【龍】土佐藩邸跡・土佐稲荷(岬神社)

カテゴリ【龍】:龍馬のあしあと
~坂本龍馬の史跡や司馬遼太郎先生の『竜馬がゆく』の舞台になった場所を取り上げます。京都中心ですがそれ以外にもピックアップします。


土佐稲荷_H25.08.16撮影
土佐稲荷_H25.08.16撮影

龍馬殉難の碑がある近江屋跡から、河原町通りを挟んで、蛸薬師通りに入った路地にある社が土佐稲荷です。近江屋跡からは直線距離で100mもありません。隣は餃子の王将、正面は焼肉の風風亭と随分といい香りのする場所に建っています。写真を、このまま70mも進むと高瀬川を渡って木屋町通りにぶつかり、蛸薬師通りの東の起点になります。

土佐稲荷_H25.08.16撮影
土佐稲荷 H25.08.16撮影

この社は別名、岬神社とも呼ばれています。社殿によると、室町時代の貞和4年(1348)に鴨川の中州の突端に建てられたのが"岬"の名前の由来だそうで、その後、数度移転の後、江戸時代初期に土佐藩邸内に移されました。土佐稲荷とよばれるのはそのためで、周辺の町人からも篤い信仰があったため、土佐藩はわざわざ参拝用の通路を作ったほどといいます。祭神の一柱が倉稲魂命(うがのみたまのみこと)であることから稲荷とよばれていますが、もう一柱の祭神は石栄神(せきえいのかみ)で、この神社のご利益は農耕・商売・土木・金工など諸業の繁栄、火難除けなど。また、神社的に凄いのかどうかはよくわかりませんが、宮司は八坂神社の宮司が兼任だそうです。

土佐稲荷_H25.08.16撮影
土佐稲荷社殿 H25.08.16撮影

明治になって藩邸が売却されると神社も移転し、最終的に明治20年(1887)この地に鎮座することになりましたが、このあたりは元々、土佐藩邸で、この場所は土佐藩の用人の屋敷があった場所で、土佐稲荷とよばれる神社としては違和感が無い場所に戻ってきたと思います。ちなみに、この場所を買い取ったのは、龍馬が最後に殉難した近江屋の井口新助で、彼としては土佐藩や龍馬に格別の思いがあったのでしょう。現在の社殿は大正2年(1913)に近隣の信徒の寄付によって建てられたものです。

土佐稲荷・坂本龍馬像
境内の坂本龍馬像 H25.08.16撮影

きっと龍馬も参拝したはずのこの神社、境内には、龍馬の小さな銅像が建てられてています。まだ、真新しい銅像には平成21年再建とあるので、龍馬の銅像は古くからあったのでしょうか?こちらのページに旧銅像の写真が掲載されていますが、削り取られて酷いものです。ご利益にあやかって銅像を削るというのも随分荒っぽい。

龍馬の写真_H25.08.16撮影
龍馬の写真 H25.08.16撮影

社殿には、長崎のオランダ人写真館で撮影された龍馬の写真も飾られています。銅像や写真が飾られていると龍馬が知ったらきっと恥ずかしがりそうですが、龍馬のことだから、神様にされてしまうよりはましかと思っているかもしれません。そんなことを考えながらこの地をあとにしました。近江屋の龍馬殉難碑を見学の際は、近くなので一緒に立ち寄ってみて下さい。拝観は無料です。

土佐稲荷(岬神社):京都市下京区木屋町通蛸薬師備前島町(場所)

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2013.09.27 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【龍】龍馬の足跡

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