【行・帰】新幹線の車窓から

カテゴリ:【行・帰】京都への足・からの足
~京都へ行く、京都から帰ってくる交通機関についてレポートします。出発地は東京または横浜です。データ重視。


この記事では新横浜・京都間の東海道新幹線の車窓や駅から見える風景を、ご紹介しようと思います。通過列車や天候の関係で一度に撮影はできないので、写真が取れ次第、追加していきます。記事は東海道新幹線・下り その1東海道新幹線・下り その2をベースにしています。

新横浜駅新幹線ホームから_H26.07.15撮影
新横浜駅新幹線ホームから(A席側) H26.07.15撮影

新幹線ホームからいつもこのビルを眺めて、これから訪ねる京都に思いを馳せます。

進行方向に富士山_H26.12.05撮影
進行方向に富士山(E席側) H26.12.05撮影

意外とすぐ進行方向に、富士山がチョコチョコ顔を出しているのが見えます。写真は新横浜を出発して6分後、デッキから撮影。

平塚市根坂間辺り_H26.12.05撮影
平塚市根坂間辺り(E席側) H26.12.05撮影

新横浜から9分後、神奈川県平塚市根坂間の近辺。見えている住宅群は湘南日向岡住宅です。以前、タモリ倶楽部で紹介されていました。同じような形の家が同じ方向を向いて整然と並んでいるのは、プチ・ヨーロッパの香りがします。私と同じ様に、気になる方がいて、この住宅街は何人かの方がWEBでも紹介されていますね。

小田原市国府津辺り_H26.12.05撮影
小田原市国府津辺り(E席側) H26.12.05撮影

国府津で富士山が車窓に綺麗に見えてきます。右側の黒くボコっとした山は、歌川広重の"東海道五十三次・平塚縄手道"に描かれている高麗山でしょう。以前に、東海道を京都まで歩くカテゴリの東海道五十三次踏破・藤沢本町~その2でご紹介しています。

熱海城_H28.03.01撮影
熱海城(A席側) H28.03.01撮影

熱海駅を出ると、海側で周囲を監視するように建つ熱海城が山の上に見えます。しかしこの城、歴史上には存在していない城です。実際は1959(昭和34)年に建てられたもの。春には桜の名所になるそう。

富士市・富士山フロント工業団地_H26.12.05撮影
富士市・富士山フロント工業団地(E席側) H26.12.05撮影

富士市に入ると工業地帯のたくさんの煙突から、モクモクと煙が上がっている風景が目に入ります。そこら中からモクモクと煙が上がっている感じです。

富士市辺り_H26.12.05撮影
富士市辺り(E席側) H26.12.05撮影

後ろに見えてくる頃が、下り新幹線からの富士山が一番綺麗に見える時間かもしれません。

夕方の富士山_H28.03.03撮影
夕方の富士山 H28.03.03撮影

こちらも富士市辺りですが、夕焼けにうっすら染まる富士山です。

静岡駅上空の空_H28.03.03撮影
静岡駅上空の空(E席側) H28.03.03撮影

この空は1982年に放送された西部警察第10話"大追跡!!静岡市街戦-静岡・前篇-"で小暮課長を乗せたヘリが飛んだ空です。このあと整備中だった、北口の広場にヘリが着陸するという名シーン。所轄の1課長が督励のためだけになぜヘリを?という突っ込みは置いておきましょう。

静岡駅付近_H26.12.06撮影
静岡駅付近(E席側) H26.12.06撮影

静岡駅通過直後の静岡市街の風景です。

掛川城(E席側)_H28.03.03撮影
掛川城(E席側) H28.03.03撮影

どこかの天守に似ていると思って調べたら、高知城の天守でした。掛川城の天守は1994(平成6)年の再建、山内一豊が関ケ原後に移封された高知城の天守を参考に建てられました。日本初の木造の復元天守だそうです。

浜名湖(E席側)_H28.03.01撮影
浜名湖(E席側) H28.03.01撮影

浜名湖_H26.12.06撮影
浜名湖(E席側) H26.12.06撮影

浜名湖(E席側)_H28.03.01撮影
浜名湖(E席側) H28.03.01撮影

1分程で通過してしまいますが、海に遜色のない雄大な湖の風景は見ていて心が晴れ晴れしてきます。

野立て看板・豊橋~三河安城間(E席側) H28.03.01撮影
野立て看板・豊橋~三河安城間(E席側) H28.03.01撮影

このような看板を野立て看板と云います。"727化粧品"の看板は、新幹線あるあるにも使える、車窓から見える景色の定番です。(自分用メモ→次の写真の13分前)

