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    【石】但称の石仏を巡る~その1 因幡薬師平等寺

    カテゴリ:【石】京都の石仏~雨の日も風の日も京の街を山を水辺を護り続ける"いしぼとけ"達


    ミニブログコーナー:数日前にツイッターでもした話ですが、私が撮った京都の小便除け鳥居の写真を放送で使わせてほしいとTBSのNスタからDMが届きました。お役に立てばということで喜んで快諾したのですが、放送を見たら使われていたのは似た構図の有料サイトの写真でした。最終的に使わなかったの一言もありません。おそらく連絡してきたのはADで決定権はなかったんだろうなと思うのですが、使わないのなら、最初から連絡してくんなよと腹が立ちました。
    広沢池・千手観音像_H26.04.05撮影
    広沢池・千手観音像 H26.04.05撮影

    今回の記事では、或る人物が遺した石仏を探して京都を巡ります。私が大好きな広沢池の観音島にある千手観音の石仏も、その人物の作品の一つです。

    江戸時代の仏師_wikipedia
    江戸時代の仏師 wikipediaより

    その人物の名は、安土桃山から江戸初期に生きた、僧であり仏師の木食上人但称(たんしょう)です。史料によっては但唱とも書くようですが、この記事では但称で統一します。

    但唱座像(養玉院如来寺蔵)
    但唱座像(養玉院如来寺蔵)*養玉院如来寺のご住職にご許可を頂いて掲載しております。

    但称は、本能寺の変の3年前、1579(天正7)年に摂津有馬に生まれました。18歳で佐渡の弾誓に弟子入りし、その後、諸国で木食行を重ねて修行し、信州を中心に数多くの石仏や木仏を遺しています。そして1635(寛永12)年に江戸芝高輪に帰命山如来寺を開きました。

    瑞應殿・五智如来像_R01.06.22撮影
    瑞應殿・五智如来像 R01.06.22撮影

    その如来寺は大正時代に養玉院と合併し、現在は天台宗の寺院、帰命山養玉院如来寺として東京・西大井にあります。大井の大佛(おおぼとけ)とよばれる五智如来像、荏原七福神(布袋尊)が有名です。

    養玉院如来寺_Wikipediaより
    養玉院如来寺 Wikipediaより

    実は但称は江戸の仏師、又七という人物でキリスト教徒として磔刑にされるはずが、奇跡的に助かりその後改心して出家したという伝承(「事跡合考」1772(明和9)年・柏崎永以)があるのです。そのため如来寺は隠れキリシタンの寺であるという伝説もありますが、但称の足跡を考えるとこの伝説は別人のことでしょう。

    因幡薬師(平等寺)_H31.02.08撮影
    因幡薬師(平等寺) H31.02.08撮影

    まず最初に、烏丸高辻近くの因幡薬師を訪ねました。不明門(あけず)通りの突き当りにあり、通の名前の語源にもなった寺です。かつて、この寺の門が常に閉ざされていたことから、ここに突き当たる通の名が不明門通と名付けられました。平安末期に高倉天皇が、すぐ南の東五条院を御所としたため、それに遠慮して門を閉めていたそうです。

    因幡薬師の石仏_H31.02.08撮影
    因幡薬師の石仏 H31.02.08撮影

    こちらが今回訪ねた、本堂の西側に安置されている毘沙門天と金剛夜叉明王です。以前に隣に置かれている閻魔大王の石像の記事でもご紹介しました。

    因幡薬師・毘沙門天_H31.02.08撮影
    因幡薬師・毘沙門天像(134.0cm) H31.02.08撮影

    デフォルメされたフィギアのようなずんぐりむっくりした体型はで4頭身くらい、ふくよかでやや大きめ、幼げな顔が特徴的な毘沙門天像です。表情は違いますが、広沢池の千手観音にどことなく似ています。右手は失われていますが宝塔を上に掲げ、左手には宝棒を持っていたはずです。

