【歩・過】東海道五十三次踏破・品川~その1

カテゴリ:【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)
~2010年からスタートして現在中断中の、東海道を日本橋から京都まで歩く企画の過去分です。ここでは日本橋~金谷までを取り上げます。途中の文章もその当時に書いたものです。



2010年2月14日(日)第2回の記録:品川~鈴ヶ森

悪天候が重なり、1週間空いてしまいましたが、ようやく天候が落ち着いたようなので、本日は恵比寿でココイチ神カレーを食して腹ごしらえ後、前回終了地点の品川駅前から13:50に再スタート。ちなみに本日はデジカメを忘れたために写真はすべて携帯です。本日の服装も前回と同じR&Rサンツガーだが、ジーンズだと疲れるので今日はカーゴパンツ。

品川駅スタート直後、駅ビル内にゴーゴーカレーを発見。ゴーゴーカレーは金沢のカレーチェーンなんですが、どろっとした黒いルーでキャベツの千切りと一緒に食べるのが特徴で、一時期は、外食オレ四天王の一、ココイチ神カレーの座をおびやかしたことのある実力派カレー。こんなところにもあったんだと新発見。本日は幸先の良いスタートである。

本日は品川駅から国道15号を少し歩いて八ツ山陸橋から旧道を歩いて品川宿を歩くコース。物の本によると八ツ山橋陸橋は、ゴジラが上陸した最初の地点だとのこと。特撮ファンの聖地か?陸橋からすぐ脇にそれるのだが、うっかり行き過ぎてしまい、ちょっとだけ道に迷ってしまった。地図を見直して品川宿の入り口の看板を発見したのが14:03。ここから旧東海道に入っていく。ここからは鈴ヶ森まで15号と京急線と並行して歩いて行く。

旧東海道は商店街になっており、この辺りは北品川本通りと呼ばれていて、道幅も旧東海道のままということだ(車が2台ぎりぎりすれ違う位の道幅)。町並みこそ現代の建物だが、昭和風の商店が軒を連ねており、何となく旧街道の雰囲気を上手に残している。商店街も旧東海道ということを前面に押し出しており、観光の目玉にしている。街のそこここに旧東海道の案内や説明が書かれており、歴史好きにとっては楽しいだろう。商店もシャッターに品川宿の風景画を入れたり個人で案内板を立てたりして、町全体で品川宿で町おこしという意気込みが感じられる。ヤフーの地図で、ガイドブックを見ながら旧東海道に線を引いていく作業は、慣れないせいか品川宿で難航したが、実際に歩いてみると入り口さえ見つけられれば実にスムース。

足を踏み入れてすぐに観光協会の案内所が設置されており地図を眺めていると、早速スタッフの方が声をかけて下さった。
スタッフ「どちらまでいらっしゃるんですか」
オレ「京都です。」(即答&断言)
早速、食いつきて来てくれて色々説明して頂いた。明らかにこのまま京都まで歩くと誤解しているようなので、今回の趣旨を説明。こういうのが欲しかったんだよ。こういう地元の人との昼間のふれあいみたいなのが。地図は50円で後は無料ということなので、地図を購入してパンフレットを頂いた。ここから15号と合流する鈴ヶ森までは4km程あるらしい。

すぐに土蔵相模跡の立て札。今はファミリーマートになっている。司馬遼ファンや幕末維新史が好きな方には説明するまでも無いと思うが、夜な夜な志士達が集まって会合を開いていた遊郭跡。外観が土蔵のような建物だったので土蔵相模と名がついたとは初耳。

14:18東海道品川宿交差点 ここは山手通りとの交差点。

14:21品川橋 ここからは品川宿場通り南会という商店街になる。北品川宿と南品川宿はこの橋で別れていた。品川宿は相当大きな宿場町だったことが伺われる。京へ上る人は品川では泊まらないので、京都から下ってきた旅人が江戸に入る支度をするためにこんなに広い宿場が開けたのだろうか?色々と想像してみる。

14:27ようやく体が温まってくるが、腰のだるさも感じてきた。今日はちょっとだるさを感じるのがいつもより早い。天候は曇りだがそれほど寒くは無い。革ジャンのファスナーを空けたり閉めたりラジバンダリ(死語)で温度調節。

