【祇】日中の先祭山鉾と屏風祭を巡る~船鉾

カテゴリ【祇】:祇園祭
~京の夏を彩る華やかな祇園祭の風景を、色々な目線でお届けします。


船鉾_H26.07.16撮影
船鉾(ふねほこ) H26.07.16撮影

岩戸山から新町通りを北へ。新町通には仏光寺通りを挟んで、まるで岩戸山とにらみあっているかのような位置関係の船鉾が現れました。ここは新町通綾小路下る船鉾町です。船鉾は"ふなほこ"と読みたくなりますが"ふねほこ"と読みます。

船鉾_H26.07.16撮影
船鉾 H26.07.16撮影

今まで見てきた"鉾"とも"山"とも違う、名前通りの船の形状です。山鉾の分類上では"船鉾"という分類に入ります。船鉾は鉾ではありますが、長刀鉾のように真木を立てません。

船鉾_H26.07.16撮影
船鉾(後部) H26.07.16撮影

船の形をしている"船鉾"は、この船鉾と今年150年ぶりに復活した大船鉾の二つだけです。この船鉾は、くじ取らずで先祭の23番目、トリを巡行します。

船鉾の車輪_H26.07.16撮影
船鉾の車輪 H26.07.16撮影

船鉾も車輪によって巡行します。重量・8.41トン(巡行時で人、懸装品含む)高さ・6.7メートルの鉾を支える直径約2メートルの巨大な車輪です。

船鉾_H26.07.16撮影
船鉾 H26.07.16撮影

船鉾は700円で拝観することが出来ます。こちらは男女問わず拝観可能です。

船鉾の埒(らち)_H26.07.16撮影
船鉾の埒(らち) H26.07.16撮影

この案内のおかげで、鉾を囲う木の柵を埒とよぶことが分かりました。調べてみるともともとは、馬場の周囲に巡らせた柵のことを云うようです。そこから発展して、物事の区切りを意味するようになりました。"らちがあかない"の"らち"は、この埒のことです。

船首の鷁(げき)_H26.07.16撮影
船首の鷁(げき) H26.07.16撮影

船首に付けられた黄金の鳥は、中国の想像上の動物で鷁です。風に耐えて大空をよく飛ぶと云われています。宝暦年間(1751~1764)に製作されたものです。

船体の龍_H26.07.16撮影
船体の龍 H26.07.16撮影

船体には波間から顔を出す龍も刻まれています。いかにも勇ましい船鉾は、神功皇后の新羅出征のエピソードがモチーフで、これから戦に向かう様子を表しているので、出陣の船鉾とよばれています。船鉾の御神体は神功皇后と磯良(龍神)・住吉・鹿島の三神を祀ります。

船鉾のご神体_H26.07.16撮影
船鉾のご神体 H26.07.16撮影

会所には神功皇后以外の三体が公開されていました。主神の神功皇后は大鎧をつけた戦支度の男装です。皇后は身重のまま出船して勝利した為、船鉾の御利益は安産です。巡行時の神功皇后のご神体には、岩田帯が沢山巻かれ、祭の後、岩田帯が妊婦に授与されるそうです。

船鉾の手作りパンフレット_H26.07.16撮影
船鉾の手作りパンフレット H26.07.31撮影

船鉾を取材していたら、小学生の女の子が学校の授業で作ったという手作りのパンフレットをくれました。近所の洛央小学校の5年生が作ったものだそうです。ものすごく暑い中、一生懸命、皆で声をかけて配っている姿に心打たれました。

船鉾の手作りパンフレット_H26.07.16撮影
船鉾の手作りパンフレット H26.07.31撮影

こんな魅力的な街で大きくなれるなんて本当に羨ましいです。洛央小学校の5年生の皆さん、素敵なパンフレットをありがとう。今でも大事にとってありますから。そんなこともあって、今回の先祭の推し鉾は船鉾に決めました。(続く)

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2014.07.31 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【祇】祇園祭

【祇】日中の先祭山鉾と屏風祭を巡る~岩戸山

カテゴリ【祇】:祇園祭
~京の夏を彩る華やかな祇園祭の風景を、色々な目線でお届けします。


露店越しに岩戸山_H26.07.16撮影
露店越しに岩戸山(いわとやま) H26.07.16撮影

保昌山から高辻通りを西に行き、新町通りに入ると、まだ準備中の露店の向こうに岩戸山が見えてきます。岩戸山は新町仏光寺下ル岩戸山町の山です。岩戸山のHPによると、少なくとも応仁の乱以前の嘉吉元(1441)年には作られていたと考えられるそうです。

岩戸山_H26.07.16撮影
岩戸山 H26.07.16撮影

先ほどの保昌山とは高さが随分と違います。岩戸山は曳き山といって、"山"に元から車輪があり、鉾同様に囃子方を乗せて巡行します。囃子方を乗せるので屋根付です。重量は、鉾並みの8.25t(巡行時で人、懸装品含む)もあります。

岩戸山_H26.07.16撮影
岩戸山 H26.07.16撮影

鉾との違いは、屋根の上に真松を建てていることです。また稚児や稚児人形を乗せず、御神体を乗せるところは他の山と一緒です。写真を見ると、巡行時に接触しないように電柱の上部には覆いが掛けられていることがわかります。

岩戸山の車輪_H26.07.16撮影
岩戸山の車輪 H26.07.16撮影

長刀鉾と同じようにご覧の通りの大きな車輪を持っています。直径2m弱はあるでしょうか。高名な狩野永徳の"洛中洛外図屏風"では、この室町時代には岩戸山に車輪が付いていたことを確認できます。ちなみに岩戸山もくじ取らずで、先祭の22番目、トリの船鉾の前を進みます。

岩戸山_H26.07.16撮影
岩戸山 H26.07.16撮影

岩戸山の上には上がることが出来ます。こちらは女性でも大丈夫、女人禁制ではありません。この角度から見ると、すらりとして、女性的でとても美しく見えます。その名の通り、岩戸山は日本神話の天の岩戸伝説を題材です。

岩戸山_H26.07.16撮影
岩戸山 H26.07.16撮影

御神体は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)とその娘神である天照大神(あまてらすおおかみ)、天照大神を天の岩戸から引き出した出した神である手力男命(だぢからおのかみ)の三体です。天照大神は女神ですが、岩戸山では眉目秀麗な男性の姿をしています。これは武家社会の台頭により、男系社会が強まったことによると考えられています。

岩戸山のミニチュア_H26.07.16撮影

岩戸山のミニチュア_H26.07.16撮影

岩戸山のミニチュア_H26.07.16撮影
岩戸山のミニチュア H26.07.16撮影

細密な岩戸山のミニチュアが展示されていました。明治21(1888)年に個人で製作され、家宝として伝わっていたものが寄贈されたとのこと。御神体の様子もこのミニチュアでわかります。3枚目の写真は、巡行時には屋根の上に安置される伊弉諾尊です。

展示の行われている住宅_H26.07.16撮影
展示を行っている住宅 H26.07.16撮影

すぐそばの個人のお宅だと思いますが、そちらの1階を開放して、懸装品の展示を行っていました。

懸装品の展示_H26.07.16撮影
懸装品の展示 H26.07.16撮影

神棚の前に2枚の懸装品が展示されています。向かって左側のものには説明が無かったのですが、おそらく前懸か見送だと思われます。

岩戸山見送ベネツィア図_H26.07.16撮影
岩戸山見送"ベネツィア図" H26.07.16撮影

向かって左側は、昭和54年に新調されたものでイタリア・ベニスの風景を描いたものだそうです。何やら涼しげな感じがして、暑い京都の夏には快い気がします。御神体が見られないのが心残りです。このあとはすぐそばの船鉾へ向かいます。(続く)


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2014.07.30 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【祇】祇園祭

【祇】日中の先祭山鉾と屏風祭を巡る~保昌山

カテゴリ【祇】:祇園祭
~京の夏を彩る華やかな祇園祭の風景を、色々な目線でお届けします。


和紙で造られた長刀鉾のミニチュア_H26.07.16撮影
和紙で造られた長刀鉾のミニチュア H26.07.16撮影

四条通りから東洞院通りを南へ。保昌山(ほうしょうやま)だけ、何故か他の山鉾と少し離れた場所にあるので600mほど歩きます。途中、「倭紙の店」という和紙の専門店のショーウインドウに、和紙で作られた長刀鉾のミニチュアを見つけました。とてもよく出来ています。