    因幡薬師・金剛夜叉明王_H31.02.08撮影
    因幡薬師・金剛夜叉明王像(147.0cm) H31.02.08撮影

    毘沙門天よりもややスマートな感じがする金剛夜叉明王です。顔が小さめなのは髪が逆立っていることと顔が三面だからでしょうか。明王なので怒りの表情ですが、何となくあどけなさのある表情です。また両仏とも首と肩が一体ですが、これも但称の作品の特徴の一つです。6本あるはずの腕は4本失われ、正面の2本の手のみ残っています。

    因幡薬師・金剛夜叉明王の裏側の銘_H31.02.08撮影
    因幡薬師・金剛夜叉明王像の裏側 H31.02.08撮影

    金剛夜叉明王の後ろに回って銘を見てみました。裏側が狭く、写真を撮るのも難しい状態です。銘は何故か白い物で埋めたような形跡があります。

    因幡薬師・金剛夜叉明王の裏側の銘_H31.02.08撮影
    因幡薬師・金剛夜叉明王像の裏側の銘_H31.02.08撮影

    下の方も文字が埋められていますが、素人の私でもわかるくらいはっきりと"作但"の文字が確認できます。この部分は明らかに"作但称"と彫られていたと思われます。

    因幡薬師・毘沙門天の裏側の銘_H31.02.08撮影
    因幡薬師・毘沙門天像の裏側の銘 H31.02.08撮影

    毘沙門天の裏側も一部を白く埋めた跡がありますが、"伊勢生" "十八年"と彫られているのがわかります。

    因幡薬師・毘沙門天の裏側の銘_H31.02.08撮影
    因幡薬師・毘沙門天像の裏側の銘 H31.02.08撮影

    下部には「樋口平太夫家次」「作但称(称は旧字体)」の文字が確認できます。樋口平太夫家次については後述しますが、但称に多くの石仏の作成を依頼した人物で、銘の通り出身は伊勢です。またこちらのHPでは、この二体の石仏の石を真鶴岩海岸のものと断定されています。真鶴は現在の神奈川県真鶴町で、但称が江戸に如来寺を創建した後、樋口平太夫の依頼を受け石仏を造立した土地で、本小松石の産地です。

    因幡薬師・毘沙門天と金剛夜叉明王_H31.02.08撮影
    因幡薬師・毘沙門天像と金剛夜叉明王像 H31.02.08撮影

    お寺の方にこの仏像の由来を伺うと、しばらく考えてから「50年くらいかな、どっかから二体持ってきた」とおっしゃっていました。あまりはっきりご存じなかったようですが、前述のブログでは、昭和より前の時代に売買の対象としてどこかから4体移されてきて、今2体残っているという住職の証言が掲載されています。(続く)


    参考文献:
    「京の石仏」 佐野精一 1978(昭和53)年 サンブライト出版
    樋口平大夫と但称の作善」 川勝政太郎 1974(昭和49)年大手前女子大学論集8号
    「品川歴史館特別展 大井に大仏がやってきた-養玉院如来寺の歴史と寺宝」 品川区立品川歴史館 2013年発行
    ブログ「のんびり生きよう」 但唱上人の足跡(年表) 2013.11.04
    ブログ「のんびり生きよう」 京都 因幡堂(平等寺 2014.11.11
    協力:
    品川区立品川歴史館/養玉院如来寺
    因幡薬師(平等寺):京都市下京区因幡堂町728(WEB/MAP
    H31.02.08取材/H31.06UP/R01.6.22追加取材(養玉院如来寺)/R02.01加筆修正

    テーマ:京都 - ジャンル:地域情報

    2019.06.02 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【石】京都の石仏

    【石】因幡薬師の閻魔大王

    カテゴリ:【石】京都の石仏~雨の日も風の日も京の街を山を水辺を護り続ける"いしぼとけ"達


    ミニブログコーナー:月曜日の大阪の地震には大変驚きました。被害に遭われた皆様には、心よりお見舞い申し上げます。私の親戚・知人は被害に遭わなかったのですが、今後の余震などまだまだ心配です。最近、日本中で地震や噴火が盛んですが、一刻も早く落ち着いてくれるのを願うばかりです。
    因幡薬師_H29.11.04撮影
    因幡薬師 H29.11.04撮影