野立て看板_H26.12.05撮影
野立て看板・豊川放水路の2~3分先の辺り(E席側) H26.12.05撮影

あっという間に通り過ぎてしまう所がかえって惹きつけられる所以かもしれません。ちなみに"727"は"セブンツーセブン"と読みます。

野立て看板_H26.12.05撮影
野立て看板(E席側) H26.12.05撮影

この写真は安城市安城町天草にあった野立て看板。こちらも"727"と京都西川がコンビです。

ニチバン安城工場の看板_H28.03.01撮影
ニチバン安城工場の看板(E席側) H28.03.01撮影

三河安城駅を発車するとすぐ見えてくる印象的な看板。含蓄が有るような無いような・・・。でも名文句だと思います。一度聞いたら忘れない感じです。

名古屋駅手前_H26.12.05撮影
名古屋駅手前(E席側) H26.12.05撮影

車窓から見える風景も大都市の佇まい。新横浜を出て最初の大都市です。ねじれたように見える独特の形のビルは、"モード学園スパイラルタワーズ"で、モード学園と商業施設が入居しています。地上36階、地下3階で高さは170m。

名古屋駅直前(E席側) H28.03.01撮影
名古屋駅直前(E席側) H28.03.01撮影

手前の2棟が名古屋の駅ビルでJRセントラルタワーズ、高島屋、東急ハンズ、名古屋マリオットアソシアホテル他が入居しています。真ん中の棟は高さ245.1mの51階建て。奥のビルはJRゲートタワーで現在建設中、2017年開業予定です。

新幹線から清州城_H27.11.07撮影
新幹線から清州城(E席側) H27.11.07撮影

名古屋過ぎて5分くらいで清須城。

パナソニック・ソーラーアーク_H27.11.07撮影
パナソニック・ソーラーアーク(E席側) H27.11.07撮影

岐阜羽島〜米原間で思わず2度見をしてしまう巨大な物体は、パナソニックの太陽光発電施設です。大きさは全長315m、地上高37.1m。5,046枚の太陽光パネルが使用されています。

金生山採石場_H28.03.03撮影
金生山採石場 H28.03.03撮影

向かって左側の山は金生山(かなぶやま通称:きんしょうざん)という採石場。このページによると、かなり興味深い形をしています。山全体が石灰岩でできておりその産出と、化石が多数発掘されることから"日本の古生物学発祥の地"ともよばれています。遠くにあっても大きいので、1分位はこの山の景色を車窓から楽しむことができます。

関ケ原古戦場跡(E席側)_H28.03.01撮影
関ケ原古戦場跡(E席側) H28.03.01撮影

山裾に現れるのは関ケ原古戦場。この地は歴史の上でも、壬申の乱や不破関が置かれた交通の要衝でしたが、現在でも東海道新幹線、東海道本線、名神高速が通り、その重要度は変わっていません。東海道新幹線や名神が雪に悩まされる辺りです。(撮影日も雪が少し積もっていました。) 関ケ原町役場に問い合わせたところ、この看板があるのは徳川家康が最初に着陣した場所(桃配山)の近くだそうです。

727の看板_H28.03.01撮影
727の看板 H28.03.01撮影

雪の中に立つ727の野立て看板。白銀の中でも赤い文字がしっかり目立っています。北の山々は伊吹山地です。

佐和山城跡(E席側)_H28.05.02撮影
佐和山城跡(E席側) H28.05.02撮影

石田三成に過ぎたるものと云われた居城、佐和山城跡です。佐和山(標高232.5m)からは琵琶湖が一望できます。

瀬田唐橋(E席側)_H28.05.02撮影
瀬田唐橋(E席側) H28.05.02撮影

瀬田川の河口にある瀬田唐橋です。歴史上、よく京都防衛の最終ラインとされた場所。この向こうが琵琶湖になります。


新幹線京都到着の車内アナウンス(E席側) H26.12.05撮影

京都到着のアナウンスです。(動画開始後から23秒以降) 山科の辺りで流れます。音楽はこのパターンのほかに"いい日旅立ち"もあります。


新幹線京都到着の車内アナウンス(A席側) H27.11.07撮影

こちらは反対側の席の車窓風景動画です。29秒後にアナウンスが始まります。なお、下り新幹線の指定席・自由席はABCが3席並びで海側、DEが富士山側になります。それぞれAEが窓側です。