民家の軒先_H26.07.16撮影
民家の軒先 H26.07.16撮影

街中には、あちらこちら祇園祭のポスター、家々の軒先には、"献燈"や"御斎竹"と書かれた提灯が掲げられて、祇園祭の雰囲気を盛り上げてくれます。特に今年はおよそ50年ぶりに後祭が復活する、記念すべき祇園祭なのです。

保昌山_H26.07.16撮影
保昌山 H26.07.16撮影

高辻通りの向こうに、"保"の字をあしらった保昌山の駒形提灯が見えてきました。保昌山は、東洞院通りの真ん中を封鎖する形で建てられています。保昌山の重量は0.67トン(巡行時で人、懸装品含む)で、人が担ぐ形式の舁山(かきやま)です。(現在、巡行時には車輪付) 日中なのでそれほど混み合っていない様子に安心しました。

保昌山_H26.07.16撮影
保昌山 H26.07.16撮影

保昌山の前には朱書の"縁結び"の提灯が掲げられています。これはこの山が、平安時代の貴族・平井保昌と恋多き女で知られる和泉式部のラブストーリがモチーフになっているためです。平井保昌は道長四天王とも称されたうちの一人である勇敢な武人でもあり、白河天皇の勅撰和歌集である"後拾遺和歌集"に和歌が採用された優秀な歌人でもありました。

保昌山の絵馬_H26.07.16撮影
保昌山の絵馬 H26.07.16撮影

和泉式部に御所の紫宸殿の梅をねだられた平井保昌が、警護の北面の武士に矢を射かけられながらも梅を手に入れ、恋を実らせるという物語です。明治初年までは"花盗人山"とよばれていたとか。何とも勇敢でロマンチックな盗人です。

保昌山の真松_H26.07.16撮影
保昌山の真松 H26.07.16撮影

山に真松という松の木が取り付けられていますが、その松にも絵馬が付けられています。一緒に巡行までするとなると、この絵馬にはかなりの御利益がありそうですね。

会所の中 H26.07.16撮影
会所の中 H26.07.16撮影

もちろん保昌山の授与品は、縁結びのお守りです。保昌山のグッズは鉾の真前の会所の1階で販売されています。

燈篭町会所_H26.07.16撮影
燈篭町会所 H26.07.16撮影

保昌山を出す町内は燈篭町といい、その会所がこちらです。記録では、享保19(1734)年にこの場所を購入したことが残っており、現在の建物は明治3(1870)年のもの。町会所としては貴重な建物であるため、京都市指定有形文化財となっています。

保昌山御神体_H26.07.16撮影
保昌山御神体 H26.07.16撮影

会所の2階には御神体の平井保昌像が飾られています。御顔の黒ずみが歴史を物語っていますが、頭部は明応9(1500)年製作なので500年以上経過しています。(胴は文政元(1818)製作) 巡行時には両手に梅の花束を掲げますが、今見ると階下の民衆の歓声に応えているかのようです。

ご朱印_H26.07.26撮影
ご朱印 H26.07.26撮影

各会所でご朱印を頂ける事を知りました。長刀鉾でご朱印帳を買わずに来たので、持っていたノートに押させて頂きました。こちらでご朱印帳を買っても良かったのですが、私の性格上、絶対長刀鉾に戻り、本日の予定が大幅に狂います。ここは御朱印帳を我慢して、次の岩戸山に移動します。(続く)


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2014.07.29 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【祇】祇園祭

【祇】日中の先祭山鉾と屏風祭を巡る~長刀鉾その2

カテゴリ【祇】:祇園祭
~京の夏を彩る華やかな祇園祭の風景を、色々な目線でお届けします。


見送「雲龍波濤文様」綴錦_H26.07.16撮影
見送「雲龍波濤文様」綴錦 H26.07.16撮影

鉾に搭乗するには、長刀鉾保存会の2階から入りますが、2階では貴重な長刀鉾に関する懸装品や資料が展示されています。こちらは鉾の後部を飾る見送で「雲龍波濤文様」綴錦です。天保8(1837)年に作成されたものを展示しており、現在、鉾に用いられているのは、平成17(2005)年に復元新調されたものです。

長刀鉾の稚児_H26.07.16撮影
長刀鉾の稚児 H26.07.16撮影

稚児の写真が飾られています。こちらは昨年の長刀鉾の御稚児さん。TV中継で見た覚えがあります。鉾の中でも、生身の人間の稚児が乗るのは、唯一長刀鉾だけ。山鉾巡行の際、長刀鉾の稚児が四条麩屋町で行う注連縄切りは、辻回しとともに、祇園祭の見せ場の一つです。稚児と言っても侮るなかれ、祇園祭の間は、八坂神社から十万石大名クラスの正五位少将の位を授かっています。稚児をするには、非常にお金がかかるので京都市内の資産家のご子息が選ばれるとか。そのため親子や兄弟で稚児経験者という方も多いそうです。

祇園祭のポスター_H26.07.16撮影
祇園祭のポスター H26.07.16撮影

今年の祇園祭のポスターです。稚児が強力(ごうりき)とよばれる男性に抱きかかえられています。7/3の八坂神社への稚児社参で位を頂くと、それ以降は稚児は公式には地面の上を歩かず、日常生活一切、女性の手を借りないという、精進潔斎の生活に入ります。母親でさえ一緒に生活できないそうで、注連縄切り後には、稚児の母親のインタビューが行われ、毎年、離れて暮らしたことが話題になるようです。

長刀鉾の鉾頭_H26.07.16撮影
長刀鉾の鉾頭 H26.07.16撮影

この鉾が長刀鉾である由縁の大長刀も展示されています。作者は"和泉守藤原来金道"、製作年は延宝2(1674)年。長刀鉾の長刀が木製に変えられたのは、長刀が重すぎて鉾が不安定になるためと、こちらのHPでは説明されていました。

保存会の2階から_H26.07.26撮影
保存会の2階から H26.07.26撮影

それでは早速、長刀鉾に搭乗して見ることにしました。2階から設置された渡り廊下を通って鉾に登ります。

鉾内から渡り廊下_H26.07.16撮影
鉾内から渡り廊下 H26.07.16撮影

渡り廊下を伝って、四条通りの歩道を横切る形で、鉾内に入ります。高い所がダメな方は少し怖いかもしれません。

稚児の見る風景_H26.07.16撮影
長刀鉾の先頭 H26.07.16撮影

鉾の内部は4畳半よりも狭い位です。ここに40人もの人が乗り込むというのが信じられない位です。まずは先頭へ言ってみました。提灯がかかっていて見えづらいですが、これが長刀鉾の稚児が見る風景です。

先頭部分_H26.07.16撮影
長刀鉾の先頭 H26.07.16撮影

おそらく、一番前の小さな椅子に介添えの方が座り、その前に稚児が立つのではないかと思われます。

長刀鉾上から四条通り_H26.07.16撮影
長刀鉾上から四条通り H26.07.16撮影

横には提灯が無いので四条通りを見下ろすことが出来ます。忙しなく行きかう車を上から見下ろすのは、ちょっと気持ちいですね。ちなみに稚児が高い位を持つのは、高い所から貴人を見下ろしても失礼にならないためという話もあるそうです。

天井部分_H26.07.16撮影
天井部分 H26.07.16撮影

深紅の鮮やかな天井には雲が描かれています。奥に見える点と線は星座です。本当はもっと中にいたかったのですが、本日中に全鉾回るスケジュールがあることと、内部が混み合っていたので止むなく下りることにしました。予習不足もありますが、内部の装飾品はまた次回のお楽しみです。(先程リンクしたページには、内部の丁寧な写真と説明が掲載されていて分かりやすいです。)

長刀鉾を後に・・・_H26.07.16撮影
長刀鉾を後に・・・ H26.07.16撮影

長刀鉾を後にして、次は東洞院通りを南に下り、保昌山(ほうしょうやま)へと向かいます。(続く)

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2014.07.29 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【祇】祇園祭