    今回は、京都の難読地名の一つ、"不明門(あけず)通"の由来にもなっている因幡薬師(平等寺)を訪ねました。京都十三仏、京都十二薬師、洛陽三十三観音にも名を連ねる真言宗智山派の寺院です。

    不明門通り(因幡薬師を背に南方向)_H29.11.04撮影
    不明門通り(因幡薬師を背に南方向) H29.11.04撮影

    かつて、通りの突き当りにあたるこの場所の門が常に閉ざされていたことから、この通りが不明門通りと名付けられました。平安末期に高倉天皇が、すぐ南の東五条院を御所としたため、それに遠慮して門を閉めていたそうです。

    因幡薬師ののぼり_H29.11.04撮影
    因幡薬師ののぼり H29.11.04撮影

    寺の周りを赤いのぼりがぐるりと囲っていますが、こちらのよく知られているご利益はガン封じで、人々の篤い信仰を集めています。なぜ”因幡”かというと、997(長徳3)年、重病にかかった橘行平という人物が、因幡國に流れ着いた尊い浮き木を供養するように夢でお告げを受け、早速、人に探させるとインドから流れ着いた薬師如来像が見つかったというのです。

    因幡薬師・住所表示_H29.11.04撮影
    住所表示 H29.11.04撮影

    行平が像を祀ると、病は快癒し京へ無事戻ることが出来ました。その後、行平を追ってこの像が京までやってきたという言い伝えがあります。(かいつまんでお話ししたので、詳しい由来はwikipedia公式WEB)現在、本尊になっている薬師如来は平安時代のもので、長野善光寺の阿弥陀如来・京都嵯峨清凉寺の釈迦如来とともに、日本三如来の一つになっています。写真の通り、今でも町の名にも"因幡"の名が入っています。

    因幡薬師・本堂_H29.11.04撮影
    本堂 H29.11.04撮影

    雰囲気も広さも、以前ご紹介した六角堂に似ています。ただし、こちらは周囲が住宅や小規模の事務所なので、下町的な雰囲気です。コンパクトな境内の所々にベンチやイスが置かれ、地元住民の憩いの場にもなっています。また、ぞろぞろというわけではありませんが、ガン封じのご利益を求めてお参りの人が絶えません。

    因幡薬師・本堂前のおびんづる像_H29.11.04撮影

    本堂前のおびんづる像 H29.11.04撮影

    本堂の向かって左側には、撫で仏のびんづるさんが置かれています。皆に撫でられてツルツルです。びんづるさんがあると、庶民的な感じがして親しみが持てますね。

    因幡薬師・本堂脇へ_H29.11.04撮影
    因幡薬師・本堂脇へ H29.11.04撮影

    本堂の向かって左側に小堂が並んでおり、その奥に今回、取材に伺った閻魔大王の石仏があります。たまたまWEBで見つけて関心を持ったのですが、閻魔の石仏とは珍しいのではないでしょうか。

    因幡薬師・閻魔の石像_H29.11.04撮影
    閻魔の石仏 H29.11.04撮影

    観音堂、歓喜天を祀るお堂、地蔵堂、十九社権現の奥に、まだ新しそうな閻魔大王がお座りでした。

    因幡薬師・閻魔の石像_H29.11.04撮影
    閻魔の石仏 H29.11.04撮影

    近くを掃除をされていたお寺の方に尋ねると、この閻魔大王は50年程のものなのだそうです。それほど古いものではありませんでしたが、閻魔を祀る千本ゑんま堂や六道珍皇寺の閻魔堂では、これほどはっきり近くでお姿を拝むことはできません。

    因幡薬師・閻魔の石像_H29.11.04撮影
    閻魔の石仏 H29.11.04撮影

    閻魔大王の前で正面で膝を屈めて、下からから拝むとご利益があるのだとか。その通りにしてみると、まさに閻魔様に裁かれている気分になります。

    因幡薬師・閻魔の石像_H29.11.04撮影
    閻魔の石仏 H29.11.04撮影

    非常に恐ろしい表情をしている閻魔大王ですが、密教では徐病、息災、延寿のご利益があり、本尊の薬師如来と共に健康と長寿を司る有難い神なのです。

    因幡薬師・閻魔の使い魔_H29.11.04撮影
    閻魔の使い魔 H29.11.04撮影

    取材をしていると、閻魔像の後ろに真っ黒な猫が突然現れました。黒猫はこちらを睨むように見ています。まるで使い魔のようです。動けない閻魔様の名代のつもりか、しばらくその場を離れないのが印象的でした。