新幹線京都到着の車内アナウンス(E席側) H28.03.01撮影

こちらはデッキでE席側の車窓を撮影しましたが、アナウンス前のチャイムが"いい日旅立ち"になっているバージョンです。

京都タワー_H26.12.05撮影
京都タワー(E席側) H26.12.05撮影

アナウンスが始まって30秒ほどすると東山を抜けるトンネルに入ります。トンネルを出ると京都タワーが見え、いよいよ京都到着です。

京都駅ビルと京都タワー_H26.12.05撮影
京都駅ビルと京都タワー(E席側) H26.12.05撮影

駅ビルが見えてくると約2時間の新幹線の旅も終了です。
H28.5加筆修正・写真追加

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2016.02.29 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【行・帰】京都への足・からの足

【門】秀吉寄進の巨大な楼門~伏見稲荷大社



カテゴリ:【門】京都の門
~大きなものから小さなものまで、大小遠近男女は問わず京都の門


ミニブログコーナー:あぶ刑事見てきました。舘さん、かっこいいなあ。ノーヘル、スーツでハーレは舘さんしかできないでしょ。あまりに格好良くて泣けてきました。あと吉川晃司さんのキックで電灯破壊も凄かったなあ。一つの時代が終わった感じ。あぶ刑事、全作集めたい。西部警察は"燃える勇者たち"以外、全部持ってるんだけど。

伏見稲荷大社の幟(のぼり)_H27.11.07
伏見稲荷大社の幟(のぼり) H27.11.07撮影

伏見稲荷大社は、日本全国に3万社あるといわれる稲荷神社の総本宮として知られていますが、今や国内にとどまらず、世界中の人が訪れる高名な観光スポットになっています。2015年のアメリカの旅行口コミサイト"tripadvisor"外国人に人気の観光スポットで2年連続、日本国内1位に選ばれました。参道にはそれを宣伝する幟が並んでいます。確かに周囲を見るとアジア、欧米を問わず、大勢の外国人の姿が。

伏見稲荷大社・一の鳥居から_H27.11.07撮影
一の鳥居から H27.11.07撮影

中でも神秘的な千本鳥居を目的に訪れる方が多いようですが、今回は巨大な楼門がテーマです。JR奈良線の稲荷駅を出るとすぐに大きな一の鳥居があり、参道の先の二の鳥居の向こうに楼門が見えます。

伏見稲荷大社・楼門_H27.11.07撮影
伏見稲荷大社・楼門 H27.11.07撮影

この楼門は幅約10m、高さ約15m、京都市内で最大の大きさを誇ると云われており、国内でも最大級の部類に入る楼門です。国の重要文化財にも指定されています。檜皮葺(ひわだぶき)、入母屋造の屋根をもつ三間一戸の重厚な楼門は、全国の稲荷神社の総本宮にふさわしい楼門です。青空であれば、きっとバックの空に鮮やかな朱が映えると思います。色鮮やかなのは2011(平成23)年に稲荷大神鎮座1300年に合わせて改修されたからだそうです。

伏見稲荷大社・楼門の扁額_H27.11.07撮影
扁額 H27.11.07撮影

造営は1589(天正17)年、豊臣秀吉の手によるもので、本殿に次いで古い建築物です。母、大政所の病気平癒祈願が成就したため、この楼門が寄進されました。少しでも長く、母親を生き延びさせたい秀吉の心情がよくわかる“命乞いの願文”も伏見稲荷大社には残されています。秀吉は病気平癒が叶ったら、1万石の寄進をするという約束をしていました。

伏見稲荷大社・狛狐_H27.11.07撮影

伏見稲荷大社・狛狐_H27.11.07撮影
伏見稲荷大社・狛狐 H27.11.07撮影

伏見稲荷大社では狛犬は全て狛狐です。狛狐は稲穂、巻物、鍵、玉のどれかをくわえているそうですが、楼門前の阿形の狐は玉、吽形の狐は鍵をくわえています。ちなみに打ち上げ花火の掛け声、『玉屋~鍵屋~』は、この玉から来ているそう。以前に紹介した大豊神社の狛狐は、玉と巻物でした。どこかのHPには、鍵の金具の部分が破損して巻物をくわえているように見えたのが、巻物の起源では?とも書かれていました。楼門を守る鋭い目つきの狐です。