【時】必殺仕事人2014

カテゴリ【時】:時代劇の話
~時代劇の感想、雑感、ニュースを書いて行きます。


今回、ずっと目立ったニュースが流れていなかったので2014があることは前日まで知りませんでした。1月から撮影してたそうですが、今年は無いのかと思っていました。2013年が2月だったので1年以上空きましたが、これで3年連続なのでとりあえず毎年制作する流れになってくれればよいかと思います。

毎回、主張しているように、私は2007からの必殺の流れを否定するつもりは毛頭ありません。むしろ応援している位です。どんな形であれ、続いていかなければ批判することさえも出来ないのですから。ジャニーズ主体と言っても、東山さん、松岡さんは俳優としてもベテランの域ですし、経師屋も渡辺小五郎も上手くハマってきたと思います。それをふまえて・・・

今回は脚本がひどすぎると感じました。昔から仕事人グループの危機を軸に物語が進行して行くのはスペシャルなどでよくあり、幕府公認の仇打ち屋という発想は面白いし、かつてない設定と最初は思いましたが、その設定を生かすことが出来ず、全て中途半端に終わっていた気がします。

カツラをかぶった現代劇である必殺に世相を取り入れるのは当然のことですが、物語のきっかけになるTPP、オリンピックというのも少し時期が外れている気がしますし、取り込み方も中途半端でした。1月から撮影していたので、無理だと思いますが、今の時期なら、集団的自衛権とかSTAP細胞とか。せめて中之島頼政、加門橋ノ介あたりは現在の安倍内閣の閣僚の名前にする位のことはして欲しかった。(仕事人・激突の江利対馬守(エリツィン)、後藤備後守(ゴルバチョフ=ゴルビー)みたいに) また、安倍川の仙吉が最初から最後まで仕事に絡んでくるのも、本当に必要があったのかどうか?高橋英樹さんを再登場させるのならもっとやり方があったのではないでしょうか?あれだけ存在感を出しておきながら、単に幕府のかませ犬?そこから仕事のお手伝いというのも釈然としません。クライマックスで加門が"なんなのこの女"といって、おつうを斬るのも、なぜおつうに刃が向いたのか、なぜ加門が自ら手を下したのかがはっきりせず、もうちょっときちんとした理由付けがあっても良かったと思います。

配役の名前は誰が決めるのかわかりませんが、老中の名前が"橋ノ介"っていうのも疑問。老中なら基本"守"か"頭"の従五位下相当の"かみ"でしょう。また、江戸城内で抜刀した人が、簡単に三番筋に来たりできますかね?忠臣蔵以来、時代劇なら、江戸城内で抜刀は即刻切腹が伝統だと思います。また、御側用人クラスの警護の者が金の音だけで、主を置いて、全員拾いに行ったりするかな?あえて名前はあげませんが、時代劇をよく知らない人が書いた臭いがしてなりません。

キャンスティングも、ヒロインが佐々木希ちゃんでは逆に見ていて可哀想だった。今回、知念侑李(Hey! Say! JUMP)君はまだ時代劇が2回目と知りました。確かに演技が上手いとはいえませんが、時代劇の伸び代はまだまだあると思います。(仕事人3のひかる一平氏の初期よりはだいぶいい。)それならばもう少し、ヒロインは演技力のある人の方が、もっと知念君のあどけなさやリュウの仕事に染まっていない素人臭さが生きたのではないかと思います。思い付きですが、ヒロインは有村架純さんならどうだったでしょう。

知念君が加門を仕事する時の"多分、ひと思いには無理です。殺しは初めてなんです。"というセリフは、空恐ろしくて好きです。(楽に殺さないよという意味ですし、仕事じゃなくて"殺し"というのはまだ仕事人の意識が無い証。)2014の中では、ここが一番印象的だったかも。初めての仕事のあと、吐いてしまうという演出も良かった。リュウを石原監督がどう育てていくかが楽しみです。獲物はこのまま懐剣でいってもいいかな。彼がもし十年後、仕事人をしていたらどんな仕事人になっているのだろう。島帰りの龍、組紐屋の竜に続く新しい"リュウ"の登場です。

岡田義徳さん自体は全体的に"怪演"的な感じを目指していたように感じました。まだまだ線が細いと思うんですが、年とって本田博太郎さん的な怪優になったら面白い。

渡辺家のコミカルシーンはもういいんじゃないでしょうか?"こう"と"ふく"の扱いが問題になってしまうと思いますが、中村家のコピーはもういらないのでは?藤田御大の呪縛からはもう卒業しても良いと思います。

願道寺は京都府南丹市の普済寺。エンドロール見るまで分かりませんでした。当然のことながら"時代劇の風景"様には掲載されていました。(時代劇拝見日記の7/28には作品全体の詳細のロケ地が出ています。)

金を貰って仕事をする=びた銭一枚でも受け取った以上は仕事をするという、必殺の世界観は、きちんと保たれていたのでそこは安心しました。

以上、拝見直後のレビューでした。松竹京都映画の皆様、生意気言って申し訳ありません。

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2014.07.28 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【時】時代劇の話

【祇】日中の先祭山鉾と屏風祭を巡る~長刀鉾その1

カテゴリ【祇】:祇園祭
~京の夏を彩る華やかな祇園祭の風景を、色々な目線でお届けします。


今回からは日中市内に置かれている山鉾を巡った記録をお届け致します。
長刀鉾_H26.07.16撮影
長刀鉾(なぎなたぼこ) H26.07.16撮影

四条烏丸の交差点から50mほど東、四条通りの北側の長刀鉾保存会の建物前に長刀鉾が建てられています。隣は東横インの四条烏丸、道路を挟んだ正面は最近出来た東急ハンズです。長刀鉾は四条通りの東行きの一車線をふさぐ形で堂々と京都の街にそびえています。

長刀鉾_H26.07.16撮影
長刀鉾 H26.07.16撮影

長刀鉾の大きさはこの写真でわかるでしょうか?ビルの7~8階位の高さがあります。長刀の先端までは21.7mもあるそうです。長刀鉾は応仁の乱以前にもその存在が記録に残っており、創建は嘉吉元年(1441)と言われています。

長刀鉾の鉾頭_H26.07.16撮影
長刀鉾の鉾頭 H26.07.16撮影

鉾頭は疫病邪悪を払うと云われている大長刀。長刀の刃は八坂神社と御所には向けないそうで、見上げてみると確かに南側に向けてありました。かつては三条小鍛冶宗近作の大長刀を飾っていたこともありますが、現在は木製のものに銀箔のものを用いています。落下したら危ないからとか雷を避けるためでしょうか?

長刀鉾_H26.07.16撮影
長刀鉾 H26.07.16撮影

山鉾の巡行順は、毎年くじ引きで決まりますが、9基の山鉾は"くじ取らず"と言って、巡行順があらかじめ決まっています。長刀鉾もその一つで毎年、必ず先祭の先頭を進む鉾です。長刀鉾が一番であるのは、長刀鉾の位置が基準になっているようで、八坂神社に一番近い長刀鉾が、先に移動しないと他の山鉾が動けないということもあるようです。また写真ではわかりづらいですが、屋根には金色の鯱があります。鯱を飾るのは長刀鉾だけです。

長刀鉾の胴掛_H26.07.16撮影
長刀鉾の胴掛・見送 H26.07.16撮影

かつては長刀鉾を飾る懸装品には、16~18世紀の豪華なペルシャ絨毯が用いられていました。懸装品によって各山鉾の町衆(ちょうしゅう)達が、その財力を競い合ったそうです。現在の巡行では、復元品を使用していますが、それでも充分なほど、目にも鮮やかなで豪華なものです。(懸装品の詳細は"祇園祭山鉾連合会のHP"をご参照ください。)

長刀鉾の車輪_H26.07.16撮影
刀鉾の車輪 H26.07.16撮影

長刀鉾の車輪は直径約2mほどもある大きなものです。長刀鉾の重量は11.1トン(2008年計測・囃子方の体重や懸装品込み)なので、小さな家位の大きさは有ります。車輪は付いているとはいえ、この大きさのものを毎年建てて、市内を巡行するのですからすごいことです。(6年前の記事ですが面白い記事がありました。"山鉾重量測定結果")