14:31東海道南品川宿交差点 池上通りとの交差点。ここで大体品川旧東海道の2/3位。

14:33品川寺。ここは“ほんせんじ”と読む。入り口に大きな地蔵がありこの仏像は江戸六地蔵第一番。もしかして、ここが品川の名の発祥かなと思い、調べてみたら、実際はこの地を流れる目黒川が、流れが緩やかなため港として使われ、品(物)が行きかう川だったからだそうだ。寺の名前が地名になった吉祥寺や高円寺とは違っていた。ちなみにこの辺りは青物横丁商店街になっている。

14:36ちょっと気になる居酒屋発見。飲み放題77円、刺身1品98円。スーパーの半額に挑戦しているらしい(看板に文言あり)。非常に惹かれるのだが、一応、自分的に53次中は飲酒禁止ということにしている。どこまで守れるかわからないがな。

14:41鮫洲商店街に入る。ここまでずっと名前を変えて商店街が続いている。これほど長い商店街の連鎖って日本で一番じゃないだろうかと思ってしまう。ちなみに日本一長いアーケードは四国の高松と聞いている。まもなくスタートからほぼ1時間経過。腰もだいぶきつくなってくる。左側には川を挟んで首都高が見える。

14:49この辺りから普通の住宅街の路になってくる。駅はまもなく立会川。ここで会社の上司から紹介された老舗のお蕎麦屋さん吉田家さんを発見。旧東海道に店を構える創業150年の老舗。店構えはこじんまりとしているが、中庭や池もある料亭のような店だとのこと。値段もそこそこ張るようだ。お茶だけでもと思い、休憩に入ろうかと思ったが、満席で空席待ちの人もいたため入店を断念した。

14:55ちょっとだけ街道をそれて、立会川駅前の坂本龍馬像前。立会川はかつて土佐藩の下屋敷が有り、坂本龍馬の江戸遊学中、黒船来航のときに警備をした浜川砲台跡がある関係で、町中に幟を立てて、坂本龍馬を押し出しているらしい。龍馬をあしらったお茶や海苔なども販売していたが、龍馬ラーメンや龍馬ギョーザなんていうのも販売していた。日本史上の一二を争う有名人で、今年の大河ドラマも龍馬伝ということで、こんな感じになっているようだ。

ちなみに坂本龍馬、この人は実は死後に有名になった人物で、維新当時はそれほど有名な人物ではなかったようだ。明治16年、坂崎紫瀾という人物が書いた「汗血千里の駒(かんけつせんりのこま)」という小説で初めて世に名前を知られ、その後、日露戦争時に、これは国民の志気を高めるための創作だと思うが、バルチック艦隊との日本海海戦直前に皇后の夢枕に白装束で現れ、名乗らずに日本が必ず勝つと言い、話を聞いた側近が(確か香川光顕)その風体からもしやと思い、写真を見せたところ、皇后がこの人物であると述べたところから、有名になった人物である。

戦後になって司馬遼太郎の“竜馬がゆく”で国民的な人気を博したが、近年の研究では実際にはそこまででもなかったのではないかと考える学者も現れている。公家の日記や西郷の発言などで確かにユニークで度量も大きい人物なのは確かだったようだが、実は薩摩藩の意を呈して動いていたとか、日本で武器販売の拡大を目論むトーマスグラバーのエージェントだったなど。あと、こんなことを書くとコアな龍馬ファンに怒られてしまいそうだが、梅毒で頭が禿げていたなんて記録もあるらしい。私も実際どうなんだかと思ってしまうが、司馬遼の“竜馬がゆく”ファンなので、小説の竜馬のモデルになった人物ということで何となく納得している。

東海道に戻り歩き出すと、浜川砲台への案内板がある。ペリー艦隊が見れると書いてあるので、まあ実際に艦隊は見れないけど海岸線でも見えるかと思って行ってみたら川の中になっている汚い壁に、龍馬と黒船が書かれているだけの代物だった。すっかりだまされた。

15:11 刑場跡の碑を過ぎて15号との交差点、鈴ヶ森に到着。



2013/02/25記載
2回目もまだまだ浮かれています。カメラを忘れ、スマホになる前の形態で撮影したので写真がボケボケで今更載せるのが恥ずかしい。今度時間がある時に取り直しに行きます。

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2013.02.26 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)

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