    因幡薬師・二体の石仏_H29.11.04撮影
    二体の石仏 H29.11.04撮影

    閻魔像の斜め後ろには、こちらもまた見事な二つの石像が置かれていました。お寺の方は、古いものであるとだけおっしゃっていました。(お忙しそうなので、詳しく質問するのは遠慮しました。)

    因幡薬師・金剛夜叉明王像_H29.11.04撮影
    金剛夜叉明王像 H29.11.04撮影

    腕が損傷していますが、三面六臂であることが確認できます。三面六臂は阿修羅か金剛夜叉明王ですが、ネットで検索すると金剛夜叉明王で間違いないようです。

    因幡薬師・毘沙門天_H29.11.04撮影
    毘沙門天 H29.11.04撮影

    こちらも腕が損傷していますが、検索結果は毘沙門天。少し頭が大きくて、縮尺が妙な気もします。足元には、すでにかすれていますが"奉納 空"と確認できる古い木札がありました。

    広沢池・千手観音像_H26.04.05撮影
    広沢池・千手観音像 H26.04.05撮影

    こちらのHPによると、この二体は元々、御室の蓮華寺にあったものが明治以降に移されてきたもので、嵯峨野・広沢池の千手観音とともに蓮華寺にあったものなのだそうです。実は、私は広沢池の千手観音像がとても好きで、ツイッターのイメージ画像に使わせて頂いているくらいです。

    因幡薬師・本堂_H29.11.04撮影
    因幡薬師・本堂 H29.11.04撮影

    どうりで私がこちらの二体の石仏に親近感を持ったのかわかりました。最後に話がそれてしまいましたが、次回京都訪問の際には、蓮華寺ゆかりの石仏を取り上げてみたいと思います。
    因幡薬師(平等寺):京都市下京区因幡堂町728(WEB/MAP
    H29.11.04・H30.06.16取材/H30.6アップ


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    2018.06.20 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【石】京都の石仏

    【石】六角堂の石仏たち その2

    カテゴリ:【石】京都の石仏~雨の日も風の日も京の街を山を水辺を護り続ける"いしぼとけ"達


    ミニブログコーナー:アイフォンをsoftbankからY!mobileに変えてみました。softbankにして2年経ったので、このままだと料金が高くなってしまうことが変えた理由です。iPhoneはseになったので若干小さいのですが、系列は一緒なのでsoftbankのWi-Fiスポットはそのまま使えますし、家のネット環境もsoftbankのままでいいので十分満足しています。
    六角堂・十六羅漢_H29.04.25撮影
    十六羅漢 H29.04.25撮影

    境内の池には、石段状の岩に配置された十六羅漢と邪鬼の像が置かれています。遠いものを大きく作っているのは、意図的なのでしょうか。池に被さるように茂っているのは、毎年京都の街に春を告げてくれる早咲きの御幸(みゆき)桜の樹です。

    十六羅漢_H29.04.25撮影
    十六羅漢 H29.04.25撮影

    子供のように無邪気な笑顔で微笑んでいる羅漢像に心がなごみます。いつも優しく穏やかにしていれば、必ず良いことがあるという"和顔愛語(わがんあいご)"という教えを、羅漢像のこの笑顔で表現しています。

    六角堂・邪鬼_H29.04.25撮影
    邪鬼 H29.04.25撮影

    六角堂の邪鬼は既に改心していて、お釈迦様の教えを受け入れているのだとか。どれもなるほど穏やかな顔をしています。

    六角堂・大香炉を支える邪鬼_H29.06.26撮影
    大香炉を支える邪鬼 H29.06.26撮影(追加取材)