長刀鉾の絵葉書_H26.07.16撮影
長刀鉾の絵葉書 H26.07.16撮影

グッズを購入すれば、一般の方も長刀鉾に搭乗出来ます(但し女性と忌中の方は不可)。私は鉾脇のテントで5枚で1セット500円の絵葉書を購入しました。写真の絵葉書は長刀鉾と橋弁慶山です。(続く)

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2014.07.27 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【祇】祇園祭

【祇】京の街が弾んでる~初めての先祭宵々山を歩く。 その5

カテゴリ【祇】:祇園祭
~京の夏を彩る華やかな祇園祭の風景を、色々な目線でお届けします。


孟宗山会所_H26.07.15撮影
孟宗山の会所 H26.07.15撮影

細長い路地を入っていくと、孟宗山の会所がありました。イメージしていた通りの昔ながらの会所です。奥に祀られているのが孟宗の御神体です。

孟宗山のグッズ_H26.07.15撮影
孟宗山のグッズ H26.07.15撮影

粽(ちまき)や扇子、手拭などの孟宗山グッズが販売されています。あまり親孝行もしていないので、私の初粽は孟宗山で購入することにしました。粽は800円、ついでに祇園祭のパンフレットも500円で入手。

孟宗山の粽_H26.07.16撮影
孟宗山の粽 H26.07.16撮影

こちらが購入した孟宗山の粽です。朱文字の"孟宗山"の脇には"蘇民将来之子孫也"と書かれています。その昔、貧しいにもかかわらず蘇民将来に暖かいもてなしを受けたスサノオノミコトが、蘇民将来の子孫には疫病の厄を逃れさせようと約束し、腰に芽の和を付けさせたのが祇園祭の粽の始まりです。もちろん食べられません。

孟宗山のご神体_H26.7.15撮影
孟宗山のご神体 H26.7.15撮影

御神体の撮影もお許し頂きました。祭壇の奥に、厳かに孟宗像が祀られています。孟宗が病の母のために、苦労して雪中で筍を掘り当てたと言う説話が、孟宗山のモチーフになっており、孟宗山の別名はたけのこ山です。

鶏鉾_H26.07.15撮影
鶏鉾(にわとりほこ) H26.07.15撮影

孟宗山の会所を後にして、四条通りに戻り、室町通りの鶏鉾を目指します。山鉾がある通りは、通りから四条通りに出すように一方通行を設定しているようですが、歩道は両方向に通れるようになっていたので、室町通りを南に下がって、鶏鉾に辿り着きました。

きゅうりの一本漬_H26.07.15撮影
きゅうりの一本漬 H26.07.15撮影

鶏鉾のすぐ南の室町綾小路の交差点は、三方に山鉾、四方に露店出店区域が設定されているため大層混み合っています。この時間はもう疲れていたので、この区域は早々に退散しホテルに戻ることに。途中、気になる露店を発見。祇園祭の期間は、きゅうりの切り口が八坂神社の神紋に似ているため、京都ではきゅうりを食べないと聞いていたのですが・・・

からすま京都ホテルの屋台_H26.07.15撮影
からすま京都ホテルの屋台 H26.07.15撮影

綾野小路通りから四条通りに出て、からすま京都ホテル前へ戻りました。烏丸通りも大分混雑して、一方通行も崩れてきてしまっています。若干高いのですが、ホテルが出している屋台も絶賛営業中です。今晩は、とりあえず宵々山巡りはここまでにして、夕食にすることにしました。初めての宵々山でしたが、京都に生まれ育った人が心底うらやましいと思った夜でした。そういえば、山鉾に興奮したあまり、夜店で何も飲み食いしなかったのが心残りです。

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2014.07.25 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【祇】祇園祭

【祇】京の街が弾んでる~初めての先祭宵々山を歩く。 その4

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函谷鉾_H26.07.15撮影
函谷鉾 H26.07.15撮影

拝観券を購入すれば、会所の2階から函谷鉾に搭乗することが出来ます。しかし、この人出なので、明日の日中にすることにして今回は鉾搭乗を断念しました。四条烏丸の交差点からは、ライトアップされた京都タワーが小さく見えます。普段なら、わりとカメラを向けがちで印象的な風景ですが、今宵は誰もがそれどころではありません。

長刀鉾_H26.07.15撮影
長刀鉾 H26.07.15撮影

四条烏丸の交差点を過ぎて、ついに長刀鉾までやってきました。この辺りは、人が多いのでとなって写真を撮ったりすることが難しい状況です。さすが、山鉾巡行の先頭を行く長刀鉾。私は、四条烏丸は、四条河原町に比べるとおとなしめな所と思っていましたが、それはどうも間違っていたようです。四条烏丸という場所は、この時のために一年間パワーをためているのでしょう。四条烏丸の底力を見た気がしました。

長刀鉾_H26.07.15撮影
長刀鉾 H26.07.15撮影

長刀鉾の胴掛も囃子方の浴衣も華やかです。昔は、いかに華やかに山鉾を飾るか、町同士の財力の競い合いだったのでしょうか?現代でも山鉾を維持するのには相当な費用がかかることでしょう。京の町衆の心意気に感謝です。

長刀鉾の鉾頭_H26.07.15撮影
長刀鉾の鉾頭 H26.07.15撮影

夜空に長刀鉾の長刀がよく映えます。この刃は御所と八坂神社には向けないそうです。刃は南の方角を向いていました。長刀鉾を通り過ぎて反対車線から戻って、もう一度見ようと思っていたら、反対車線が満員電車のようになっていました。

孟宗山_H26.07.15撮影
孟宗山 H26.07.15撮影

混雑で歩行者にも一方通行が適用される通りが多いので、このまま四条通りを東へ行くと戻って来れなくなると思い、東洞院通りへそれます。四条通りはボランティアや警備員、警察官も相当な人数です。

裏通り_H26.07.15撮影
裏通り H26.07.15撮影

裏通りに入ると意外と静かでした。飲食店や商店も、軒先に夜店を出すところ、本業に力を入れるところ、いつも通りのところと店によってそれぞれです。

孟宗山_H26.07.15撮影
孟宗山 H26.07.15撮影

そこからぐるりと回って烏丸通りに出ると、親孝行の山・孟宗山の前に出ました。かれこれ人混みの中を1時間以上、大分歩いたので、そろそろ粽も購入したくなってきました。

孟宗山の会所への通路_H26.07.15撮影
孟宗山の会所への通路 H26.07.15撮影

建物の脇に会所への通路がありました。このあたりはそれほど混雑していないので、中に入ってみることにしました。(続く)

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2014.07.23 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【祇】祇園祭

【祇】京の街が弾んでる~初めての先祭宵々山を歩く。 その3

カテゴリ【祇】:祇園祭
~京の夏を彩る華やかな祇園祭の風景を、色々な目線でお届けします。


蟷螂山_H26.07.15撮影
蟷螂山(とうろうやま) H26.07.15撮影

四条通りから西洞院通りを北へ上がると、別名かまきり山ともよばれる蟷螂山が見えてきます。

蟷螂山のかまきり_H26.07.15撮影
蟷螂山のかまきり H26.07.15撮影

からくりで動くかまきりは御所車の上に鎮座していました。両方のかまを持ちあげた威勢の良い姿です。動くのは巡行の時だけなので、今は動いていません。

かまきりおみくじ_H26.07.15撮影
かまきりおみくじ H26.07.15撮影

そのかわり、"かまきりおみくじ"のからくりじかけのかまきりが大活躍中。祠から出てくるボール状のおみくじを受け取ってから、クルリと回転して引き手におみくじを渡します。かまきりの可愛らしさにおみくじの列は絶えることがありません。

郭巨山の子供たち_H26.07.15撮影
郭巨山の子供たち_H26.07.15撮影

四条通りに戻りました。山の脇にあるテントでは子供たちが、物売りの声を張り上げます。大人が「食べられない粽どうですか~」というと、その後をオウム返しに続きます。その後も「○○の粽、どうですか~」の子供たちの声が、祭りの雰囲気を盛り上げています。そういえば、祇園祭の粽を食べる粽と勘違いする方が結構多いと聞きました。最近は一部食べられるようにした粽を売っている山もあるそうです。

四条通りの提灯_H26.07.15撮影
四条通りの提灯 H26.07.15撮影

四条通り月鉾の辺りです。四条通りの歩道には、こんな提灯のアーチが各所に置かれています。私が中高校生の頃は地元の夏祭の歩行者天国で、彼女を連れて歩くことがステータスだったのですが、現代の京都の子の、宵山はそうなんですかね?

