【祇】日中の先祭山鉾と屏風祭を巡る~ラストその1

カテゴリ【祇】:祇園祭~京の夏を彩る華やかな祇園祭の風景を、色々な目線でお届けします。


ミニブログコーナー:祇園祭はあと1回で終わりと申し上げましたが、諸事情あって2回に分けました。悪しからず。次回で本当に終わりです。
先祭の全ての山鉾23基を見終えた満足感とかなりの疲労を抱えて、最後は祇園祭の大元締め、八坂神社へ向かいます。四条通りのアーケードにも祇園囃子が流れていました。

四条通り_H26.07.16撮影
四条通り H26.07.16撮影

写真の場所は堺町通りと柳馬場通りの間です。写真を撮り忘れて通り過ぎてしまいましたが、四条堺町は山鉾のくじ改めが行われる場所で、町行事が奉行(京都市長)の前で独特のポーズで文箱の中の、巡行順を示すくじを見せるのです。

麩屋町通り_H26.07.16撮影
麩屋町通り H26.07.16撮影

麩屋町通りの案内板が見えます。ここは明日、辻回しが行われる四条河原町と並ぶ、山鉾巡行の一大イベント、長刀鉾の注連縄切りが行われる場所です。

四条麩屋町北側_H26.07.16撮影
四条麩屋町北側 H26.07.16撮影

こちらは交差点の北側。北側の斎竹(いみだけ)が建てられています。ここに四条通りを横切るように注連縄を張り、その注連縄を、くじ取らずで毎年必ず先頭を進む長刀鉾の生稚児が刀で斬りおとすのです。このシーン、毎年BSの中継で見ていますが、京都好きには感極まるシーンで思わず、涙が出てきます。このシーンを見るために大勢の観光客がこの場所に集まるのですが、斬りおとすと大きな拍手が上がります。

四条麩屋町南側_H26.07.16撮影 四条麩屋町南側_H26.07.16撮影
四条麩屋町南側 H26.07.16撮影

注連縄切りは1956(昭和31)年から始まった比較的新しい行事ですが、古い時代にも行われていたようです。この竹を建てるのは、東洞院高辻上ルの高橋町が行うのが恒例です。7月10日には高橋町の役員が、八坂神社に祇園祭の無事を祈り参拝する、高橋町社参が行われます。

HI-REKSビル_H26.07.16撮影
HI-REKSビル H26.07.16撮影

麩屋町通りから一筋東の御幸町通りには、四条通りの北側に鉾の形をしたビルが建っています。JTBの京都四条支店が入っているビルです。前からずっと気になっていました。

HI-REKSビル_H26.07.16撮影
HI-REKSビル H26.07.16撮影

ビルの東、御幸町通り側の壁面には、1.2階にまたがる巨大な車輪がデザインされているという凝りようです。まさに京都ならではの遊び心は良いですね。

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2014.10.28 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【祇】祇園祭

【祇】日中の先祭山鉾と屏風祭を巡る~孟宗山

カテゴリ【祇】:祇園祭~京の夏を彩る華やかな祇園祭の風景を、色々な目線でお届けします。


ミニブログコーナー:いよいよ最後の山鉾になりました。3か月もかかりましたが、頑張りました。来年は、後祭に行って、再来年は先祭の巡行を見たいと思っています。このあと、祇園祭のもう一記事、おまけがつきます。
孟宗山_H26.07.16撮影
孟宗山 H26.07.16撮影

長かった先祭の山鉾巡りもいよいよこれで終わりです。とうとう23基目の孟宗山となりました。山鉾町は烏丸通り四条上ル笋(たかんな)町です。孟宗山は別名、筍山(たけのこやま)とも言いますが、笋も"たけのこ"を意味し、町の名前になっています。先祭で烏丸通りに建つのは孟宗山だけですが、小さいながらも京都駅の主要道路である烏丸通りの1車線を塞いで建つ、孟宗山には、とても堂々としたものを感じます。

孟宗山_H26.07.16撮影
孟宗山 H26.07.16撮影

孟宗山の御利益は親孝行です。中国の三国時代、孟宗という人物が、病身の母親のために冬の雪の中にもかかわらず、母の好物の筍を掘り当てるという、中国の史話二十四孝が、孟宗山の題材となっています。孟宗は竹の名前の孟宗竹にも名を残しています。