伏見稲荷大社・随身像(左大臣)_H27.11.07撮影
伏見稲荷大社・随身像(左大臣) H27.11.07撮影

伏見稲荷大社・随身像(右大臣)_H27.11.07撮影
伏見稲荷大社・随身像(右大臣) H27.11.07撮影

楼門の左右には弓矢を持った武官の像が安置されています。これを随身(ずいしん・ずいじん)といい、高貴な人物を警護する、今でいうSPのようなものです。向かって右を左大臣、左を右大臣ともよばれています。左大臣の方が高位のため老人の姿をしており、右大臣は若者です。また、随身は左右で阿吽の相をとっています。そういえば、八坂神社の西楼門にも随身像が置かれていますね。

伏見稲荷大社・楼門(内側から)_H27.11.07撮影
伏見稲荷大社・楼門(内側から) H27.11.07撮影

1694(元禄7)年に造営された檜皮葺・切妻造の北廻廊・南廻廊二棟も楼門と共に重要文化財です。元々は築地塀だったものが、絵馬掛所として作られたものだそう。

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2016.02.27 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【門】京都の門

【外・体】勝奈さん、バレンタインに東京降臨!

カテゴリ【外・体】:京都以外で京都を体験~京都に行かなくても京都を体験できるイベントや場所の紹介です。


ミニブログコーナー:常に説明していますが、私、舞妓ヲタというわけではないんですよ。その辺、誤解のなきようにお願い致します。遅刻して写真ちょっとしかないので、過去の写真を駆使して1本記事を作ってみました。
2/13の土曜日に地元の居酒屋で一人で飲んでました。店も混んでて誰も相手にしてくれない~ということでスマホをいじっていたら、明日、京都館に上七軒の勝奈さんと梅ちえさんが東京降臨との情報をゲット!たまには放置されてみるもんだ。

勝奈さんのうちわ_H27.11.24撮影
勝奈さんのうちわat先斗町 H27.11.24撮影

勝奈っち(友達か!)は舞妓が出る番組には結構出てくる、アイドル的と言ったら失礼ですが、超かわいい舞妓さんです。

omronの勝奈さん_H27.11.08撮影
omronの勝奈さん H27.11.08撮影

omronの広告にも出ていて京都駅の新幹線ホームにも。

omronの勝奈さん_H27.11.07撮影
omronの勝奈さん_H27.11.08撮影

京都駅ビル内にもお姿が。昨年、上七軒のビアガーデンで飲んだ時、ガラス越しにお見かけしましたが、生で見れるということで、"あぶ刑事"を見に行くのを止めて、明日の予定は京都館に決定。

京都館_H26.09.13撮影
京都館 H26.09.13撮影

ちなみに京都館とは東京駅の八重洲側にある京都のアンテナショップです。ミモロちゃんの写真展や京都グッズ購入のために何回か出かけたことがあります。2回の舞の披露と先着50名様にチョコレートのプレゼントがあるとか。

勝奈さんと梅ちえさん_H27.02.14撮影
勝奈さんと梅ちえさん H27.02.14撮影

情報だけで盛り上がって、さらに2軒目バーに行き、まっすぐ歩けないほど酔ってしまったので、結局、翌日は二日酔い。最初の回の時間には全く起き上がれず、2回目の回にようやく間に合いました。ちょっと遅れただけでしたが、舞は短かったようですぐ終わってしまい、撮影会だけやっていました。そこまで人はいなかったので、これならチョコもらえたかも。大失敗。

勝奈さんと梅ちえさん_H27.02.14撮影
勝奈さんと梅ちえさん H27.02.14撮影

カメラマンに囲まれてにこやかに応対されてました。なっちゃんもちーちゃん(友達か!その2)も超可愛いっす。2月なので花かんざしは梅の花ですね。ついつい"次に生まれてくる時は、西陣の帯屋の息子に生まれたい"なんて、都々逸まがいが口をつきます。目線下さいって言いたかったのですが、スマホで撮ってたので失礼かと思って遠慮しました。一眼レフ持って来れば良かった。後悔その2。