函谷鉾の胴掛_H26.07.15撮影
函谷鉾の胴掛 H26.07.15撮影

函谷鉾まで戻ってきました。こちらでは、大人が物売りの声を一生懸命上げています。函谷鉾の胴掛が美しかったので、思い切ってフラッシュを焚いて撮影してみました。右から"梅に虎文"、"赤地花唐草文"、"玉取り獅子文"。上から垂れ下がっているのは鉦方の腕に付けた房で演奏に合わせて、房が優雅に上下します。ちなみに鉦方が座るのは進行方向右側だそうです。(続く)

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2014.07.22 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【祇】祇園祭

【祇】京の街が弾んでる~初めての先祭宵々山を歩く。 その2

カテゴリ【祇】:祇園祭
~京の夏を彩る華やかな祇園祭の風景を、色々な目線でお届けします。


月鉾の提灯と囃子方_H26.07.15撮影
月鉾の提灯と囃子方 H26.07.15撮影

月鉾のそばまでやってきました。大きく"月"と書かれた提灯が鈴なりで壮観な風景です。鉾の上では、函谷鉾と同じく祇園囃子が演奏されています。

月鉾の鉾頭_H26.07.15撮影
月鉾の鉾頭 H26.07.15撮影

月鉾の鉾頭は新月(三日月)です。十八金のものを使用しているとのこと。そのせいかどうか分かりませんが、夕暮れでもキラキラ輝いていて、形がはっきりわかります。美しいです。

郭巨山の会所_H26.07.15撮影
郭巨山(かっきょやま)の会所 H26.07.15撮影

月鉾を過ぎると郭巨山の会所の前に出ました。各山鉾の会所では、祇園祭用のグッズが販売されています。基本的に通販は無いと聞いているので、早速、ちまきを購入しようと思いましたが、まだ山鉾は沢山あるので、慎重に見て廻ることにしました。郭巨山は通りを挟んで反対側に置かれています。

郭巨山_H26.07.15撮影
郭巨山 H26.07.15撮影

"山"の中で、私が生まれて初めて見た"山"、郭巨山です。宵々山の時点で、御神体も併せて飾ってあると思っていましたが、そうではないことを知りました。

四条傘鉾_H26.07.15撮影
四条傘鉾 H26.07.15撮影

四条通りの最西端に位置するのが、二つある傘鉾の内の一つ、四条傘鉾。傘に垂り(しだり)がついた独特の形をしています。

四条傘鉾の棒振り踊り_H26.07.15撮影
"四条傘鉾の棒振り踊り H26.07.15撮影

鉾の脇の人垣の中では、子供たちの踊りが披露されています。人垣が何重にもなっていたので、カメラを高く掲げて、ようやく撮影できたのがこちらの一枚です。長刀鉾の稚児をはじめ、"子供"というのも、祇園祭には外せないポイントです。(続く)

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2014.07.21 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【祇】祇園祭

【祇】京の街が弾んでる~初めての先祭宵々山を歩く。 その1

カテゴリ【祇】:祇園祭
~京の夏を彩る華やかな祇園祭の風景を、色々な目線でお届けします。


宵々山を迎える烏丸通り_H26.07.15撮影
宵々山を迎える烏丸通り H26.07.15撮影

今回初めて祇園祭のために京都を訪問しました。幸運にも当日の夕方とれたホテルが、四条烏丸のからすま京都ホテル。17時過ぎに地下鉄四条駅から烏丸通りに上がると、通りは露店の準備真っ最中。

宵々山を迎える烏丸通り_H26.07.15撮影
宵々山を迎える烏丸通り H26.07.15撮影

まだ歩行者天国は始まっていないものの、露天商も街の人も宵々山を今や遅しと待ちかねている様子です。とりあえずホテルにチェックイン。宵々山に備えて軽く休憩します。

ホテルの窓から見た宵々山(烏丸通り)_H26.07.15撮影
ホテルの窓から見た宵々山(烏丸通り) H26.07.15撮影

18時を過ぎて歩行者天国が始まると、街のざわめきが10階のホテルの部屋にも聞こえてきました。歩行者天国が始まったようです。ホテルの窓から下を見下ろすと、普段は交通量の多い烏丸通りを、皆が歩き出しています。

宵々山が始まった烏丸通り_H26.07.15撮影
宵々山が始まった烏丸通り H26.07.15撮影

準備にやや手間取り、ホテルを出たのが19時前。ホテルの脇では、ホテルも露店を出していました。街に出て感じたのは、京の街も人も建物も、そこにある全てがゴムボールのように弾んでいたこと。長いこと京都に通っていますが、こんな京都を見たのは初めてです。とりあえず、200m程北の四条烏丸へ向かいます。

四条烏丸交差点_H26.07.15撮影
四条烏丸交差点 H26.07.15撮影

空は少し暗くなった程度ですが、蒸し暑さは変わりません。聞いた話では、通りが満員電車のような状態になることを想像していましたが、今のところ、そこまでではないようで安心しました。この暑さで、そこまで混み合ったたまりません。向こうに見える提灯は孟宗山の提灯です。

函谷鉾と月鉾_H26.07.15撮影
函谷鉾(かんこぼこ)と月鉾 H26.07.15撮影

人の流れに従って、四条烏丸を西へ。四条通りに入ります。目に入ってきたのは函谷鉾、奥が月鉾です。私の初めての祇園祭がついに始まりました。

函谷鉾_H26.07.15撮影
函谷鉾 H26.07.15撮影

函谷鉾の上では祇園囃子が始まっています。私は、自称"魂は京都人"ですが、目から耳から体感する祇園祭に気持ちが高ぶり、思わず涙が出てきました。

月鉾_H26.07.15撮影
月鉾 H26.07.15撮影

向こうに見える月鉾は、函谷鉾の西、四条通りの150m程先にあります。四条通りは混雑緩和のため、左側通行に規制中です。人通りが多いため、なかなか立ち止まってシャッターを切ることが出来ない状態です。(続く)

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2014.07.20 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【祇】祇園祭

【滞】先祭の全山鉾制覇を目指して歩く二日目 7/16

カテゴリ【滞】:京都での滞在記録
~備忘録も兼ねた京都での行動記録です。基本、取材旅行の過密スケジュールなので観光の参考にはならないと思います。


7月16日の滞在記録

長刀鉾の上から烏丸通り_H26.07.16撮影
長刀鉾の上から烏丸通り H26.07.16撮影

前日の早起き&疲労のため、予定にしていた早朝散歩は断念し、からすま京都ホテルを9時過ぎに出発。荷物はホテルのフロントで預かってもらったので、荷物の面では昨日よりも楽です。街に出て驚いたのは、昨日の宵々山であれだけの人出だったのにゴミ一つ落ちていないこと。さすが京都です。早速、四条烏丸に出て、道の反対側から長刀鉾を眺めます。生まれて初めて、明るい時間に初めて見た長刀鉾はやはり壮観なものでした。まずは吉野家で食事をしてから、長刀鉾の方へ向かいます。長刀鉾は搭乗するしかないだろうということで、絵葉書を購入して登りました。外人さんに混じって、中で写真を撮りまくり、長刀鉾の上から、お稚児さんが見る風景を眺めて改めて心動かされました。

船鉾_H26.07.16撮影
船鉾 H26.07.16撮影

このあとは日中全ての山鉾を廻りましたが、その様子は改めて"祇園祭"のカテゴリで詳しくご紹介しますので、今回は省略致します。一番印象に残ったのは、暑い中、船鉾や鶏鉾の辺りで、一生懸命、手作りした、鉾の説明を書いた紙を配っていた洛央小学校の5年生の皆さん。きちんとファイルしてとっておきますからね。私もブログの記事が完成したら、彼らにお礼の手紙を書いてみようかなと思います。あと本当に偶然なのですが、このブログを通じて知り合った方とニアミスしていたこと。あとでツイッターで会話していて気付きましたが、本当にびっくりしました。