会所へ向かう通路_H26.07.16撮影
会所へ向かう通路 H26.07.16撮影

前日の宵々山でも通りましたが、こちらの通路を通って町会所へ向かいます。孟宗山の町会所は過去の祇園祭の町会所の遺風を残す貴重な例として京都市指定有形文化財となっています。

孟宗山・町会所_H26.07.16撮影

孟宗山・町会所_H26.07.16撮影
町会所 H26.07.16撮影

町会所は1897(明治30)年に建てられた平屋建で八畳の2室で構成されています。入口側では授与品の販売が行われていますが、私は昨晩、初めての粽をこちらで購入しました。

孟宗山・胴掛_H26.07.16撮影
胴掛 H26.07.16撮影

会所内には2008(平成20)年、2009(平成21)年に新調された、平山郁夫画伯の"沙漠らくだ行(日)"と"沙漠らくだ行(月)"が展示されています。祇園祭と沙漠の組み合わせが印象的で、以前拝見した記憶が残っていました。

孟宗山・御神体_H26.07.16撮影
御神体_H26.07.16撮影

町会所奥には孟宗の御神体が安置されています。この人形は七条大仏師・康朝左京の作といわれています。康朝をNETで調べてみてもはっきりとは分からないのですが、おそらくは、平安時代のこの人物ではないかと思われます。唐人衣装に笠、右手には雪のかぶった筍、左手は鍬を肩に担いでいます。

地蔵堂_H26.07.16撮影
地蔵堂 H26.07.16撮影
土蔵_H26.07.16撮影
土蔵 H26.07.16撮影

敷地内には延命地蔵菩薩を祀る地蔵堂と、孟宗山と御神体をを保存する土蔵があります。二階建ての土蔵は1868(明治元)年の建造です。

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2014.10.24 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【祇】祇園祭

【祇】日中の先祭山鉾と屏風祭を巡る~函谷鉾

カテゴリ【祇】:祇園祭~京の夏を彩る華やかな祇園祭の風景を、色々な目線でお届けします。


ミニブログコーナー:10/22、今日は時代祭と鞍馬の火祭の日ですが、まだ魂京都では祇園祭です。懸案の引っ越しもようやく片付き、徐々に日常生活を取り戻しつつあります。可哀そうなのは2匹いる猫で、今までは6畳の部屋を猫のために解放していたのですが、今回からケージ入りを余儀なくされてしまいました。夜、帰ると、ケージから出して少しですが部屋の中を遊ばせています。すまん、猫たち。
函谷鉾_H26.07.16撮影
函谷鉾(かんこぼこ) H26.07.16撮影

室町通りを南下して、また賑やかな四条通りに出ました。四条通りに堂々と立つのは函谷鉾町の函谷鉾。先祭で魂京都がご紹介する最後の鉾です。函谷鉾の総重量は、囃子方、懸装品も含めて11.39t、月鉾に次ぐ2番目の重さ。堂々と見えるのはその重さのせいかもしれません。

函谷鉾_H26.07.16撮影
函谷鉾(かんこぼこ) H26.07.16撮影

函谷鉾はくじ取らずの鉾で、鉾としては長刀鉾の次、全体では先祭の5番目を巡行します。御利益は厄除けです。

四条通りの歩道_H26.07.16撮影
四条通りの歩道 H26.07.16撮影

やはり四条通りは目抜きとおりだけあって、雪洞(ぼんぼり)や駒形提灯のかかった小門等も設置されて、とても華やかに見えます。函谷鉾は天明の大火で焼失し、その50年後の1839(天保10)年に再建されました。

函谷鉾・鉾頭_H26.07.16撮影
鉾頭 H26.07.16撮影

函谷鉾の鉾頭は三角形に新月を組み合わせた形です。一見、月の前立てをもつ兜のように見えますが、山にかかる三日月を表しています。これは、古代中国、戦国時代の斉の孟嘗君(もうしょうくん)のエピソードが由来です。秦の追手から逃れる孟嘗君が夜中に函谷関に到着しますが、関は朝になるまで開きません。そこで彼の食客が鶏の鳴きまねをするすと、他の鶏も鳴き出し、朝と誤まった役人は関を開き、孟嘗君は難を逃れたという話です。三角形は函谷関の山並みを表しているのです。

