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    【石】但称の石仏を巡る~番外編 東京・養玉院如来寺

    カテゴリ:【石】京都の石仏~雨の日も風の日も京の街を山を水辺を護り続ける"いしぼとけ"達


    ミニブログコーナー:本日、台風15号の影響で、昨夜から大変なことになっています。私が現在住んでいる場所も、近くに大きな川が流れているのでとても心配です。(高齢者に対する避難勧告が出ている状況です。)今夜がヤマだということですが、どなた様も無事で過ごされますことを、心から願っています。
    5回に渡り、京都の但称仏を巡ってきましたが、最後のまとめとして但称の墓があるという東京・西大井の養玉院如来寺を訪ねてきました。

    伊藤博文公墓所_R01.06.22撮影
    伊藤博文公墓所 R01.06.22撮影

    養玉院如来寺へは、JR横須賀線の西大井駅を下車します。目的地までの道が非常に複雑なため、予め地図を印刷してから出かけました。駅近くでは、伊藤博文の墓所を見ることができます。(但し。通常非公開) 徒歩で15分ほど住宅地を歩いて、養玉院如来寺に辿り着きました。


    養玉院如来寺_R01.06.22撮影
    養玉院如来寺・山門 R01.06.22撮影

    養玉院如来は二つの寺院が合併してできました。養玉院は1635(寛永12)年に、家康のブレーンとして知られる天海僧正が寛永寺の中の一院として下谷に、如来寺は1636(寛永13)年に、但称が弟子と共に作成した五智如来を本尊として、高輪に開いたのが如来寺です。

    養玉院如来寺・参道_R01.06.22撮影
    養玉院如来寺・参道 R01.06.22撮影

    1908(明治41)年に如来寺が、この地に移転しました。如来寺が移転してきた理由はよくわかりません。養玉院は境内地の多くが上野駅の用地として収容されたため、1922(大正11)年にこの地に移転を余儀なくされました。両寺院は隣接していたため、1926(大正15)年に合併し、現在の形になったのです。

    養玉院如来寺・石柱_R01.06.22撮影
    養玉院如来寺・石柱 R01.06.22撮影

    現在は釈迦如来を本尊に、帰命山の山号をもつ天台宗の寺院です。迎え盆には境内に1000個の提灯を灯す千燈供養、そして大井の大仏(おおぼとけ)、五智如来のある寺として知られています。

    瑞應殿・正面から_R01.06.22撮影
    瑞應殿・正面から R01.06.22撮影

    参道を奥まで進むと、瑞應殿の中から大日如来が私を見下ろしていました。階段の下から大日如来を見上げてみると、これはかなりの迫力です。

    瑞應殿・五智如来像_R01.06.22撮影
    瑞應殿・五智如来像 R01.06.22撮影

    堂内に入ると、中には大井の大仏とよばれる五智如来、写真の手前側から薬師如来、宝生如来、大日如来、阿弥陀如来、釈迦如来の五仏が安置されています。横に長いので一枚の写真に収めるのが難しい・・・(内部の写真撮影は禁止されていません。) 肌の部分には金箔が貼られ、人が近づくとライトアップされるようになっています。


    瑞應殿・薬師如来像_R01.06.22撮影
    瑞應殿・薬師如来像 R01.06.22撮影

    但称が作った当初の五智如来は、1745(延享2)年の火災により全て失われ、現在のものは1760(宝暦10)年頃作成されたと考えられていますが、この薬師如来の頭部だけは当初のものであると伝えられています。しかし、但称の作風とはかなり異なっていることから、他の仏師が関わっていた可能性もが高いとの説が有力です。

    瑞應殿・但称像_R01.06.22撮影
    瑞應殿・但称像 R01.06.22撮影

    蓮華寺・石仏群・僧形坐像_H31.02.09撮影
    蓮華寺・但称像⑦ H31.02.09撮影

    堂内には、以前に資料の写真を撮影してこのブログに掲載させて頂いた但称上人の像が安置されていました。1641(寛永18)年に弟子の林貞によって作られたもので、頭部には樋口平太夫による法華経八巻が納められているそうです。林貞は京都市御室にある蓮華寺の但称石像も手掛けています。