長刀鉾と新撰組_H26.07.16撮影
長刀鉾と新撰組 H26.07.16撮影

最後の孟宗山を見た後に、八坂神社へと思ったのですが、寺町のサイゼリアで休憩している間に、またまた腰痛が復活して断念。再度、四条通りを西へ進みホテルに戻って荷物を受け取りました。途中、長刀鉾の前で新撰組の行列に出くわしましたが、今年は池田屋事件150年だそうです。帰りはいつものようにぷらっとこだまで京都駅を17時59分に出発。2日とも腰痛に襲われましたが、初めての祇園祭を体感できて充実した二日間でした。山鉾巡行はもったいなすぎるので来年にとっておきます。

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2014.07.18 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【滞】京都での滞在記録

【滞】日中の猛暑に耐えて祇園祭の宵々山を堪能した夜 7/15

カテゴリ【滞】:京都での滞在記録
~備忘録も兼ねた京都での行動記録です。基本、取材旅行の過密スケジュールなので観光の参考にはならないと思います。


7月15日の滞在記録

今回は、前回の上洛から1月少しの間隔しか開いていません。今回の目的を分かりやすく申し上げると・・・・

私、ブロガーsoul kyotoは普段から、〝魂は京都人〝〝年に15回京都に行った男〝〝一番住みたくない街は京都、何故なら行く楽しみが無くなるから〝などと稀代の京都好きを喧伝しながら、あろうことか、七月一杯に渡って行われる京都最大のイベント、祇園祭に一度も行ったことがないことを反省しにやって参りました。

新大阪行・のぞみ5号_H26.07.15撮影
新大阪行・のぞみ5号 H26.07.15撮影

ということで、今回は祇園祭メインの滞在となりました。そのため仕事は2日間休暇を取ってお休み。有休をとって出掛けるなんて何年ぶりでしょう。行きの交通手段は、いつもなら高速バスを利用するのですが、今回はちょっと豪華に新幹線を利用。朝5時20分に自宅を出て、京都到着が8時48分という少し気合いの抜けたスタートでした。

萬福寺三門_H26.07.15撮影
萬福寺三門 H26.07.15撮影

京都駅を出ずにそのままJR奈良線で黄檗駅で下車、萬福寺へ出掛けます。今年の夏の"そうだ京都"のロケ地でもありますし、寺が龍の形をとっているということに興味を覚えての拝観です。入口が分からず、山の上へ上へと登って行きましたが、入口が見つかりません。蒸し暑さでどんどん体力を消耗していきます。ようやく人に尋ねると入口は下の方ということで、案内通りに行くとようやく、三門へ辿り着きました。"そうだ京都"のおかげでもっと混んでいるかと思いましたが、平日のためすいていて、天王殿の布袋様や開版(魚の形のものですね)などゆっくりと拝観できました。本当に静かで落ち着いた禅寺の印象。他にも塔頭の聖林院ではみみずく地蔵、獅子林院ではちょっと不思議な小便地蔵という変わったお地蔵さんもありました。

三室戸寺の蓮_H26.07.15撮影
三室戸寺の蓮 H26.07.15撮影

JR黄檗駅のすぐそばの京阪の黄檗駅から乗車。一駅目の三室戸駅で下りて次は三室戸寺へ。駅は"みむろど"なのに寺は"みむろとじ"なんですね。貴船の"きふね"と"きぶね"のようです。三室戸寺は駅から15分の距離ですがこの頃には暑さにすっかりやられています。汗がダクダクで水分補給を重ねても、すぐに汗になってしまう。三室戸寺の手前ですでに4本もドリンクを飲んでいる状態です。山裾に立てられている三室戸寺を、えっちらおっちら登って行きます。三室戸寺のあじさいは既に枯れていますが、本堂前の蓮はこれから見頃です。ここで見たかったのは、狛蛇の宇賀神。宇賀神像は本堂へ向かう石段の上に笑顔でとぐろを巻いておられました。他にも狛兎や宝勝牛など動物にまつわる像がありまして、後日、"京都の動物"カテゴリでご紹介致します。

餃子の王将・駅前定食_H26.07.15撮影
餃子の王将・駅前定食 H26.07.15撮影

このあとは、京阪線で東福寺、JRに乗り換えて京都駅で下車します。まずは駅のすぐそばの正行院で、門の外から猿の石像を拝見しました。そのあと烏丸七条の七番館で昼食のランチをと思ったのですが、14時前だったので残念ながら売り切れ。妙に餃子の王将が食べたくなったので、八条のecoトリップで自転車をレンタルし再び烏丸七条に戻って、王将でランチを頂きました。駅前定食は772円。私は何故か京都にいると餃子の王将が食べたくなることが多いです。東京にいる時より王将を食べてるかもしれません。

任天堂旧本社_H26.07.15撮影
任天堂旧本社 H26.07.15撮影

自転車が手に入ったので少し楽になりました。先日、不明門通りを歩いていて興味を持った因幡薬師こと因幡堂(平等寺)へ。確かに不明門通りの付きあたりにありましたが、"開かずの門"ではなく、今は門は開いています。がん封じが御利益とのことなので、家族ががんにならないように祈ってきました。次は先日の追加取材で宮川町へ。宮川町では浴衣姿の舞妓さんを二人ほどで会うことが出来ました。まだ大分若い、高校生くらいの感じのお嬢さんでした。その後は、宵々山まで時間があるので自転車で三条から五条周辺ををフラフラ。また小便の話で恐縮ですが、"京都の鳥居"の題材で使いたい小便除けの鳥居を探して歩いたりしましたが、結局見つかりませんでした。最後に、正面通木屋町東入の任天堂旧社屋を見てから自転車を返却したのが16時半頃。この頃にはポロシャツにまで塩が浮いてくるというとんでもない状態です。

からすま京都ホテル_H26.07.16撮影
からすま京都ホテル_H26.07.16撮影

今回、カメラのバッテリーの予備を忘れてしまい、夜の内に充電が必要になりました。そのためダメもとで、楽天トラベルを利用してホテルを探します。どうせダメだと思っていたら、なんと四条烏丸のからすま京都ホテルがとれました。しかも素泊まりで5000円。ラッキーすぎます。地下鉄を使って京都駅から四条駅へ向かいますが、浴衣姿の女性も増えてきていよいよ宵々山の雰囲気が盛り上がってきているようです。烏丸通りでは露店のセッティングも進んでいます。

ホテルの窓から見た宵々山(烏丸通り)_H26.07.15撮影
ホテルの窓から見た宵々山(烏丸通り) H26.07.15撮影

ホテルではまずシャワーを浴びてさっぱりしたあと、少しだけ休憩。ホテルの窓から烏丸通りが見えるのですが、歩行者天国が始まる頃から、ざわめきが10Fまで聞こえてきました。19時前にホテルを出ると大勢の人が、ホコ天になった烏丸通りを歩いています。上手く表現できないのですが京都の街が"弾んでいる"と思わずツイートしてしまいました。このあとは宵々山を歩くのですが、その模様は"祇園祭"のカテゴリでじっくりたっぷり紹介致します。

露店の軒先_H26.07.15撮影
露店の軒先 H26.07.15撮影

21時頃、腰痛が限界に達し、今日はリタイアすることに。町行く人が、この時間から子供が減るから少し空くはずといっているのが聞こえましたが、私にはそこまで待つ元気がもうありません。21時過ぎになってくると、むしろ人が増えてきたようです。夕方から動いている人の中には、大人も子供も疲れて道端に座り込んでいる人も増えてきました。地元の若者はそこかしこで車座になってビール飲んでます。私も昼食後から何も食べていなかったので、ホテルの近くの店で夕食をとったのですが、この店が残念でした。店のスタッフは皆さん、感じがよいのですが、残念なことに食材が致命的に不味い。○○○○で安いのですが、それでもこれは無いな。ホテルの場所書いてしまったので、何屋か書くと特定されてしまうので書けないのですが、味音痴の私でも不味いと思ったので多分致命的かも。部屋に帰って缶ビールでもと思いましたが、そのまま眠ってしまった一日目でした。それにしても大勢の警察官や警備員、ボランティアの方には、暑い中、本当に御苦労が多かったと思います。京都を心底楽しませてもらって心から感謝です。(続く)