函谷鉾の真木_H26.07.16撮影
真木 H26.07.16撮影

また函谷鉾の真木の中ほどの、他の鉾で云う天王座の部分を函谷鉾では関と呼び、函谷関を表現し、この部分には孟嘗君を祀り、その下には真鍮製で金メッキされた雌雄の鶏を置いています。孟嘗君のこのエピソードはつまらない人物でも、何かひとつくらいは秀でた特技を持っているという"鶏鳴狗盗"(けいめいくとう)という言葉の元になった故事です。

函谷鉾への拝観_H26.07.16撮影
函谷鉾への拝観 H26.07.16撮影

函谷鉾の前は保存会が1FとB1に入っている函谷鉾ビルという建物があり、そこの2階から函谷鉾に搭乗することができます。このビルが保存会の所有かどうかはわかりませんが、四条通りに保存会の入ったビルを維持するにはかなりの費用がかかることでしょう。現代の町衆の祇園祭に懸ける心意気を感じます。

案内の看板_H26.07.16撮影

函谷鉾は女性でも搭乗可能で拝観券は1,000円です。重要文化財とは前懸の"イサクに水を供するリベカ"のタペストリー"のことです。16世紀にベルギーで製作された旧約聖書の一場面の図柄です。旧約聖書も取り入れてしまう祇園祭の奥深さに感じ入ります。

函谷鉾・懸装品_H26.07.16撮影
懸装品 H26.07.16撮影

展示中の鉾の搭乗口側の下水引には雌雄の鶏の図柄が用いられているのが見えます。胴掛は左、進行方向側から"梅に虎文"、"赤地花唐草文"、"玉取り獅子文"です。

函谷鉾・懸装品_H26.07.16撮影

函谷鉾・懸装品_H26.07.16撮影

函谷鉾・懸装品_H26.07.16撮影
懸装品 H26.07.16撮影

四条通りの反対側も同じ図柄の下水引・胴掛が掛けられています。

函谷鉾・正面側_H26.07.16撮影
正面側 H26.07.16撮影

こちらは函谷鉾の前面になります。八坂神社に向かっている面を下から撮影しました。。この屋根は朱漆塗り切妻板葺きで北流れ、南流れ合わせて二十四枚の板で構成されています

函谷鉾・屋根裏_H26.07.16撮影
軒裏絵 H27.07.16撮影

軒裏にも金地に見事な鶏が描かれています。明治から大正にかけて活躍した四条派の画家、今尾景年の筆による"鶏鴉図"です。

函谷鉾囃子の譜_H26.10.22撮影函谷鉾・授与品の扇子_H26.10.22撮影
授与品の扇子 H26.10.22撮影

昨日は孟宗山で粽を購入しましたが、自分の普段使いのお土産はは函谷鉾の扇子を購入してみました。大小あるうちの小で価格は3,000円です。扇面には函谷鉾囃子の譜面が書かれていました。私には、あいのてのところしかわかりませんが、リズム譜のようなものでしょうか?このような譜面でお囃子が継承されているのですね。

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2014.10.22 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【祇】祇園祭

お知らせ

急遽、引越しが決まり、只今、そちらにかかりきりになっています。しばらくブログを書ける余裕がないのですが、今週末までには落ち着くと思いますので、そうしたら再開致します。ご訪問の皆様には誠に申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

10/19追記:引越しの日ほど気がまだ終わらず、もうちょっとかかりそうです。10/22あたりを復帰の目処に頑張っています。毎日、函谷鉾の記事を少しづつ、少しづつ書いているところです。祇園祭の記事もあと少し。頑張ります。心配してご連絡頂いた読者の皆さま、ありがとうございます。



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2014.10.12 | | Comments(0) | Trackback(0) | その他