    養玉院如来寺・但称の石仏_R01.06.22撮影
    墓地入口の石仏 R01.06.22撮影

    瑞応殿の側面を背にした墓地の入口に、個性的な表情をした3体の石造の地蔵菩薩像が安置されていました。そのうち、向かって左と真ん中の二体が但称のものになります。

    養玉院如来寺・但称の石仏_R01.06.22撮影
    但称の石仏_R01.06.22撮影

    但称の石仏にしては、両方とも頭が小さく妙にスマートな印象があります。石仏の総高は向かって左が210cm、中央が233cmです。

    養玉院如来寺・但称の石仏_R01.06.22撮影
    但称の石仏(向かって右) R01.06.22撮影

    特徴的な表情は鼻が原因でした。よく見ると鼻は、セメントのようなもので雑に修理されていました。欠損して、後に修復されたためと思われます。

    養玉院如来寺・但称の石仏・銘_R01.06.22撮影
    但称の石仏(向かって右)・銘 R01.06.22撮影

    裏側の銘には"于時寛永十五年 五智如来大本願為十品甚右衛門内方 奉従霊巌島新堀町中此供養也 戌寅二月廿九日作但称(花押)"とあります。霊巌島新堀町の町人達が、但称に製作を依頼したようです。霊巌島新堀町は、但称とゆかりの深い材木商、樋口平太夫の住まいのあった日本橋材木町の近くになります。

    養玉院如来寺・但称の石仏_R01.06.22撮影
    但称の石仏(中央) R01.06.22撮影

    中央の石仏は、もう一体と違い錫杖を持っていますが、錫杖の顔の脇辺りが欠損してしまっています。光背にも、大きく割れた跡がありました。

    養玉院如来寺・但称の石仏・銘_R01.06.22撮影
    但称の石仏(中央)・銘 R01.06.22撮影

    裏側の銘の記載は長くなるので省略しますが、この像が1637(寛永14)年に但称の手によって、16名の法名を持つ人物の寄進で作られたことがわかります。この銘では"但唱"の表記です。右面には"施主 石屋和泉半右衛門"との銘もあります。

    養玉院如来寺・墓地_R01.06.22撮影
    養玉院如来寺・墓地 R01.06.22撮影

    但称の石仏の辺りを入口に、瑞應殿の裏手に墓地が広がっています。大和高取藩植村家、対馬藩宗家の歴代の墓所のある場所です。養玉院如来寺は小高い丘を利用して建てられていますが、この墓地は頂上に近い部分になります。

    養玉院如来寺・但唱墓_R01.06.22撮影
    養玉院如来寺・但称墓 R01.06.22撮影

    但称の墓は、墓地内の手前寄りの高い場所にありました。石仏脇の石段を上がって進み、また石段を登ると正面が但称の墓です。高さは約4mあり、墓地内でひと際大きな墓なのですぐにわかると思います。

    養玉院如来寺・但唱墓_R01.06.22撮影
    養玉院如来寺・但称号墓 R01.06.22撮影

    中央に"佛性院満嶺但唱上人"の名と、没年である"寛永十八 辛巳(かのとみ)年"が彫られています。こちらでも表記は"但唱"です。この墓は但称の死後、彼を慕う弟子たちによって造られました。墓の大きさから、弟子たちの但称を慕う気持ちが偲ばれます。

    但唱墓から東海道新幹線_R01.06.22撮影
    但称墓から東海道新幹線 R01.06.22撮影

    但称の墓からは、ひっきりなしに往来する東海道新幹線を臨むことが出来ます。このブログで長期間、彼の造った京都にある石仏を取り上げてきましたが、この風景は新幹線が、京都の但称仏と東京の但称の墓をつないでいるような気がして、非常に感慨深いものがありました。(後日、新幹線からもこの墓がはっきり見えることがわかりました。)


    参考文献:
    「大佛 帰命山養玉院如来寺-鐘楼・山門落慶供養記念-」 1988(昭和63)年 帰命山養玉院如来寺
    「京の石仏」 佐野精一 1978(昭和53)年 サンブライト出版
    樋口平大夫と但称の作善」 川勝政太郎 1974(昭和49)年大手前女子大学論集8号
    「品川歴史館特別展 大井に大仏がやってきた-養玉院如来寺の歴史と寺宝」 品川区立品川歴史館 2013年発行
    ブログ「のんびり生きよう」 但唱上人の足跡(年表) 2013.11.04
    ブログ「のんびり生きよう」 京都 因幡堂(平等寺) 2014.11.11
    写真少年漂流記の旧サイト 続・蓮華寺から流失した石仏の謎 2010.11.4

    養玉院如来寺:東京都品川区西大井5-22-25(WEB/MAP)

    R01.10UP

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    テーマ:東京 - ジャンル:地域情報

    2019.10.12 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【石】京都の石仏

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