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2014.07.17 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【滞】京都での滞在記録

【時】映画「太秦ライムライト」レビュー

カテゴリ【時】:時代劇の話
~時代劇の感想、雑感、ニュースを書いて行きます。


人力車の後ろに付けられていた宣伝_H26.06.08撮影
人力車の後ろに付けられていた宣伝 H26.06.08撮影

全国公開の初日には所用で行けなかったのですが、2日目の昨日、新宿バルトナインで観賞して参りました。

私はそれほど映画を見る方ではありませんが、それでも半世紀近く生きているとかなりの映画を見てきたと思います。私が今まで見た映画の中で、これほど主役のセリフが少ない映画は見たことがありません。けれど主役の福本清三は、自分の生きざまを、時代劇への思いや願い、仕事に対する姿勢をその存在だけで、雄弁に語っているのです。顔に深く刻まれた皺、浮き上がった肋骨、刀を握る太い指、全身全霊で語っているような気がしました。時代劇をよく理解していない監督の心無い言葉から、先生が無言で監督に迫っていくシーン、故郷で幻想の中の子供たちを追いかけるシーン、さつきに厳しく優しく殺陣の稽古をつけるシーン、私がよく知っている、"五万回斬られた男"海老反りの福本先生とはまた別の一面が見れたことも感慨深かったです。

福本先生は、この映画の主演をずっと断り続けていたそうです。私が先生の講演を聞いた時も「私みたいなものが・・・」ということをよくおっしゃっていました。そんな謙虚な先生がこの映画の主役を引き受けた理由は、時代劇役者みんなが主役の映画と考えたからと聞きました。時代劇を縁の下から支えてきた先生ならではの言葉です。

物語の後半で、仕出し(エキストラ)だった、さつきが、東京で売れっ子女優になり、太秦に戻ってきます。さつきのたっての願いで、福本先生が演じる香美山が、引退していた郷里から再度撮影所に戻ってくるシーン、本田博太郎さんたちと画面一杯にスタジオに戻ってくるシーンは特に胸が熱くなりました。

撮影に入る前に松方さん演じる尾上清十郎を挑発する香美山、その言葉に触発されて二人が迫真の殺陣を見せるシーンは鳥肌が立ちました。そして腕の故障で刀を持てなくなった香美山に、監督は香美山の出演シーンをカットすることを指示しますが、スタッフや共演者、あまり香美山を評価していなかったプロデューサーまでが、予定通り撮影をさせてほしいと皆で監督を説得します。そして尾上清十郎、最後は愛弟子のさつきに斬られて桜の散る中、先生が地面に倒れ伏す。そのままでスタッフロールに入るエンディングは印象的でした。もしかして香美山はそのまま死んでしまったのか・・・・監督は観客に判断を委ねているのでしょう。私はそのあと”カット、お疲れさまでした”の言葉で香美山はいつものように立ち上がり、照れくさそうに尾上清十郎と言葉を交わしたと思います。

この映画は福本先生の自伝的映画でもありますが、時代劇の全盛期を支え、現在は衰退してしまった伝統を消すまいと、一生懸命に頑張っている役者さんや技術者たちの映画でもあります。少しでもかつてのように、毎日、地上波で時代劇の新作が放送される時代が来ることを願ってやみません。"ライムライト"とは"名声"の代名詞だそうですが、まさに"太秦ライムライト"です。松竹の作品ですが、かつて必殺シリーズは〝カツラを被った現代劇〝と呼ばれていました。時代劇は決して古ぼけたものなどではなく、時代を反映する鏡なのです。

余談ですが、映画の中で作られた、"ODANOBU"という新しい時代劇はかなりハチャメチャなものでしたが、もしかすると、アイドルメインで作られている痛烈な時代劇への皮肉なのかもしれません。劇中のアイドル"工藤淳"みたいな若者は本当にいる(いた?)のかもしれませんね。

ストーリーで一つだけ疑問だったのは、香美山から受け取った木刀を、さつきが撮影所に置いたままだったこと。香美山の思いが詰まった木刀をなぜ置いて東京へ行ってしまったのか、その点だけが疑問です。(人気女優になったさつきと再び木刀を交えた時「東京で何をしていた」というのはそこから?)

スタッフロールの字幕が随分と海外での公開を意識したものに思えたのは私だけでしょうか?この映画が世界各国で公開されて、先生の名前がさらに世界に広がればいいなと思いましたが、先生は派手なことは絶対嫌がるでしょうね。その時は渡辺謙さん、先生を説得して下さい(笑)

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2014.07.14 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【時】時代劇の話

【散】京都駅から三条京阪を歩く(H26.06.07) その7

カテゴリ:【散】京都の散歩道~街中から山道まで有名無名限らず、色々な京都の散歩道を案内します。京都歩きの御参考になれば幸いです。


宮川町通り_H26.06.07撮影
宮川町通り H26.06.07撮影

五条大橋を渡り、川端通りを横断して一筋東の宮川町通りへ入りました。宮川町通りとは言っても、この辺りはまだ普通の住宅街です。

小半(こなから)_H26.06.07撮影
小半(こなから) H26.06.07撮影

宮川町通りを北へ進むと、酒樽を軒先に積んだお店があります。こちらのお店は"小半"とかいて粉からと読みます。店頭のメニューには、予算5,000円 お料理3~4品 お酒3~4杯/予算7,000円 お料理5~6品 お酒4~5杯/予算9,000円 お料理7~8品 お酒5~6杯と書かれており、思ったよりもリーズナブルな価格です。今度、入ってみたいと思います。

軒先のポンプ_H26.06.07撮影
軒先のポンプ H26.06.07撮影"

道端に手動のポンプがあり、そこから水を汲んで、住民の方が植木に水をあげていました。京都は地下水が豊富なことで知られていますが、産業や神社仏閣だけでなく、一般家庭でもその恩恵に預かっていることがよくわかります。

たばこ屋_H26.06.07撮影
たばこ屋 H26.06.07撮影

昔ながらのたばこ屋さんがありました。郷愁を誘います。昔はこんな感じのお店が日本中にありました。

美容室_H26.06.07撮影
美容室 H26.06.07撮影

こちらも懐かしい感じの美容室です。場所柄、舞妓さんや芸妓さんもたくさん通っているのでしょう。宮川町通りの南半分は花街というよりも、生活感の感じられる懐かしい道でした。六波羅裏門通りを越えると、宮川筋六丁目に入り、ここからが花街としての宮川町になります。そのまま北上し、松原通りに行き当たったところで、一筋西の川端通りへ移動します。

宮川町の紋章_H26.06.07撮影
宮川町と川端通り H26.06.07撮影

川端通りと宮川町の西端の間には1本の細い水路と樹木で隔てられいるため、さながら別の通りのように見えます。この衝立のおかげで川端通りの喧騒も大分、軽減されます。

宮川町の紋章_H26.06.07撮影
川町の紋章_H26.06.07撮影

この三つの輪の組み合わせたものが宮川町の紋章です。寺社と町屋と花街の三者の結合をイメージしたもの。舞妓養成機関の女紅場を三者が協力して、学校施設にした記念に制定されたそうです。(続く)

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2014.07.13 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【散】京都の散歩道

【散】京都駅から三条京阪を歩く(H26.06.07) その6

カテゴリ:【散】京都の散歩道~街中から山道まで有名無名限らず、色々な京都の散歩道を案内します。京都歩きの御参考になれば幸いです。


源融河原院跡_H26.06.07撮影
源融河原院跡 H26.06.07撮影

五条通りの手前には大きな1本の榎が植わっています。この辺りにはかつて、源氏物語のモデルで知られる源融の"河原院"とよばれる大邸宅がありました。この榎は邸内にあった森の名残だと案内板に書かれています。"河原院"から″河原町通り"の名が生まれたそうです。

榎大明神_H26.06.07撮影
榎大明神 H26.06.07撮影

後ろには建物の黒壁にぴたりとくっついた鳥居があります。この中には榎大明神が祀られており、この榎はその御神木です。またこの木は京都市下京区の"区民の誇りの木"にも選出されています。