【時】映画「柘榴坂の仇討ち」

カテゴリ【時】:時代劇の話
~時代劇の感想、雑感、ニュースを書いて行きます。


ミニブログコーナー:土日と烏丸七条の割烹"いいむら"さん関係の検索で入って来られた方が沢山いらっしゃいましたが、TVででも紹介されたんでしょうか?650円ランチで有名なお店です。魂京都でもこちらで取り上げています。
「柘榴坂の仇討ち」を観賞しました。時代劇でなくても、私は昔から広末涼子さんの大ファン(神と思っている位)なので、当然見るつもりでした。いつもの通り、ストーリーは敢えて紹介しませんが、時代が変わっても武士の矜持を棄てない、棄てられない男たちと彼らを見守る女性の物語です。この映画は、時代背景と世界観を理解していれば、男性視点と女性視点では、随分と感じ方が変わってくるところがあるります。見たら、途中、はっと気づく場面があると思いますよ。自分も当然のように男性視点でしたが、そのシーンで考えさせられるものがありました。

映画は淡々と進行していきますが、物語の重要なシーンは常に、あの日と同じ雪が降っているのが印象的でした。ネタばれしないように書きますが、エンディングの広末さんの表情は天下一品です。パンフに往年の高峰秀子を想わせる日本映画黄金時代の名女優の気品と佇まいとありましたが、まさにその通りだと思います。

吉右衛門丈の井伊直弼も、通常、悪鬼のように描かれる直弼と違い、風流で温かみがある理想の上司のような人物像で描かれていました。鬼平の暖かい部分を抽出したような描き方です。鬼平は色々な方が演じていますが、吉右衛門丈の鬼平になってから、老若男女が、鬼平は吉右衛門というのは、そういうところに皆さん魅かれるからではないでしょうか。いつも思うのですが、幕末って、どちらがよい、悪いという世界では無いと思います。勤皇も左幕もそれぞれが国を想って必死になって働いた、そういう世界だと思うのです。だから井伊直弼もたまにはこのような描かれ方をするのもありかもしれません。

この映画は浅田次郎さんの「五郎次殿御始末」が原作ですが、桜田門外の変をこのような取り上げ方をする作品も初めてかと思います。映画には直接関係ありませんが、以前、桜田門外の変で警護の侍たちは処罰されたのかどうか気になって、調べてみたことがあります。

襲撃により、藩主である直弼以外に8名が死亡し(即死者4名、後に死亡した者4名)、13名が負傷した。藩邸では水戸藩に仇討ちをかけるべきとの声もあったが、家老・岡本半介が叱責して阻止した。死亡者の家には跡目相続が認められたが、事変から2年後の1862年(文久2年)に、直弼の護衛に失敗し家名を辱めたとして、生存者に対する処分が下された。草刈鍬五郎など重傷者は減知の上、藩領だった下野国佐野(栃木県佐野市)へ流され揚屋に幽閉された。軽傷者は全員切腹が命じられ、無疵の士卒は全員が斬首・家名断絶となった。処分は本人のみならず親族に及び、江戸定府の家臣を国許が抑制する事となった。(wikipediaから引用)

死ななかった方は全員、処刑されたようですが、これが1862年(文久2年)で、その5年後には明治維新、そして9年後の1871(明治4)年には廃藩置県で彦根藩が消滅するというのも運が悪い気がします。60名の随員がいて、18名の襲撃を防ぎきれなかったのは確かに武門の恥ではありますが、直弼はピストルの初弾で死んでいたという説もあるそうです。最終的に家康の徳川四天王、井伊直政を祖とし、幕末の難局に大老を輩出した、彦根藩は鳥羽伏見の戦いで官軍に与することになったというのも、先ほど、幕末にいい悪いは無いと言いましたが、何とも後味の悪い話ではあります。私、個人的には北へ北へと死場所を求めて落ちて行く土方が好きなのでそう思うのかもしれませんが。

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2014.10.05 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【時】時代劇の話

【祇】日中の先祭山鉾と屏風祭を巡る~菊水鉾

カテゴリ【祇】:祇園祭~京の夏を彩る華やかな祇園祭の風景を、色々な目線でお届けします。


ミニブログコーナー:ツイッターでもつぶやきましたが、来年のテレ東の新春時代劇、"大江戸捜査網"だそうです。主演の十文字小弥太が高橋克典さん。井坂十蔵が村上弘明さん、秋草新十郎が松岡昌宏さん。女性は二人で稲妻 お竜が藤原紀香さん、不知火 お吉が夏菜さん。高橋克典さんは好きなんだけどあの人、特命係長やったばかりに、全てが安っぽく見えちゃう気がしています。これで特命係長の印象を払拭してくれるといいんですが。女性陣はちょっと不安。夏菜さんは悪いけどちょっとおぼつかなそうだし、藤原さんは殺陣ちゃんとできるのかな?中村あずささんみたいなぎこちない殺陣だと嫌だな。
菊水鉾_H26.07.16撮影
菊水鉾 H26.07.16撮影

