までの6段階の階級があり、こちらの黒袍に白紋の紫袴の方は一級神職でした。全国に250人位しかいないそうです。この写真だけ見ているとタイムスリップしているような感じもします。

烏丸通りを挟んで_H26.04.06撮影
烏丸通りを挟んで H26.04.06撮影

残念ながら新幹線の時間があるので、14時前のこの時点でタイムアップ。神輿に神を遷す神事があるのかを確認したかったのですが、止むなく護王神社を後にしました。今回は神幸祭の準備段階のみご紹介しましたが、いつかまた訪れて、本番もご紹介したいと思います。4回に渡ってお読み頂きありがとうございました。

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2014.05.01 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【季】京都の四季

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