祠と鴨川_H26.06.07撮影
祠と鴨川 H26.06.07撮影

建物の裏には小さな祠があり、その前には鴨川の景色が広がっています。鴨川は川端通りのある東岸から見ることが多いのですが、西岸からの景色も新鮮でなかなか良いものです。

義経と弁慶像_H26.06.07撮影
義経と弁慶像 H26.06.07撮影

五条通りに出ました。通りの真ん中には、東山をバックに京人形風の弁慶と義経の像が置かれています。人形の向こうが五条大橋です。本当は、弁慶と義経の頃の五条大橋は、一つ北の、今の松原橋の辺りでした。時代は下って、秀吉が方広寺大仏殿造営の際、六条坊門小路に五条大橋を掛け替えさせたそうです。

扇塚_H26.06.07撮影
扇塚 H26.06.07撮影

五条大橋西詰の"うしわか広場"には、扇塚が置かれています。扇が平安時代の初期、この地で初めて作られたと伝えられていることが由来です。平敦盛の妻が、敦盛の没後、出家し、時宗御影堂の寺僧とともにこの地で扇を作ったことから多くの扇職人が集まるようになったとのだとか。

五条大橋_H26.06.07撮影
五条大橋 H26.06.07撮影

現在の五条大橋は、1959年(昭和34年)に掛け替えられたもので、五条通りは、西の堀川通りまで国道1号線になります。このまま五条通りを東へ進むと、東山五条の交差点、清水寺のある清水山の麓に出ます。

料理旅館鶴清_H26.06.07撮影
料理旅館鶴清 H26.06.07撮影

五条大橋を渡って、川端通り側に出ました。川向こうには、堂々たる佇まいの料理旅館の鶴清(つるせ)。鴨川に姿を写す、昭和初期に建造された総檜造りの建物は、京都らしさを感じさせます。このあたりから三条までの鴨川の風景は、京都そのものと言ってもいい位です。(続く)


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2014.07.10 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【散】京都の散歩道

【散】京都駅から三条京阪を歩く(H26.06.07) その5

カテゴリ:【散】京都の散歩道~街中から山道まで有名無名限らず、色々な京都の散歩道を案内します。京都歩きの御参考になれば幸いです。


高瀬川_H26.06.07撮影
高瀬川 H26.06.07撮影

河原町通りを横断して東へ進むと高瀬川沿いの道に出ます。車が多く賑やかな河原町通りから、少し入っただけで急にしっとりとした風情の住宅地の街並みに変わります。川の流れが緩いせいか、落ち葉が浮いていて少し澱んだ感じです。

生活用の小橋_H26.06.07撮影
生活用の小橋 H26.06.07撮影

少し南側には、こんな小さな橋がかかっていました。50センチほどの細い橋です。地元の方の手製なのでしょうか。ここから五条通りまでこのような小さな橋が3本ほどありました。欄干にはひらがなで"のりものおことわり"と書かれています。

閉鎖された家屋_H26.07.06撮影
閉鎖された家屋 H26.07.06撮影

先程、河原町通りから入ってきた角に、このような家屋があります。入口は閉鎖され、使用されていないようです。入口には"第二西菊"と赤い文字で記され、窓には、少し昔風のブラインドのようなものが取り付けられています。

閉鎖された家屋_H26.07.06撮影
閉鎖された家屋 H26.07.06撮影

こちらはもう少し町屋の風情の建物で"羽衣"と書かれています。感の良い方ならもうおわかりでしょうが、実はこの辺りは、"五条楽園"とよばれた旧遊郭街です。祇園などの花街と違う所は、この街は芸妓も娼妓も存在する花街で、戦後のいわゆる赤線地帯とよばれた場所でした。長らく営業を続けていましたが、2010年(平成22年)に京都府警の取締により閉鎖され、遊郭としては一部が廃墟のようになり、すでに取り壊しが進んでいます。

閉鎖された家屋_H26.07.06撮影
閉鎖された家屋 H26.07.06撮影

こちらの建物の唐破風も遊郭としての歴史を感じさせます。このブログは、女性の方も多く見て頂いているので、今回、五条楽園を御紹介しようかどうするか迷ったのですが、京都の表の顔も裏の顔をありのままに紹介したいという思いから、敢えて取り上げてみることにしました。私がよく行く東京のスナックで、京都にしばらく住んでいた年配の方に伺うと、"五条楽園"は京都では、その筋を知っている人には有名な場所だったとのことでした。

高瀬川沿いのあじさい_H26.06.07撮影
高瀬川沿いのあじさい H26.06.07撮影

高瀬川沿いを歩いて行くと、ちょうど、今の季節が盛りのあじさいが満開で並んでいます。川沿いに地元の方が色とりどりのあじさいを育てているようで、手入れをされていました。

高瀬川沿いのあじさい_H26.06.07撮影
高瀬川沿いのあじさい H26.06.07撮影

こぼれるような白いあじさいの花が美しい。あじさいが少しだけ旧遊郭街の名残を残しているように思えました。


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2014.07.09 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【散】京都の散歩道

【散】京都駅から三条京阪を歩く(H26.06.07) その4

カテゴリ:【散】京都の散歩道~街中から山道まで有名無名限らず、色々な京都の散歩道を案内します。京都歩きの御参考になれば幸いです。


名酒館タキモト_H26.06.07撮影
名酒館タキモト H26.06.07撮影

文子天満宮をあとにして間之町通りを北上し、六条通りに出たら東へ向かいます。七条、五条通りは車の通る大きな通りですが、六条通りはちょっと広めの路地と言った感じです。見えてきたのはレンガ色の建物、名酒館タキモト。開店していないにもかかわらず、酒好きの私は思わずここで足を止めてしまいました。こちらは創業百十数年の老舗で、焼酎、地酒、ワインが専門だそうです。

市比賣神社_H26.06.07撮影
市比賣神社 H26.06.07撮影

そのまま進むと、六条通りが少し南側に傾いて河原町通りに突き当ります。河原町通りを北上すると、最初の信号で見えてきたのが、市比賣神社(いちひめじんじゃ)。市バスの車内アナウンスで名前をよく聞きますが、注意して見たのは初めてでした。何とマンションの中に神社があります。日常に寺社が密着しているのが何とも京都らしい光景です。

市比賣神社_H26.06.07撮影
市比賣神社 H26.06.07撮影

マンションの1階部分が社務所になっており、その部分に一の鳥居代わりの赤い門があるという面白い設計です。神社をこの地に残すために、きっと色々なことがあってこの形に落ち着いたのでないでしょうか・・・と勝手に想像してみましたが、折角なので参拝させて頂きます。

市比賣神社本殿_H26.06.07撮影
市比賣神社本殿_H26.06.07撮影本殿 H26.06.07撮影

社務所の前を抜けて石鳥居をくぐるとすぐに本殿です。写真の右側はマンションの一部で、写真奥の本殿はマンションとは別の平屋の建物になっています。市比賣神社は祭神に5柱の女神を祀る神社で、平安遷都の際に、左右両京の市場を守護する神社として創建されたのが始まりです。本殿にお参りしてから境内を歩きます。

カード塚_H26.06.07撮影
カード塚 H26.06.07撮影

商売に関連するからかどうか分かりませんが、使用済みのカードを供養するカード塚というものがありました。オブジェの脇に置いてあるガラスの壺に使用済みのカードを納めるというスタイルです。そういえば、市比賣神社ではカード型のお守りもありました。これからの神社は色々なニーズに応えなければなりません。アイデア勝負でなかなか大変ですね。

市比賣神社の絵馬_H26.06.07撮影
市比賣神社の絵馬 H26.06.07撮影

現代の市比賣神社は商売繁盛と子供・女性を守護する神社で女人厄除祈祷所として知られています。絵馬も女性をモチーフにした可愛らしいデザインです。

姫みくじ_H26.06.07撮影
姫みくじ H26.06.07撮影

皇室の産湯に使われていた天之真名井(あまのまない)の脇には小さな達磨のようなものが沢山の置かれています。これは姫みくじといって、この中におみくじが入っているのですが、容れ物は持って帰っても願い事を書いてここに納めて行ってもいいそうです。(続く)

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2014.07.06 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【散】京都の散歩道

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