【動】囚われの狛猿

カテゴリ:【動】京都の動物
~京都の街の動かない動物たち、つまりオブジェとしての動物を取り上げます。


新日吉神宮入口_H25.12.10撮影
新日吉神宮入口 H25.12.10撮影

東山三十六峰、太閤秀吉が眠る阿弥陀が峰の麓に阿吽(あうん)の面白い狛猿がいるというので見に行ってきました。場所は新日吉神宮、読み方は「しんひよしじんぐう」でなく「いまひえじんぐう」です。主祭神は大国主の別名である大己貴神(おほなむち)と大山咋神(おおやまくいのかみ)の2神を始めとする日吉山王七神と「遊びをせんとや 生まれけむ」の後白河法皇です。

新日吉神宮へ_H25.12.10撮影
新日吉神宮へ H25.12.10撮影

東山七条から智積院と妙法院の間を進みます。この辺りは周囲が女子高、女子大なので男一人で歩くのはちょっと気おくれがします。突き当ると階段地獄の豊国廟ですが鳥居を潜らず右へ入っていきます。

新日吉神宮楼門_H25.12.10撮影
新日吉神宮楼門 H25.12.10撮影

朱の鮮やかな楼門は、生粋の遊び人、今様狂いと云われた後白河法皇を何となく偲ばせるせるものがあります。ご利益も酒造、医薬に縁結びと多彩です。ちなみに京都検定での、私の新日吉神宮のご利益の覚え方は「酒と薬の縁を結ぶ今日吉神宮」です。酒は百薬の長という位なのでこれなら覚えやすい。ついでに日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)は「宴会や」(縁結び・開運・厄除け)です。

新日吉神宮本殿_H25.12.10撮影
新日吉神宮本殿 H25.12.10撮影

本殿は天保6(1835)年の改築で流造です。新日吉神宮は元々、後白河法皇の御所である法住寺内にありましたが、2度場所を移り、この地に新日吉神宮が移ってきたのは明治30(1897)年のこと。日吉といえば連想するのは猿で、猿といえば秀吉ですが、豊国廟のふもとに新日吉神宮があるのは何か理由があるのでしょうか?天下を取った秀吉が猿と呼ばれるのを快く思うはずもないので、豊国廟から苦笑でこの社を見下ろしているかもしれません。さてお目当ての阿吽の狛猿はこの階段を上がったところの左右に控えています。

阿形の狛猿_H25.12.10撮影
阿形の狛猿 H25.12.10撮影

向かって右は阿形の狛猿です。烏帽子をかぶり、右手に鈴、左手に開いた扇を持っています。狛○○にしては、写実的な造形です。

吽形の狛猿_H25.12.10撮影
吽形の狛猿 H25.12.10撮影

反対側は、御幣を抱えた吽行の狛猿です。日吉山王の猿は神の使いと云われ、神猿と書いて"まさる"と読みます。"まさる"は"魔去る"や"勝る"につながり、魔除けのご利益があるそうです。境内の案内によると、この猿の像を携帯の待ち受けにするとお守りになるとか。

吽形の狛猿_H25.12.10撮影
吽形の狛猿 H25.12.10撮影

吽形の狛猿は何となく物悲しそうな表情をしています。金網に入れられているからそう見えるのかもしれません。なぜ金網に入っているのかはよくわからないのですが、京都御所の猿が辻の猿のように夜な夜な出歩いていたずらをしたため閉じ込められたとも言われているようです。単にいたずら防止なのかもしれませんが。

本殿の猿_H25.12.10撮影
本殿の猿 H25.12.10撮影

本殿上部にも鈴と御幣を持つ猿が彫られていて、参拝者が見られるように望遠鏡が備えられていました。目が悪いので私には望遠鏡でもよく見えませんでした。

絵馬と置物_H25.12.10撮影
絵馬と置物 H25.12.10撮影

お土産にはちょうどいいかもしれない猿の置物と猿の絵馬です。

H26.3追記修正

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2014.02.03 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【動】京都の動物

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