    ちなみに本堂でも、三匹の邪鬼が三方から大香炉を重たそうに背中で支えています。改心して仏法を支えているという意味合いでしょう。

    合掌地蔵_H29.04.25撮影
    合掌地蔵 H29.04.25撮影

    池には、十六羅漢に囲まれるように、合掌地蔵も置かれています。この合掌地蔵は願いが叶うように、参拝者と一緒に祈る姿をとっているのだそうです。

    見ざる・聞かざる・言わざるの像_H29.04.25撮影
    見ざる・聞かざる・言わざるの像 H29.04.25撮影

    この池には、小さな流れを挟んで"見ざる言わざる聞かざる"の地蔵バージョンが置かれています。通常、三猿で表現されることが多いのですが、前回ご紹介した、高台寺の岡林院にも"見るぞ言うぞ聞くぞ"の三地蔵がありました。(意味は真逆ですが)

    六角堂・地蔵山_H29.04.25撮影

    六角堂・石仏群_H29.04.25撮影
    地蔵山の石仏群 H29.04.25撮影

    境内の西側には地蔵山とよばれる一角があり、お地蔵さんが南北にずらりと並べられています。摩耗して表情もわからなくなってしまった石仏や役目を終えた仏像にも、一つ一つに丁寧に帽子屋や前掛けがかけられており、この地で大切にされている様子が伺えます。

    六角堂・地蔵と鳩_H29.06.26撮影
    地蔵と鳩みくじ H29.06.26撮影

    地蔵山の南側の一群は、小さな素焼きの鳩の置物に囲まれています。この鳩は六角堂の授与品である"鳩みくじ"が入っている容器です。

    六角堂・わらべ地蔵_H29.04.25撮影
    わらべ地蔵 H29.04.25撮影

    地蔵山の写真の一番奥側にあるのが、わらべ地蔵の一群です。横になっているのは寝ているのでなく、行をしている姿です。

    六角堂・わらべ地蔵_H29.04.25撮影
    わらべ地蔵 H29.04.25撮影

    わらべ地蔵は特に小さな子供を守るためにこのような姿をしています。子供を抱くお地蔵さんの像は珍しいのではないでしょうか。

    六角堂・北向地蔵_H29.06.26撮影
    北向地蔵尊 H29.06.26撮影(追加取材)

    これらの地蔵山は東を向いていますが、わらべ地蔵の先には北向地蔵尊とよばれる六体の地蔵があります。北を向いているのは、御所を守るためです。かつて御所を守ることは、人々の生活を守ることにつながっていたそうです。

    六角堂・石不動脇の地蔵_H29.06.26撮影
    六角堂・石不動脇の地蔵_H29.06.26撮影
    石不動脇の地蔵 H29.06.26撮影

    石不動を祀るお堂の脇には、叢の陰に三体のお地蔵さんが隠れていました。柔らかい石仏が印象的な六角堂の中で、ここだけは異彩を放っており、二体はモアイ像のような異形で粗削りな表情をしています。

    以上、今回は六角堂を巡ってみましたが、京の賑やかな街中で、ほっと一息、穏やかな気持ちになるのもよいのではないでしょうか。境内も適度に小さく、お詣りして一息つくのにぴったりの場所です。

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    2017.08.09 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【石】京都の石仏

    【石】六角堂の石仏たち その1

    カテゴリ:【石】京都の石仏~雨の日も風の日も京の街を山を水辺を護り続ける"いしぼとけ"達


    ミニブログコーナー:もしかして、もしかすると今週、京都へ行けるかもしれません。このタイミングだと、あじさいの枝を頂いて回るのが可能な時期です。実は西洞院塩小路のハトヤ瑞鳳閣門前のアジサイの枝、分けて頂けないかなと密かに期待しています。
    六角堂・山門_H29.04.25撮影
    山門 H29.04.25撮影

    6月3日公開の映画"花戦さ"で話題の六角堂へやって来ました。周囲をビルに囲まれたお寺というのも、現代の京都ならでは。街中で漂ってくるお線香の匂いというのは、何か心をホッとさせてくれます。