四方に山鉾が位置する室町錦小路のラストは室町通り南側、菊水鉾町の菊水鉾です。菊水鉾の名はこの町内にあった名水、菊水井戸によるもので、この井戸は千利休の師である武野紹鴎の邸内にありました。菊水鉾は1864(元治元)年の蛤御門の変で焼失しましたが、1952(昭和27)年に88年ぶりの再興を果たしたのです。

菊水鉾・鉾頭_H26.07.16撮影
鉾頭 H26.07.16撮影

菊水鉾の鉾頭は、16枚の花弁を持つ巨大な金の透かし彫りの菊花です。この鉾は謡曲"菊慈童"をモチーフにしています。ある時、魏の文帝の勅使が薬水を求め、酈縣(れっけん)山に入った折り、古代中国、周の穆王(ぼくおう)に仕えていたという不思議な少年に出会います。その少年は、甘菊の葉に滴った露を飲んで700年生き続けていたというストーリーです。そのため、菊水鉾のご利益の一つには、不老長寿があげられています。巡行の際の稚児人形も菊丸といい、この少年をモデルにしたもの。

菊水鉾・天王座と額_H26.07.16撮影
天王座と額 H26.07.16撮影

真木の中ほどにある天王座と呼ばれる場所には彭祖(ほうそ)像を祀っています。彭祖とは、中国の神話に出てくる800歳の寿命を保った長寿の仙人です。榊がある場所に付けられている額には、藍地に金で菊水と浮彫りされた額が取り付けられています。見てきた中で、真木に額が付いていたのは、菊水鉾だけのような気がします。

菊水鉾内の拝観_H26.07.16撮影
菊水鉾内の拝観 H26.07.16撮影

菊水鉾前のマンションは二階に菊水鉾保存会の会所があり、そこから菊水鉾に上がることが出来ます。このマンションは、2003(平成15)年、烏丸通中立売上ルに移転した金剛能楽堂の跡地に建てられたものです。ここには取り付けの出来る外階段があり、室町通りから直接2階の会所に上がれるとか。マンションに移転してきた住民の方も保存会に参加できるようです。京町屋が次々に無くなっていくのは非常に残念ですが、古い京都を守りつつ、新しい京都になっていく過程が見られる風景のような気もします。

菊水鉾・懸装品_H26.07.16撮影

菊水鉾・懸装品_H26.07.16撮影

菊水鉾・懸装品_H26.07.16撮影
懸装品 H26.07.16撮影

宵山で展示中の鉾には、作品名は分からないものの、迫力のある鯉の滝登り、2頭の唐獅子図、昇り龍、紅葉の図柄の見事な懸装品が用いられています。菊水鉾は"昭和の鉾"として、年々、充実を重ねてきた鉾でもあるのです。平成も20年代半ばになった今がちょうど円熟期なのかもしれません。

菊水鉾_H26.07.16撮影
菊水鉾 H26.07.16撮影

菊水鉾は唐破風の屋根をもち、軒下に翠簾を下げていることも大きな特徴です。ちなみに、腰かけているのは菊水鉾のスタッフさんですが・・・

菊水鉾Tシャツ_H26.07.16撮影
菊水鉾Tシャツ H26.07.16撮影

皆さん、背中に金文字で菊水鉾とプリントされた格好いいTシャツを着ています。白地に金の文字が素敵です。

菊水鉾・車輪_H26.07.16撮影
車輪 H26.07.16撮影

車輪の大きさは、おおむね他の鉾と変わりないと思いますが、車軸に16弁の菊があしらわれています。車輪の輻("や"~スポークのこと)の部分にも、鉾の名が金文字で書かれています。これも他の鉾には見られなかったと思います。

菊水鉾・授与品の販売風景_H26.07.16撮影
授与品の販売風景 H26.07.16撮影

鉾の前のテントで授与品の販売をしています。女性が皆さん、緋の袴の巫女姿なのが印象的でした。

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2014.10.03 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【祇】祇園祭

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