【歩・過】東海道五十三次踏破・藤枝~その1

カテゴリ:【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)
~2010年からスタートして現在中断中の、東海道を日本橋から京都まで歩く企画の過去分です。ここでは日本橋~金谷までを取り上げます。文章もその当時に書いたものです。


2011年1月9日 藤枝駅付近からスタートの記録

8:30自宅を出発。本当は6時頃出たかったのだが、前の晩の飲酒が祟り朝寝坊。新幹線で新横浜から静岡。静岡から藤枝まで東海道線。本日は駅からスタート地点の国道1号の青木交差点まで500m程の距離がある。

11:32 青木交差点スタート。天気は良いが風が強い。(今日は途中で結構、大きな鳥が飛行中に風にあおられてフラフラしていたほど。)できれば、遅くなってもいいから今日は掛川まで行きたいと思っている。

旅人への案内板_H23.11.09撮影
旅人への案内板 H23.11.09撮影

11:42 さわやか住宅という会社の看板に和む。脇にはベンチも置いてある。おそらく東海道を歩く旅行者にアピールしても利益にならないと思うと余計に思う。社長さんが東海道に愛着があるのだろうか。

このあと、数本だけの松並木。本日は所々に短い松並木と稲刈り後のままになっている田が現れて旅情を誘う。

六地蔵尊_H23.11.09撮影
六地蔵尊 H23.11.09撮影

11:47 六地蔵尊。地蔵堂と六地蔵が刻まれた新しめの碑がある。地元の町内会が建てた説明文によるとこの六地蔵は鏡ヶ池の中から現れたといい、名付けて鏡池堂地蔵尊とのこと。地蔵堂は昭和33年改築のもの。かつては駿河国二十四番札所、第九番の霊地だったそうだ。

古東海道址の碑_H23.11.09撮影
古東海道址の碑 H23.11.09撮影

11:50 古東海道址、すぐ先はに東海道追分の道標。旧東海道と言っても時代により東海道は色々ルートを変えており、古代、中世、近世と別れている。私が今まで歩いてきたのはおおむね、近世の東海道。

田中藩領ぼう示石蹟_H23.11.09撮影
田中藩領ぼう示石蹟 H23.11.09撮影

12:00 田中藩領ぼう示石蹟。江戸期、この近辺は田中藩という数万石の小藩が治めていた。wikiによると田中藩は治める大名家が点々と代わり、吉宗の時代まで、しょっちゅう大名が代わっていた。(幕末まで12家)ただ、この藩の歴代藩主はほとんどが幕閣入りしていたり、水戸の弘道館とともに武道の二関と呼ばれた日知館があった、小さくても個性的な藩。

杉玉_H23.11.09撮影
杉玉 H23.11.09撮影

12:07 酒屋の軒先にぶら下がる、蜂の巣のような青々と見事な杉玉。青々とした杉玉は新酒ができたことを知らせる目印。茶色くなるまで1年ぶら下げておく。この店は青島酒造といい、ここで作る喜久酔という酒は“美味しんぼ”でも紹介されているほどうまい酒。私は酒好きではあるが、もっぱら焼酎派なので、あまり触手は動かないが、そこまで旨いと言われるとちょっと興味がある。ただ、残念ながら、歩いている時は呑まないというルールがあるので本日はお休み。

上青島の一里塚跡の碑_H23.11.09撮影
上青島の一里塚跡の碑 H23.11.09撮影

12:14 一里山バス停の松並木の脇に上青島の一里塚跡。比較的真新しい石碑の側面に“南約十米道路東円型にて約百二十平米”と記載されている。


弥次喜多の看板_H23.11.09撮影
弥次喜多の看板 H23.11.09撮影

12:20 一里山交差点で国道1号に合流。そば屋の弥次喜多の看板が微妙。ここから国道1号を歩く。

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2016.02.10 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【歩・過】京都まで歩く(日本橋~金谷)

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