    六角堂・花戦さポスターパネル_H29.04.25撮影
    "花戦さ"のパネル・ポスター H29.04.25撮影

    華道をテーマにした映画は初めてだと思うので、なかなか興味もありますが、今回は、こちらで可愛らしい石仏が見られるということで六角堂に伺った次第です。

    頂法寺
    花戦さ"のパネル_H29.06.25撮影(追加取材)

    後日、公開後の6月に追加取材に行くとさらにキャストのパネルが追加されていました。

    頂法寺・有頂天家族2の宣伝グッズ_H29.06.25撮影
    有頂天家族2の宣伝グッズ H29.06.25撮影(追加取材)

    さらに、私は知らなかったのですが、京都を舞台にした"有頂天家族"というアニメで六角堂が使用されているそうで、そちらの宣伝グッズも境内に置かれていました。

    六角堂・本堂_H29.04.25撮影
    本堂 H29.04.25撮影

    通称が六角堂というのは本堂が六角形であるためで、正式には紫雲山頂法寺という天台宗の寺院。聖徳太子が用明天皇2(587)年に創建したという古刹です。華道の池坊の発祥地でもあり、家元が代々住職を勤めることでも知られています。

    六角堂・へそ石_H29.04.25撮影
    へそ石 H29.04.25撮影

    これは京都の中心を示すという"へそ石"。旧本堂の礎石らしいのですが、"へそ"の名がついたのは、六角堂の位置がちょうど京都市街の中心あたりに位置することに由来します。

    六角堂・本堂_H29.04.25撮影

    本堂の正面はシャッター式の扉のため開け放たれており、オープンな印象。境内には鳩が多いので、鳩よけの金網を張ってあるのが、唯一の境界線。祀られている本尊は聖徳太子の念持仏の如意輪観音坐像で秘仏、洛陽三十三所観音霊場の十八番札所でもあります。

    六角堂・ふれあい仏_H29.04.25撮影
    ふれあい仏 H29.04.25撮影

    こちらは本堂前にあった"ふれあい仏"。一見、異様な姿に見えますが、願い事をする際に金箔をあるので、このようなお姿になっています。

    一言願い地蔵_H29.04.25撮影
    一言願い地蔵 H29.04.25撮影

    六角堂の説明はこれくらいにして、そろそろ今回お目当ての石仏をご紹介しましょう。境内の東側の木の根元に、静かに佇んでいるのが一言願い地蔵です。六角堂の境内は狭いので、すぐ見つけられると思います。

    一言願い地蔵_H29.04.25撮影
    一言願い地蔵 H29.04.25撮影

    微かに色づいた花を両手に持っているのが、華道で知られた六角堂らしくとても愛らしい石仏です。首を傾げているのは、願い事を叶えようかどうしようかと考えている姿で、控えめに一つだけ願い事をすれば、必ず叶えてくれるそうです。(続く)
    H29.7加筆・写真追加しました。

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    2017.06.20 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【石】京都の石仏

    【石】東山・路傍の触れ仏 その2

    カテゴリ:【石】京都の石仏~雨の日も風の日も京の街を山を水辺を護り続ける"いしぼとけ"達


    ミニブログコーナー:今年もアジサイの挿し枝を始めているのですが、調子に乗っていたら20枝近くなってしまいました。全部根が出たらどうしよう、ベランダが狭いので確実に家では管理できなくなります。養子に出すことも考えないとな~
    岡林院入口_H29.04.25撮影
    岡林院(こうりんいん)入口 H29.04.25撮影

    次の場所は少し見逃しやすい場所です。月眞院からねねの道を20mほど進むと、写真のような小さな和風のコーヒーショップがあります。ここを目印に路地を入っていきます。

    岡林院_H29.04.25撮影
    岡林院 H29.04.25撮影

    入った先は高台寺塔頭の岡林院です。ねねの道から隠れて観光客を避け、ひっそりと佇んでいるかのよう。通常非公開のお寺です。

    岡林院の三地蔵_H29.04.25撮影
    岡林院の三地蔵 H29.04.25撮影

    こちらは三地蔵になっています。見ざる聞かざる言わざるの三猿とは逆で、見るぞ言うぞ聞くぞという積極的な姿勢を表しているそう。ひっそりと建つ塔頭のイメージと正反対なのが面白いです。この手の三〇〇は初めて拝見しました。