勝奈さんと梅ちえさん_H27.02.14撮影
勝奈さんと梅ちえさん H27.02.14撮影

後姿も披露してくれました。お二人とも、このままとんぼ帰りで新幹線で帰るらしいです。あと何年、舞妓姿見れるのかな~と、おぢさんはふとさびしくなりました。

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2016.02.17 | | Comments(4) | Trackback(0) | 【外・体】京都以外で京都を体験

【歩・過】東海道五十三次踏破・藤枝~その1

カテゴリ:【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)
~2010年からスタートして現在中断中の、東海道を日本橋から京都まで歩く企画の過去分です。ここでは日本橋~金谷までを取り上げます。文章もその当時に書いたものです。


2011年1月9日 藤枝駅付近からスタートの記録

8:30自宅を出発。本当は6時頃出たかったのだが、前の晩の飲酒が祟り朝寝坊。新幹線で新横浜から静岡。静岡から藤枝まで東海道線。本日は駅からスタート地点の国道1号の青木交差点まで500m程の距離がある。

11:32 青木交差点スタート。天気は良いが風が強い。(今日は途中で結構、大きな鳥が飛行中に風にあおられてフラフラしていたほど。)できれば、遅くなってもいいから今日は掛川まで行きたいと思っている。

旅人への案内板_H23.11.09撮影
旅人への案内板 H23.11.09撮影

11:42 さわやか住宅という会社の看板に和む。脇にはベンチも置いてある。おそらく東海道を歩く旅行者にアピールしても利益にならないと思うと余計に思う。社長さんが東海道に愛着があるのだろうか。

このあと、数本だけの松並木。本日は所々に短い松並木と稲刈り後のままになっている田が現れて旅情を誘う。

六地蔵尊_H23.11.09撮影
六地蔵尊 H23.11.09撮影

11:47 六地蔵尊。地蔵堂と六地蔵が刻まれた新しめの碑がある。地元の町内会が建てた説明文によるとこの六地蔵は鏡ヶ池の中から現れたといい、名付けて鏡池堂地蔵尊とのこと。地蔵堂は昭和33年改築のもの。かつては駿河国二十四番札所、第九番の霊地だったそうだ。

古東海道址の碑_H23.11.09撮影
古東海道址の碑 H23.11.09撮影

11:50 古東海道址、すぐ先はに東海道追分の道標。旧東海道と言っても時代により東海道は色々ルートを変えており、古代、中世、近世と別れている。私が今まで歩いてきたのはおおむね、近世の東海道。

田中藩領ぼう示石蹟_H23.11.09撮影
田中藩領ぼう示石蹟 H23.11.09撮影

12:00 田中藩領ぼう示石蹟。江戸期、この近辺は田中藩という数万石の小藩が治めていた。wikiによると田中藩は治める大名家が点々と代わり、吉宗の時代まで、しょっちゅう大名が代わっていた。(幕末まで12家)ただ、この藩の歴代藩主はほとんどが幕閣入りしていたり、水戸の弘道館とともに武道の二関と呼ばれた日知館があった、小さくても個性的な藩。

杉玉_H23.11.09撮影
杉玉 H23.11.09撮影

12:07 酒屋の軒先にぶら下がる、蜂の巣のような青々と見事な杉玉。青々とした杉玉は新酒ができたことを知らせる目印。茶色くなるまで1年ぶら下げておく。この店は青島酒造といい、ここで作る喜久酔という酒は“美味しんぼ”でも紹介されているほどうまい酒。私は酒好きではあるが、もっぱら焼酎派なので、あまり触手は動かないが、そこまで旨いと言われるとちょっと興味がある。ただ、残念ながら、歩いている時は呑まないというルールがあるので本日はお休み。

上青島の一里塚跡の碑_H23.11.09撮影
上青島の一里塚跡の碑 H23.11.09撮影

12:14 一里山バス停の松並木の脇に上青島の一里塚跡。比較的真新しい石碑の側面に“南約十米道路東円型にて約百二十平米”と記載されている。


弥次喜多の看板_H23.11.09撮影
弥次喜多の看板 H23.11.09撮影

12:20 一里山交差点で国道1号に合流。そば屋の弥次喜多の看板が微妙。ここから国道1号を歩く。

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2016.02.10 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)

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