    高台寺・台所坂_H29.04.25撮影
    高台寺・台所坂 H29.04.25撮影

    ねねの道沿いにある触れ仏はここまで。次はねねの道を来た方向に戻って、月眞院の脇の台所坂を上ります。

    高台寺天満宮_H29.04.25撮影
    高台寺天満宮 H29.04.25撮影

    上がりきると高台寺と霊山観音の駐車場がある広いスペースになりますが、その中に高台寺天満宮という小さな社があります。

    秀吉・ねねの像_H29.04.25撮影
    秀吉・ねねの像 H29.04.25撮影

    天満宮の隣のお土産屋の前にあるのが、秀吉とねねの石像です。デフォルメされて可愛いらしくなっていますが、唐冠をかぶっているので晩年の秀吉と思われます。秀吉を描くのに、みなが苦労する狂気の頃の秀吉はこんなに可愛くないと思わず、私は苦笑い。

    駐車場の看板_H29.04.25撮影

    駐車場の看板 H29.04.25撮影

    それでも現世では、秀吉とねねは外国語を使いこなす高台寺の公認キャラクターとして頑張っているようです。

    秀吉・ねねの絵馬_H29.04.25撮影
    秀吉・ねねの絵馬 H29.04.25撮影

    秀吉とねねにあやかって、このような恋愛成就の絵馬も作られています。しかしながら、秀吉の側室の数はwikipediaで調べたら13人!絵馬にしていいのか悪いのか(笑)

    臥牛_H29.04.25撮影
    臥牛(がぎゅう) H29.04.25撮影

    天満宮の前には臥牛の像。いきなり牛が登場しましたが、この臥牛も東山の触れ仏に含まれています。以前、当ブログでも北野天満宮の臥牛で取り上げましたが、牛は天神様の使いとされているため、天満宮があるこの場所に置かれているのです。臥牛の場合は、自分の体の調子の悪い所と同じ所を触ります。

    高台寺天満宮のマニ車_H29.04.25撮影
    高台寺天満宮のマニ車(ぐるま) H29.04.25撮影

    最後の二つの触れ仏はやや趣旨が違うような気もするのですが、まず高台寺天満宮のマニ車。天満宮の正面以外の三方を取り囲むように設置されている、金属の鐘のような物体です。

    高台寺天満宮のマニ車_H29.04.25撮影
    高台寺天満宮のマニ車 H29.04.25撮影

    マニ車の中には般若心経が入っていて、1回まわせばそのご利益を受けられるそうです。右手で回しながら時計回りに歩くのだとか。一切経蔵(嵯峨野の清凉寺にありました)の中の輪蔵を回すと、ご利益があるのというのと同じことですね。

    霊山観音_H29.04.25撮影
    霊山観音 H29.04.25撮影

    最後の一つは霊山観音の境内の中にありましたが、時間オーバーで閉門していました。参拝は16時20分まで。外からは見れないかと思い、覗いてみたら・・・

    霊山観音・願いの玉_H29.04.25撮影
    霊山観音・願いの玉 H29.04.25撮影

    見えました。真ん中にある丸い物体が、願いの玉です。右手で触って願いを念じながら、3回まわると願いが叶うそうです。これで東山の触れ仏巡りはおしまい。地図を見ながら普通に回って、40分ほどで回れました。

    東山の触れ仏・案内図_H29.04.25撮影
    東山路傍の触れ仏・案内図_H29.04.25撮影

    ただし、地図がないと若干わかりづらいと思うので、案内図も掲載しておきます。小さくて見えづらければこちらが拡大写真です。

    八坂の塔と京都タワー_H29.04.25撮影
    八坂の塔と京都タワー H29.04.25撮影

    最後は駐車場から見えた八坂の塔と京都タワー。この二つが一緒に撮影できるこの場所は私のお気に入りスポットの一つです。

    テーマ:京都 - ジャンル:地域情報

    2017.06.06 | | Comments(0) | Trackback(0) | 【石】京都の石仏

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